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ロベス63がゲームを斬る

ゲームに関することを綴ります。

ファイナルファンタジーXV(6点/10点満点中)

 

 

十年と言う年月は、当時中学生であった筆者を大人にした。

年齢を重ねるにつれて、目に映る景色とその印象は変わってくる。

だが、ゲームへの情熱は依然として変わらない。核融合の如く。

前の記事でも書いたが、悪いところは悪い、良いところを良いというのは、それが好きだからに他ならない。このレビューを読んで共感するも良し、駄文だと思って憤るもよし。

 

 

一部ネタバレがあるので、閲覧には注意していただきたい。

物好きな方は、下へスクロールを。

 

十年かけて開発された15番目のファイナルファンタジー

 

 

まず、本作の立ち位置を整理しよう。

当初は、『ファイナルファンタジーⅩⅢ』のひとつとして制作されていたのが本作だ。

旧名を『ファイナルファンタジーⅩⅢ ヴェルサス』と言い、『ファイナルファンタジーⅩⅢ』、『ファイナルファンタジーアギト』(後にPSPでリリースされた、『ファイナルファンタジー零式』の旧名)と並ぶ、ひとつの大きなプロジェクトの一環。当時はPS3でのリリースが予定されていたが、開発の延期などが重なり、PS4でのリリースに変更となる。

 

 

 物語は、首都以外を制圧されたルシス王国と、同国に停戦条約を持ち掛けた、軍事大国ニフルハイム帝国の、条約調印式の前から始まる。ルシス王国の王であり、ノクトの父親であるレギスは、帝国の属国であるテネブラエの姫・ルナフレーナと婚約しているノクトを同国に向けて送り出す。その後の調印式当日、帝国の翻意により条約は破棄され、首都は帝国の猛烈な攻撃で壊滅的な被害を被り、レギスは殺され、さらにクリスタルも奪われてしまう。ノクトと彼の友達である、グラディオ、イグニス、プロンプトの4人は、帝国を打倒するべく、力を身に着けるための旅に向かう。

 

というのが、大まかなあらすじとなる。

 

 

オープンワールドで繰り広げられる冒険

 

 

 過去のシリーズと比較しても明らかに異なるのは、やはりオープンワールドをベースにしていることだ。道をいくつか用意し、そこで固定のカメラなどを通して映る背景だけを描写すればよかった旧来のFF(『FF7』や『FF8』など)に対し、本作は目に映る場所はほとんど行けるため、その描画数は想像を絶するものがある。

 各地にある人々の拠点はもちろん、場所ごとにモンスターの生息地も異なり、当然実像が存在している。それらがロードをほぼ挟まず、リアルタイムで進行していくため、これまでにない一体感を感じることができる。その美しさはフォトリアルな世界を生み出し、プレイヤーをファンタジーな世界へと誘う。

 

 

 昼と夜では、フィールドの雰囲気ががらりと変わるのも特徴的で、夜には、通常のモンスターとは別に“シガイ”と呼ばれる強敵が出現。大半がレベル30以上と、ストーリーを中盤まで進めても苦戦は必至の相手ばかりなので、日没までには、シガイが入ってこない人の生活拠点まで戻る必要がある。

 

 

 興味のある場所へ行き、人々触れ合ったり、そこで新たなダンジョンを発見して潜ってみたり、未知の敵と遭遇し、戦うという流れがロード画面なしで行えるのは多くのプレイヤーが望んだ、理想の冒険と言える。ドット絵から始まり、今や実写と見紛うほどの画質や質感に至ったFFならではのカタルシスが、確かに存在する。

 

絶景だらけの、本作の世界。見回るだけでも楽しい。

 

流動的なアクションで展開する戦闘

 

 

