こんばんは、どうも久々更新と相成りましたAです。
本日の写真はまだ夏は始まったばかりというのに、気が早かったのかすでに色褪せかけの白薔薇です。
花の命は短くて。
神は移ろい逝くものにしか美を与えなかったと言いますが、それは一体何故なのでしょうね?
永劫の時を持たない私たちには、やがて枯れいく姿は憐れです。
しかし長過ぎる時間はそれを持つものには退屈でしかないと描かれることが多いですよね。
神様は想像したのでしょうか、日に日に老いる自分に絶望する美しかったものたちの末路を。。。
さて突然ですが、
「蝶よ花よ」
という言葉があります。
主に女性の、育てられ方などを指す言葉でしょうか。
お花か蝶のように可愛がる、またそうされてきたということです。
ここで疑問です。
今回のブログタイトルでもある
「花鳥風月」
これは日本の四季で美しいとされる四つを繋いだ言葉です。
このように自然を題材とした言葉は日本に多く存在します。
事実、雨だけでも「五月雨」「時雨」、「梅雨」なんかは世界中で通用するようになっていますね。
美しいものを美しい言葉で形容したい気持ちはわかります。
しかし、それらは果たしてそれに見あった言葉なのでしょうか?
装飾は美しくないものをも美しく見せる力を持つ素晴らしきまやかしです。
だからといって中身が伴わないまま飾り立てても、それはむしろ空虚で落胆を生む、それこそまやかしのごときです。
私が思うに、美女には「蝶」が似合うと思うのです。
彼女らは、幼い日に輝きを持たなくても、いつかは脱皮するように少しずつ女性になって行きます。
そしてやがて、驚くほど美しく変容していくのです。
だからこそ、蛹のなかで身体をも融かして美しい羽を手にする姿に似たものを感じます。
では、逆に美男について考えてみましょうか。
私が思うに、彼らには「花」が似合うと思うのです。
こちらは女性のような変容は見せません。
しかし、ある日突然少年から男性へと変貌を遂げます。
それはけしていきなりではなく、実は長きに渡っての準備による必然。
ただどうしても、蕾を伸びやかな茎の先に揺らしながら、花開く気配など欠片も感じさせない彼らは、まるで一瞬にして違うレイヤーに描かれてしまったような違和感を与える。
そんなところが、昨日はただの草だったくせに今日見たら綺麗な花を咲かせるニクい道端の花に似ているかなと感じます。
。。。なんて、昨今若者の言葉離れがなにやら浸透して来つつあるようなので、本読みの端くれらしく御託を並べてみました。
いかがでしょう、頭の固い大人の諸君?

