父 | キラリのサクセスストーリー

キラリのサクセスストーリー

こんにちは、キラリです。
リストラ通告を受け這い上がるまでのサクセスストーリーです。
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父・1992年49才死去

 

父はDVで、私たちきょうだいは物心ついたときから

母をボコボコにされるのを見てきた。

 

みんなで旅行に行っているときも、車を運転しながら助手席の母をぶん殴った。

母の頭が窓に当たった音も覚えている。

 

歩いているときも、お店でも

「なんだとぉ?」

と母がよろけたり倒れたり転んだりしても殴り続けた。

 

私たちはただ何も言わず、見て見ぬふりをしていた。

 

父は私たちも殴った。

 

私が部屋で勉強していて、父が私に話しかけたのかな?

覚えていないけど、気がついたらみぞおちを殴られていて、

私はけいれんした。

気がついたらそこにはもう父はいなかった。

 

突然、足に強烈な痛みというか熱さを感じた。

瞬間的にそれを払いのけようとしたら、父が私の足にたばこの火を押し当てていた。

「そこどけ」

と言われた。

 

私は父が死ぬまで父と目を合わせたことがない。

話しもしたことがない。

 

子どもの頃の写真を見ると、父が私を抱っこして楽しそうだけど覚えているのはそれじゃない。

 

父が病気になって、お見舞いに行ったとき、ポカリスエットを買って持って行った。

そのとき初めて「ありがとう」と言った。

 

退院すると、私に「一緒にお墓参りに行こう」と言い出し、行った。お墓参りなんて行ったことなかったのに。

「会社にも送って行ってあげる」と突然優しくなった。

病気になって怖くなったのか、その頃から家に帰ってくるようになった。

 

家ではほとんど寝ていた。

 

本人には伝えていなかったけど、家族には余命を知らされていた。

 

母に苦労をかけ、子どもたちとのコミュニケーションもなく、

最期にやっと丸くなった父。

 

でも遅かった。

亡くなって30年以上経つけど、父のことで思い出すのは、母を殴っていたときと、私が死ぬかとおもうほど殴られたこと。

 

私が父を尊敬しているのは、一代で会社を興したこと。

自動車修理、販売の会社を興し、病気をすると規模を小さくして塗装の会社に転向した。

 

会社に勤めたことのない、そして学歴のない父は自分でやるしかなかった。

 

そんな父を尊敬している。

 

その塗装会社を中卒(いや、正確には小卒)の弟が引き継いでいる。