 本作で見逃せないのが戦闘だ。システムは、リアルタイムのアクティブバトルで、『キングダムハーツ』や『クライシスコア ファイナルファンタジーⅦ』に通ずるものがある。基本的には通常攻撃ボタンを連打し、武器による攻撃を行うのだが、ノクトだけは最大4つの武器を装備可能であり、それらを方向キーひとつで瞬時に切り替えられる。武器は、短剣や槍といったカテゴリーごとに攻撃内容が異なるため、コンボの研究もはかどるだろう。

 

ガード表示がされた状態でガードを成功させると、パリィの文字が出てくる。コマンド入力を成功させれば、カウンター攻撃が発動。

 

 

 さらに、画面左上にある緑色のゲージが一定まで溜まると、味方に特定のコマンド指示が出せる。攻撃や補助などバリエーションは豊富であり、指示を出すあいだ時間は止まらず、スムーズに発動してくれる。さらに、遠くの相手に剣を投げつけ、瞬時に移動しつつ攻撃する“シフトブレイク”、敵を背後から攻撃していると発生する、付近の味方と連携攻撃を行う“バックアタック”など、戦闘方法は多岐にわたる。嬉しいことに、ガードはボタン長押しにより自動でやってくれるため、敵との戦闘において、ストレスになるような部分はないと言える。

 

魔法は過去作よりも、威力、範囲、エフェクトともに非常に強力。人智が及ばない、超常的な力の一端であることを改めて思わせる。

 

 さらに、ノクトが追い詰められた状態になると、まれに召喚獣が助けに来てくれる。本作の召喚獣は“六神”という括りにされており、その名の通り、イフリート、ラムウ、タイタン、シヴァ、リヴァイアサン、バハムートの全部で6体が神として登場。シリーズ経験者なら、なじみ深い面々だろう。いずれも大きさは、山と見紛うレベルであり、その攻撃の規模、威力も桁外れ。災害といってもいいレベル。その圧倒的な存在感は、まさに神と言うにふさわしい。ただし、先述の通り、いつでも召喚できるわけではなく、可能か否かはあくまでも運任せであり、召喚獣の使用を前提とした戦い方はまったくもってオススメできない。

 

タイタン。

 

リヴァイアサン。目の下にいるのがノクト。

 

サブクエストの充実ぶりは驚嘆の一言

 

 本作におけるサブクエストの数は、これまでのシリーズ作品とは一線を画すほど多い。物語の序盤から随時開放されていき、モンスターの討伐や、おつかい、複数のサブクエストを通して展開するショートストーリーのようなものなどが満載。序盤から挑めるサブクエストが多いのは、さまざまな依頼人の下へ行くために、オープンワールドの世界を走り回って欲しいからであろう。さまざまな人と知り合い、依頼をこなしていく度に、対象の場所や人に愛着が湧いてくる。

 

 

メインクエストよりも、サブクエストのボリュームの方が圧倒的に多いため、筆者のような、やり込むタイプのプレイヤーなら、いつまで経っても物語が進まないという、なんとも贅沢な悩みに苛まれる。まあ、“そっちのほうがありがたい”のだが。

 

 

物語を彩る重要な要素、写真

 

 

 仲間には固有のスキルが存在し、その中でもプロンプトは、カメラを用いた写真撮影を行う。車での移動中や、カットシーン、戦闘中など、撮影タイミングはランダムで、素人が見ても映りが悪いと思える一枚から、最高のものまで、カメラに収めてくれる。フォトリアルで描かれる本作のファンタジーな世界は、まさに幻想的であり、それらを写真で振り返れるというのは、ノクトたちだけでなく、自分もまた、プレイヤーというゲームの一部であることを実感させてくれるのだ。

 

シリーズおなじみのチョコボ。個人的には『FFX』より好み。

 

 このカメラ撮影機能は、ストーリーのとある展開で非常に重要となる。物語を振り返るという意味でも、この写真撮影は小粋な要素。宿泊するたびに、撮った写真と保存するものを選べるので、積極的に保存していくのがオススメ。

 

モーグリはなんとアイテムとして登場。敵の攻撃を引き受けるデコイとしての能力を持っている。

 

