倉田真由美氏といえばサヨクの頓珍漢オバサンなんですけど

今回はまともなことを言っています。

 

 

例のDJ SODAがアホなことを言っていて(こいつの話好きやなあ、お前!)、

エロい服を着てるくせにエロく見られたくないとか

ほざいてたわけです。

 

「私は自分が着たい服を着る自由があるし(はい、その通り!)、

誰も服装で人を判断できない」(DJ SODA)(←これがアホ!)

 

倉田さんは、

「服を選ぶのは自分。センスも、自分をどう見せたいかも、

その人の考え方から出てきたもの。何を着るか自由だからこそ

その人らしさが出るし、『ファッションは自己表現』と言える」と指摘。

「服によって『どう見られるか』は、自分が引き受けなくてはならない」

・・・と。

 

 

むかしアホな若い奴が好きな服を着て何が悪い!

差別するな!・・・みたいなことを言ってたのですね。

 

聞いてる方が恥ずかしくなるのですが・・・。

 

「差別」というのは本人がどうしようもないもの、

たとえば肌の色とか民族とかによって「する」もので、

服のことを批判されてもそれは、お前の趣味が嫌いだ!

・・・といわれてるだけで、当たり前によくあることなのです。

 

 

DJ SODAというのは、相当頭の悪い奴ですね。

まあだいたい見かけの通りということです。

 

 

 

 

倉田さん、どこを押したら「まともスイッチ」が入るのでしょう(笑)?

普段はかなりお花畑な人なんですけど、ね。

 

オウムの話になったら突然まともになる江川紹子さんと同じですね。

でも倉田さんのスイッチがどこにあるのかは判りません。

 

 

 

よく、人は見かけで判断してはいけない!

なんて言いますよね。

 

でもあれは、すごく失敗した時のごく稀な例なんですよ。

普通は見かけで判断して、そこそこ上手くやれています。

 

むかしどこかに書いたぼくの好きな話ですけど、

「人は見かけで判断されたがってる」と思うのですよね。

 

「見かけ」というのはある程度自分で作れて(失敗してる人も多い!)、

自分はこういう人なんですよ、という自己紹介になってるんですね。

 

だから「見かけ」で判断してあげていいものなんですよ。

・・・騙されてることも多いけど(笑)。

 

 

「見かけ」は自己紹介を省略するための方法なんだろうと

思っています。

 

 

たとえばぼくみたいに普段から汚い格好をして歩いてる奴は、

格好を気にしない人なんだろうと思われる訳です。

 

それでいいのですよ。

間違えても「ファッション」のことなんか、

ぼくに訊かないでください(笑)。