ぼくはテレビドラマは見ませんから詳しい話は知りません。
ただ、この話はテレビ関係者と脚本家、原作者の、
作品に対する考え方の違いが表れてる話だと思いました。
一般的な話として、
原作者にはもちろん作品に対する愛があります。
脚本家には映像作品にした場合の「デキ」に責任があります。
番組スタッフもそうでしょう。
原作者は映像化されるのを嫌がる場合が多いものです。
どうせ「潰される」と思うから。
でもよく出来た映像化なら、多くの人に自分の作品が
評価してもらえるきっかけにもなります。
その辺りが難しいところです。
今回の場合、一番問題だったのは、
『セクシー田中さん』が連載中の作品であったということです。
テレビシリーズで完結させようとした(?)脚本家と、
それでは原作と整合性が取れなくなると危惧して
自ら脚本を書くことになった原作者・・・かな?
テレビシリーズには原作者として
納得がいかない部分もあったようです。
【事前の「未完作品に影響を与えないよう原作に忠実に」という条件が
何度も破られ納得できる理由説明は無く根幹となる表現も間違いが多い】
と、原作者は感じていたようです。
とにかく、脚本家が書いたものは評判が良かったそうです。
原作者が手を入れたものは評判が良くなかったとか・・・。
それについて言い訳してた脚本家のツイートです・・・
原作者には原作者としての思いがあったことでしょうけど、
脚本家には不愉快な「失敗」の一つとして理解してたようですね。
それで原作者はその経過を説明していた言葉を残して、
この世を去ってしまいました。
未完の『セクシー田中さん』は・・・どうなるの?
それが一番悲しい話ですよね。
この原作のファンの1人であった羽生理恵さんの言葉です。
芦原妃名子先生
— 羽生理恵 (@yuzutapioka) January 29, 2024
心よりお悔やみ申し上げます。
こんな痛ましい事あるでしょうか。
原作者は作品の親で、セクシー田中さんが出来るまでにどれ程の痛みと想いが詰まっているか外部が理解出来るわけない産みの苦しみがあるもの。原作に忠実にと始まったものが、連続ツイする程にどれほど無念だったか…. https://t.co/9lBjuk4TxT
連日のあれこれ見たくも無く閉じてたことを後悔します。先生の無念さをファンも理解してること、テレビ局の内部のドラマ都合か様々意見はあるけれど、先生が苦しむべき事じゃない。先生の作品が大好き人物描写が大好きで大好きだ!と1ファンとして励ましたかった。悲しすぎる。
— 羽生理恵 (@yuzutapioka) January 29, 2024
セクシー田中さんはタイトルが奇抜で躊躇したのを即後悔したくらい大好きな作品でした。コミックの中の人物像はどの人も共感できる部分を持ち、どんどん感情移入していって田中さんの頑な心がほぐれていく過程で自分も一緒に過去のわだかまりが解けていく様な喜びが感じられる作品でした。感謝してます
— 羽生理恵 (@yuzutapioka) January 29, 2024
「先生の作品が大好き人物描写が大好きで大好きだ!
と1ファンとして励ましたかった。」
大好きな作品を生み出してくれた作家の先生に対する敬意が
感じられる言葉ですね。
こちらは原作者の最後の言葉です。悲しいです。
むかしの話ですが、脚本家・倉本 聰が自身の脚本を
著書として出版していました。
脚本がそのまま著書になるということは珍しかったので
その真意を尋ねられると、
「テレビドラマが完成すると台本は丸めて捨てられてたりする。
それが耐えられなくて形にしたかった」・・・と。
原作者とテレビスタッフには
それくらい意識の差があるものなんですね。
こんな話も聞きました。
「テレビ局は借りた資料を返さない。破損・紛失しても謝らない」という話がありますが、『セクシー田中さん』の件はそれと同じだと思うんですよ。芦原妃名子先生の作品を「お預かりしている」という意識の欠如。原作への愛や敬意といった話ではなく、人として守るべき最低限の礼節やルールの話ですね。 pic.twitter.com/bD8KeDhs1b
— 楽蛙 (@Timeline_Frog) January 28, 2024
そういえば、自○された方の遺書を預かりながら、
返さなくて音信不通になってる新聞記者もいましたよね。
テレビ・新聞というのは、
そういう世界だということです。
こんなに悲しい青空を、
ぼくは見たことないです。