※この下からはネタバレを多分に含みます。未プレイの方は要注意。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友情を描くにはあまりに軽薄なストーリー

 

さて、このまま大団円で終わればいいのだが、残念ながら、私としてはこの作品を至高という言葉で片付けようとは思わない。

 

 

本作のテーマは、レギスとノクトの“父と子の絆”、そしてノクトと3人の男たちによる“友情”も描かれる。私たちが幻想の物語に涙するのは、そこに至るまでに多くのドラマがあるからだ。

 『FFⅩⅤ』では、残念ながら、感情移入し、涙を流したり、感動できるだけの描写はほとんどないと言える。とくに、主人公たちが向かうつぎの大陸にある、オルティシエでのリヴァイアサン関連のイベントを終えた辺りから、私の頭上には?マークが増えてきた。

 

 

 ヒロインの女性が、ほとんど登場せずに物語から退場。物語を進めていくと、王国を襲った帝国が突然衰退していることが判明。挙句の果てに、トップが死に、国はほぼ崩壊。理由は語られない。帝国側の描写は、レイヴス将軍など、将校たちが皇帝に謁見しているシーンひとつのみ。 帝国の宰相だったアーデンは、ノクトと近しい立場の人間と発覚するが、これもテキストで軽く触れる程度でしかない。アーデン本人がどういった経緯で祖国を裏切り、ニフルハイムに入り込めたのか、そして帝国の崩壊にどう暗躍したのもわからない。

 とにかく描写が足りない。

 

 ほかにもまだあるが、とくにひどいのは、父レギスと、息子ノクトの過去、グラディオ、イグニス、プロンプトとの出会いや、彼らの過去などがほとんど掘り起こされないこと。

 確かに、それらを補完するために『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』(映画)や『BROTHERHOOD FINAL FANTASY XV』 (アニメ。こっちは無料)などが事前にメディアミックスとして展開されている。これらを見れば、本編への感情移入の度合いもだいぶ変わってくる(私は映画の方は事前に視聴済み)のだが、これらの視聴を前提としたうえでのストーリーテリングをするくらいなら、そもそもゲームでノクトたちの物語を書く必要性について聞きたくなる。中途半端になるくらいなら、すべてメディア展開でやるべきだ。

 

 DLCでノクトの友人3人のエピソードが追加されるようだが、その内容こそが本作においてかなり重要なのではないのだろうか。コース料理で、前菜とデザートだけを出されて、メインディッシュが別料金だと言われて怒らない人がどこにいるだろう。

 終始描写不足であり、かつ物語最終盤の、完全に夜に染まった世界の探索も一切できないため、被害の把握ができず、アーデンがしでかしたことの大事さも感じられない。シドニーやシド、アラネアの生存は確認できるが、仲間の話で出てくるのみ。

 

 人物の描写不足、ボリューム不足のチャプターの中で淡々と進む物語からは、感動を得ることは非常に難しかった。なぜ、私たちはエアリスの死に泣き、ショックを受けたのだろう。封印される決意をしたリノアの下へ走り、世界から狙われることをわかってでも、敵を蹴散らして彼女を引き戻したスコールが、リノアを抱きしめるシーンで感動したのはどうしてだろうか。解説無しのハイライト映像など、誰が見ても理解できないのだ。

 

 

 『Kiiler7』や『アーマードコア』など、プレイヤーの想像力を掻き立てるような、アートな物語を綴るタイトルも存在するが、それらは、私たちが推測するに十分ではないが、かといって不足でもないという、絶妙な匙加減のピースが、ゲーム内に散らばっているからこそ、評価を受けているのであり、本作をアートな物語とは言えない。

 

 

オープンワールドを台無しにするロード時間

 

 

