2016年で私の大きな買い物と言えば、タブレットPCだった。
だいたい6万円ほどで、性能は中々。小さめのバッグにも易々と入るため、出先での作業に重宝している。
2016年12月15日。日本が誇るゲームメーカー・任天堂から、『スーパーマリオラン』(以下、『マリオラン』)が配信された(iOS版が先行)。価格は、基本無料。100%楽しむには、1200円を支払う必要がある。マリオを主人公とした一連の作品の中で、スマートフォン向けのタイトルが出るのは初めてだ。ソニックやパックマン、ドンキーコングと並んで、世界のゲームキャラクターであるマリオに対する注目度は、もちろん高く、配信開始から、さっそくランキング上位に躍り出た。
過剰なサービスに肥えたプレイヤーたち
だが、ここでとある問題が発生した。一部のプレイヤーたちが、本作の価格設定に対し、否定的な声をあげたのだ。それは「なぜ無料ではないのか?」などという内容。良識ある人間なら、これらが如何に荒唐無稽な意見であるかがわかるだろう。
ゲーム産業はボランティアではない。制作者たちは、社内で決定された予算内でうまくやりくりしながら、ひとつの作品を作っていく。そして、それを世間に送り出して得た利益をもとに、再び新たな作品に取り掛かる。これは、ゲーム産業のみならず、あらゆる商売における大原則。ひいては、資本主義の考えだ。
こんなのは、買い物をしたことがある人なら誰でもわかること。では、なぜこのような声があがったのか。あくまでも私個人の推論だが、ソーシャルゲームに取り入られている“ガチャ”の存在が原因だ。
これまでにも何度か言及してきたが、ソーシャルゲームの商売スタイルとは、基本無料というハードルの低さで人を惹きつけ、その人の射幸心を煽るためにガチャを遠回しに薦め、お金を出してもらうというものだ。つまり、課金をしている人々の中には、自分の意志でお金を出しているという考えが根付いていることにほかならない。もちろん、課金を強制されているわけではないし、そのような思いを抱くのは正しい。だが、ソーシャルゲーム業界では、タイトルに価格を付けるということはない。(少なくとも、私が知っている限りでは)。
つまり、普通なら当たり前のことである、決まった金額を事前に要求されるということに違和感を覚えているのだ。現在、日本のソーシャルゲームにおける、ガチャを一回回すのに必要な金額は、約300円ほど。10連回すとなると、3000円。しかも、望んだ結果が手に入るとは限らず、相当イかれた商売であることに違いはない。ソーシャルゲームに、本当の意味での基本無料は存在しない。もし無料で遊びつくせるのなら、ガチャというシステムは必要ないのだから。
一部のプレイヤーたちは、このガチャというシステムに、感覚を侵されている。1200円という『マリオラン』の価格は、ガチャ約四回分。これだけで100%遊べるというのに、不満の声をあげるのは、明らかにおかしい。だが、責めるべきは、彼らではない。落ち度は、ガチャというシステムが孕むリスクなどを無視し、拝金主義に走った一部のゲームメーカーたちにある。
いったいいつになったら、彼らは正常なスタイルに戻るのだろう。いつまで、純真無垢な子供たちに、ギャンブルまがいのことをさせるのだろう。
パンを食べるにも、電車に乗るにも、ジュースを飲むにも、必ずお金はかかるのだ。
最後に、これだけは言わせてもらう。『マリオラン』は、1200円にしてはボリュームが少ない。ソーシャルゲームに慣れた、ライトユーザーをターゲットにしているからなのか、難度も低く、やりがいがあまり感じられない。価格設定に関しては、任天堂はミスを犯したと言えるだろう。
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新年、明けましておめでとうございます。
今年も何卒、よろしくお願い申し上げます。
ただでさえ少ない読者を、さらにふるいにかけるような、尖った記事ばかりで申し訳ありません。
これも何度も話していますが、歯に衣着せぬ物言いで文章を綴るのは、ゲーム業界を思ってこそなのです。
どうか、平に平に、ご容赦を。