なんだか、最近の私は

これまでの視点とはもやは異なる視点

というか感覚?で物事見てるなー


1月に母が死んで、3月に父が死んだ。

葬儀→手続き→納骨→娘の卒園→葬儀&娘の入学準備→葬儀→手続き→娘の入学→不慣れな登校→納骨→戸建ての家具全ての遺品整理→相続手続き(これはまだまだ続く…)


慶事と不幸と手続きがランダムにウェーブ。


ジェットコースターな人生だと思っていたけれど、これほどまでに気持ちに身体が追いつかないことも無かっただろう。


全部が必然だった、と言えばその一言で終わっちゃうけれど


辛いとかしんどいを超えて、自分の一部がもぎ取られるようにただ胸の奥が締めつけられる想い


めでたい娘の卒園と入学で、ここまでの成長にただ溢れる喜びと感謝の想い


葬儀や、お寺とのやり取り、役所手続きに相続の複雑すぎてもはや意味不明な書類提出(親戚関係のモヤモヤ…)


そして、何があろうとしっかりやらねばのフルタイム勤務と。


ベットから起き上がれずに足のつま先が冷え切って戻らない日が続いた時に、さすがに本当にマズいと思った。


眠れず、食べられず、それでもやってくる朝が一日の中であんなにもただ悲しくどうしようもなく苦しく無気力になってしまったのは何故だったんだろう?


傷は日に日に癒されるものだ。

でも、傷口がカサブタになるだけの話。

葬儀のたびに、書類提出のたびに、戸建て家具整理のたびに、四十九日のたびに、相続手続きのたびに、遺品整理のたびに、娘に祖父母の思い出話をされるたびに何度も何度もそのカサブタは剥がされて…「もう、本当に勘弁してくださいと」口から何度も出そうになった言葉。


それでも、

娘が小学校に慣れてきて、戸建ての中が空っぽになった今、ようやくひと段落を迎えようとしている。


私の心は今、平和だ。


入れ替わり立ち替わりで多くの助けの手が私を引き上げてくれた。数多くの方々の温かい手。


辛かっただろうに、常に元気で笑顔を絶やさないあり得ないほどの娘のパワフルさ。


仕事なんてどうにだってなるんだからさーって言ってくれて優しく見守ってくれた同僚の方々。


そして私を導いてくれた人。

生まれてから今までを振り返った時に、苦痛の間には楽しかったこと、幸せだったことも沢山あり恵まれていたなとさえ感じさせてくれた人。



私の心は今平和だ。



心は、次のステージへ向けてもう歩き出している。



ありがとう。

愛していたよ

愛しているよ

愛していくよ




これから、何をどうしようか?

時がくればきっと分かるね。