 ゲームにおいて、ロードというのは付き物であり、あっても違和感はまったくない。だが、本作のロード時間は、ほかのゲームと比べてあまりにも長すぎる。セーブデータのロードや、マップにチャプターの切り替えで30秒~50秒ほど待たされる(フィールドにいるあいだは、ほぼ皆無)ため、オープンワールドで伸び伸び遊ぼうと思っても、長いロード時間による足止めを食らってしまい、プレイする最中で上がったテンションも下がってしまう。本作のおもな移動手段は車なのだが、一度利用した拠点へ一瞬で移動可能な“ファストトラベル”という機能も、利用するとロード時間の餌食になってしまい、“ファスト”とは口が裂けても言えないような惨状になっている。

 

 

 自由に遊べることが魅力のオープンワールドで、プレイを大きく阻害するようなものはあってはならないと私は思う。


 オープンワールドやグラフィック、システム面に焦点を絞れば、シリーズ最高レベルの出来だと言える。しかし、ファイナルファンタジーの肝である、物語は、少なくとも中盤からはお粗末。オープンワールドを楽しむことが好きな人と、FFシリーズをずっとやってきて、本作の物語に期待していたかで、評価は大きくわかれる作品であろう。バグが多いというのもネット上で散見されるが、私にとってバグとは、開発者側の責任であって、ゲームの中でありながら外の要因によって引き起こされるため、評価の対象には入れていない。私は、ゲームをプレイしていて普通に体験できることだけを気にしている。(もちろん、バグを容認するわけではない)

 

 十年という年月があったため、過度に期待していた面もあったが、それを除いても、良い点と同じくらいに、客観的に見てもひどい面が目立つ。ファイナルファンタジーにおいて物語が重要な位置を占めているということもあっただろう。

 

 スクエニには、まだ『FFⅦ』のリメイクという大勝負が待っている。本作の物語はチープだったが、『FFⅦ』にはベースとなるストーリーがすでにあるので、そこは心配しなくてもいいだろう。そこに、今回のような上質なシステムが加われば、きっと、リメイク作品を、オリジナルの衝撃に匹敵するような内容へ生まれ変わらせられると信じている。最後に、個人的なお気に入りキャラクター・アラネアの写真を複数枚載せ、筆を置こう。


 

 

少し長くなりましたが、ご精読、ありがとうございました。

 

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おまけ

 

 

 

 

 

 

日本のゲーム業界の縮小は加速していく

 

 この見出しを見た大半の人は今回の『ファイナルファンタジーⅩⅤ』のことを連想しただろう。

 

 

 まったく違う。私がこの見出しをつけたのは、さきほど述べたバグの発見や、物語などが不評だったのをいいことに、批評家を気取った日本の一部の不逞の輩が、鬼の首を取ったような論調でタイトルを好き放題に貶めている現状を憂いたからだ。

 

 

 完ぺきな作品は存在しない。はたから見たらそう思えることもあるかもしれないが、ゲームが詰まっているディスクには容量があるため、クリエイターたちは実装する要素の取捨選択をつねに行っており、彼らの思いが100%活かされていることは少ないだろう。

 

 

 ゆえに、どこかで不評となる要素が出てしまうのは、致し方ないこと。むしろ、そういった失敗を重ねることで、偉大な成功へと近づくことができるのである。粗を探し、ひとつでも見つければ自分の満足いくまで罵り、客観的な意見を排除し、主観のみで評価するような風潮がインターネット上に、深く根強くあることは、ゲームのみならず、モノづくりの産業全体において、憂慮すべき深刻な問題だ。

 

 

 失敗を認めず、完ぺきであることをさも当然のように求めれば、その業界はどんどん萎縮していく。意欲的、挑戦的なタイトルはどんどん消えていき、いずれ黎明期を支えたシリーズ作品の新作だけが日本国内でリリースされ続けるという状況にもなり得るかもしれない。

 

 

 私はアーティスティックな作品が好きなので、そのような状況になってしまうことは、絶対に避けたい。そのためにも、評価をするなら、きちんとそのタイトルを遊び、かつ理性的、客観的な視点に立って、意見を述べるべきだ。