1989年は千利休の記念の年だったらしく、この作品ともう一本、

『千利休 本覚坊遺文』という作品が作られました。

生誕だったか、没後だったか、何かの記念だったと思います(ウロ覚え)。


でも、2本ともあまり評判はよくありませんでした。


学校に行ってた時、歴史の教科書で見て、どうも納得がいかなかったのが、

千利休の切腹です。なんで?という感じです。侍でもないのに・・・。


その理由が知りたくて、ぼんやりみてました。


千利休が三国連太郎、豊臣秀吉は山崎努です。

他にも有名な人がたくさん出ていて、岸田今日子さんと

山口小夜子さんが見られたのが、ぼくは嬉しかったです。


さて、その利休の切腹の理由なんですが、

この作品では、2つの理由が挙げられてました。


一つは、利休の木像を山門の2階に設置して、

秀吉にその下をくぐらせようとした、というものです。

今の人間には、理解しがたい話です。


もう一つは、利休が秀吉の大陸進出を批判した、というものです。

こちらの方は、ホントだとしたら切腹ものでしょうね。


ちょっと調べてみると、他にもいろいろ理由らしきものはあったようですが、

はっきりしたことは、わかってないそうです。


晩年の秀吉には、理解しがたいことがいろいろあったようですから、

利休に切腹を命じたというのも、その一つではないかと思います。

それにしても、利休の趣味と秀吉のそれはあまりにも違い過ぎるようです。

ドラマや映画で見る限り、の話ですけれど。