以前、海外のゲイカップルが子供を迎えるシーンを見て、

酸っぱいものがこみ上げてきました。

「こいつらは絶対に間違ってる!」と感じたのです。

 

差別がどうのこうのという奴に向かって上手く言えないだろうその気持ちを

まとめてくれてる人がいました。

 

上の写真は日本人同士の場合ですけど、

やっぱり不快感がこみ上げてきます。

 

このあどけない子供の表情が・・・。

 

 

それで、明快に記してくれてるという上のツイートの内容を

ここにコピーしてみます。

 

 

【「同性カップルが子供を欲しい」と言う「オキモチ」自体は、全く分からないでは無い。

だが「本来子を持てる筈の無い生物的組み合わせで子を持つ」と言う事は「様々な無理を重ねる」と言う事でもある。

そして「無理」を「自らが背負う」のみならず「自分達以外の他人や、子に背負わせてしまう」事が疑問視されている。

同性カップルの間に生まれて来る子は「必ず父母のどちらかが赤の他人になる」と言う「避けられない宿命」を負う。

それは、子が思春期に差し掛かって「自らの出自を認識」した時、決して「プラスにならない」ばかりか「自らの存在に疑問を抱く」事に繋がる恐れすらある。

それと同等以上に深刻なのが「子を設けるのに足りない『材料』を他者から調達する」と言う事の「倫理問題」だ。

同性カップルの場合、男性カップルなら「子宮と卵子」を、女性カップルなら「精子」を「自分達以外の異性から調達」しなくては「自らの子を持つ」事は出来ない。

特に「男性カップル」では「代理母出産」を利用する以外に「自分の子」を設ける手段が無い為、より問題が深刻だ。

それが「商業代理母」であろうと「友情代理母」であろうと「他人に命の危険を負わせた」上に「生まれた母子を引き離す」と言う「倫理問題の本質」は変わらない。

これが「女性カップル」の場合は「母体の危険」は「自己責任」になるとは言え「他人の精子で子を設ける」と言う事の「倫理問題」は当然付いて回る。

「同性カップルが子を持つ」と言う事は「子の出自」と「自分の子を設ける為に他人を利用する」事の「倫理問題」を、決して避ける事が出来ない。

それにも関わらず「子持ちの同性カップル」を紹介する記事からは、その様な視点がスッポリ抜け落ちてしまっている。

「同性カップルが子を持つ事の困難は乗り越えられる」などと「漠然と前向きな事」を述べる一方で「具体的問題には触れず、幸せな家族像だけ」を見せている。

「具体的問題」を正しく伝えずに「綺麗事を並べ立てる」のは、単に記事として「不誠実」であるだけでは無い。

「良い面だけ」を見せられ「子を持つ決断」をした同性カップルを「家族ごと不幸にする」事にも繋がり兼ねない。】

 

 

どうでしょうねえ。

ぼくはコレを読んで・・・?

 

もともと「親は無くても子は育つ」といいます。

(それをいっちゃあ~、ですが)

だから、父親が二人で母がいなくても、

子供はそこそこ育ちそうな気もします。

 

でもねえ、元が男の性指向で、

さらに「それでも子供が欲しい」という、

いわばわがままでしょ。(これも、それをいっちゃ~でしょうか?)

 

やっぱり子供が可愛そうな気がしてしまいます。

 

 

こういうことについてはいろいろ意見の相違があるのでしょうけど、

ぼくの守備範囲ではないと思うので、

みなさんそれぞれ考えてみてください。

 

 

むかしはみんな慎みがありました。

それで慎みがある人にはきつく言うことも無かったのです。

 

でもねえ、パレードしてるやつ見たら、

慎みのカケラも無いでしょ。

 

だから反発食らうんですよ。

 

そういう空気は読まなければいけないのが

普通の日本人だと思いますけどね。

 

「普通の」と言わせてもらいます。