No.2●当ブログの過去最高の人気シリーズ~ふるさとへ









~ふるさとへ



・・・・・私は今 河原に来ている。


身体はないが意識だけがある。 ちょうど夢の中のような感じ。


私は河原の上 地上2・・・3メ-トルの高さにいるようだ。ここはどこだろう。 賽の河原 ??? ・・・


賽の河原ではない。 すぐに分かった。ここは愛媛県松山市の郊外 横河原。


重信川という大きな川の河原。 よこがわら・・・・この名前は いつも私に何とも言えない気持ち


涙ぐむような感情を呼び覚ます。ここは 子供の頃 { 3歳から6歳 } を過ごした思い出の場所。


子供の頃を思い出す時 田舎とか ふるさと という言葉を聞く時いつも思い浮かべるのは この場所。


私は大阪生まれだが 横河原は 間違いなく私のただ一つの ふるさとなのだ。


父は肺結核の専門医で国立愛媛療養所の医師だった。


結核は今ではほとんど忘れられた病名だが 当時 { 昭和20年代 } は猛威をふるっていた


法定伝染病で 各地に国立療養所があった。私達は国立愛媛療養所の官舎に住んでいた。


結核病院は人里離れた場所にあり 周りは山の中だった。隔離された場所だから遊ぶ仲間は少なく 


官舎のわずかな子供と患者さんや看護婦さんが遊んでくれる程度だったが、むしろ一人のことが


多かった。中でもその広い河原が好きだった。


みんなで散歩したり お弁当を食べたり 一人で遊んだりした。



水遊びをしたり 雪すべりをしたりいろんな楽しみを与えてくれた。その河原は非常に広かった。


・・・・向こう岸は霞むくらい遠く その先には森がありそのはるか向こうには皿が嶺が聳えていた。


その青い頂きには雪が見えることもあった。私はよくその河原の土手に座って その雄大な風景を


眺めたり夕焼けを見て 感動したものだった。


゛ いつかあの向こう岸に行ってみたい。 いつかあの山に行ってみたい。


いつかあの山の向こうまで行ってみたい ゛・・・・・いつもそんなことを考えていた。


― 今 ここに30年ぶりにやって来たのだ。しかし 景色は大きく違っていた。


河原も重信川も見る影もない。 広大な河原は信じられないくらい狭くなっていた。


雪すべりをした土手は護岸工事でコンクリ-トに変わっていた。


広い河原も 河川敷の工事でコンクリ-トで何段にも塗り固められていた。


わずかに残された河原の幅は数十メ-トル そしてそこには一滴の水もない。


コンクリ-トで埋められなかったわずかの川底に、やっと昔のままの石ころが残されていた。


゛ 川はどこに行ってしまったのだろう ゛゛ 河原はどこに行ってしまったのだろう ゛


゛ 土手はどこに行ってしまったのだろう ゛゛ 土手の赤松はどこに行ってしまったのだろう ゛


・・・・・呆然と見回す。


・・・・ ゛ 私の家はどうなっているんだろう ゛それとおぼしき場所を訪れる。


ほとんどが草原だが かろうじてあの頃の家々の配置が分かる。


アズマさん ミヤワキさん テンちゃん アラミさん そして自分の家のあった場所にやってきた。


゛ ああ ここだ  あの匂いがする ゛まさにあの頃の 土の匂い を覚えていたのだ。


はっきり分かる。 ここが私の家の庭なのだ。あの頃 広々とした庭だった場所は今はただの草原。


家も塀も両隣の家も周りの家も何もない。しかし はっきり分かるのだ。


あの時と同じ あの匂い がするのだ。


アカシアの ヒマワリの ダリアの ガ-ベラの カンナの 花たちの匂い。


それらの匂いは土の中に 記憶されているのだ。゛ ああ ここでキリギリスを捜した・・・・・


ここでアリを見つめて一日しゃがんでいた。ここにカブトムシの来る大きな樹があった ゛ ・・・・・


幸せだった時代の幸せの象徴が まるで 『 雨月物語 』 のように今は 草原になっているのだ。


母の声が聞こえるようだ・・・・・・・・゛ はやくおうちに入らないと 日射病にかかるわよ ゛


優しい母の姿がよみがえってくるようだ。


・・・おたまじゃくしを掬ったあの池は ? ・・・・・・埋め立てられて運動場になっている。


登れなかったあの大きなクルミの木は・・・・今は無い。渡れなかったあの丸木橋は・・・・・???


丸木橋どころではなく 川ごと無くなってしまった。林の中の あの木造の霊安室は ? ・・・・


無くなっている。 病院の玄関は ? ・・・ ?木造だった入り口は立派なコンクリ-トになっている。


でも玄関前の生け垣はあのときのままだ。 駅舎は ? ・・・・・・・・


横河原駅の駅舎は ああ あの時と同じ 木造だ。小学校は  ? ・・・・ 


木造校舎は見違えるように鉄筋に そして立派な体育館が。


運動場はずいぶん小さくなってしまった。でも校門のシュロはあの頃のまま。


思い出の場所を思いつく限り回った。゛ もう他に なかっただろうか ? ゛


看護婦さんの寄宿舎は ? ・・・・・・マンションに変わっている。


野獣官舎は ? { インタ-ンの若い医者の独身寮は騒がしいのでこう呼ばれた }


建物はないが あの時のクルミの木だけが今も聳えている。・・・思い出の場所をすべて回り終えた。


まるで巡礼が札所を回るように ・・・・・・・・思い出の場所に別れを告げるように。


゛ そろそろ 行かなきゃ ゛子供の頃 夕方の汽車の汽笛が聞こえると ・・・・


゛ もう帰らなきゃ ゛ と家に帰ったものだ。 夕方のあの物悲しい感覚。


゛ もう 行かなきゃ ゛ ・・・・・・・・ すると徐々に自分が上昇し始めた。


゛ 行かなきゃあ でも行きたくない でも行かなきゃあ ・・・ ゛


そんな思いで手足をバタバタと動かしてもがいているような感覚。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


゛ 今 僕はあの病室で死んだのだ ゛この思いは 強烈だった。


死ぬってこんなことだったのか ・・・・・・・・激しいショックだった。


しかしやがてその事実を受け入れた。事実は受け入れざるを得ない。


そして嵐が静まった。 穏やかになった。


゛ もう何もしなくていいんだ もう全てが終わったんだ ゛ そう思うと 不思議と気持ちが楽になった。


苦しみが去り 私はなめらかに 上昇し始めた。今までのもがきや もつれがなくなり ・・・・


ス ― ッ とのぼっていく。私の人生は 今 終わった。


したかったこともたくさんある。でも 出来なかったこともたくさんある。


家族はどうなるんだろうか 仲間達はどうなるんだろうか。


もっと優しくしておけばよかった。


もっと 仲良くしておけばよかった。


ごめんね ・・・ でも 仕方がない。


もう苦しむことも ジタバタすることもない。


あれこれ 考えることもない。


何もかもが終わったのだ。


今 私は死んだのだ。


゛ さよなら みんな さよなら ・・・・ ゛


゛ ありがとう みんな ありがとう ・・・・ ゛



・・・・つづく  宇宙へと



No.3へと続きます
















この川と河原は 丸い石を拾って川の表面に投げて水切りをしたり珍しい形の石を捜したり