今朝から雨が降っていて、少し憂鬱な気分になります。雨の日の月曜日は一年のなかで最も嫌いな日の一つです。


昨日は飲みに行ってました。それはとても楽しかったです。『ウメ子の家』で飲みました。ウメ子の家は個室になっていてとてもきれいでした。ぜひみんなウメ子の家に行ってみましょう。とてもくつろげる空間ですが、残念ながら家庭的な雰囲気ではありません。



やっぱり俺駄目です。なんか、やっぱり心のどこかに他人を信じきることが出来ない部分があるんです。心をどうしても開ききることが出来ない。それを開くにはある程度の時間が必要だ。あるいは何かきっかけになるようなことがなければ。いつも誰かを傷つけてばかりです、そこにたとえ悪意がなかったとしても、傷つけた事実に変わりはなく、それは決してあってはいけないはずなのです。

が、現実はそうはいかない。俺の心にはいつも悲しい部分が存在しています。それが自分でも(おそらくとしか言えないけど)わかっていて、でもそれをどうしようもできなくて、いろんなくだらない言葉で煙に巻こうとしてしまう。目の前の大事なものを直視するのを回避しようとする。それも多分俺は自分のことが一番だと考えているからなんだろうな。

今こうしているのだって、自分の過失を抽象的ななんとでも取れるような文章にすることで、自分の中だけで問題を消化しようとしてるだけなんかも知れない。そんなことを考えていると、もう俺はどうしようもない人間なんじゃないかと思えてしまう。どうしようもないってつらいよな。どうしようもないんだもん。

若干今鬱の気があります。昔お前は躁鬱病じゃないのかと言われたりもしたけど、まぁ何とか生きてきています。


最近自分を見失いつつあるのがわかる。前は一つの信念のようなものがあって、日常生活その他もろもろはその信念によって貫かれていました。でも最近はその考え方もかんなり変わってきてます。やっぱり年をとったからかな。まぁたかが20年も生きてないような奴が年とったとらないの話なんてできるわけないけども。それを進歩とるか、退化ととるか。でも少なくともそれによって僕は得はしていない。


誰かを好きになるって、なんなんかなぁ、いや、これは文学部的には重要なテーマであったりするんだぜ。俺はそう文学部なんです。プロフィールには書いてないけどね。まぁいいんじゃないかな。

まぁなんで突然そんなことを書いているかと申しますとね、えぇ、わからなくなってきたんだよね、いろんな事が。

誰かに向って思いっきり好きだと言いたい。誰でもいいわけじゃないよ。とにかく今は自分に強く納得がいかないし、納得のいく存在を強く求めている。それにしても俺は卑怯な人間だ。あぁもう飛んでしまいたい。I can fly. 誰だって空ぐらい飛べるって。今すぐにでも、屋上の手すりに足をかけてみろよ。



今日は温泉に入ったよ。一ヶ月ぶりに湯舟に浸かりました。めちゃめちゃ気持ち良かった。びっくりした。寝そうになりました。湯舟で睡眠=気絶らしいので気をつけましょう。いやーでも本当風呂は気持ち良い。今日は良く眠れます。

体重が大学入学当時から10kg以上減りました。今日ユニクロへ行ってボトムスを試着したんやけど、ちょっと恥ずかしい話、昔々はウエスト36とか34でした。だいたい90cmくらい?今は31です。80cmくらい。やべえーやせたー。嬉しいけど、健康上問題はないんやろか。ちょっと心配やなぁ。

余談やけど、最近のユニクロめちゃかわいいです。ミッキーマウスのTシャツと、チェックのベストを買いました。岡山に帰ったら、クロップドパンツを買う予定。てゆーか実家に帰ってまた服が増えた。靴も。



今日たまたまライトオンに行ったら、俺の敬愛するバンド「NIRVANA」のヴォーカル、カートのTシャツが売っていまして、即買いしてしまいました。また近々着ます。

カート・コバーン(正確な読みはカート・コベイン)は1990年を代表するロックバンド「NIRVANA」(ニルバーナ)のヴォーカルで、僕は彼の音楽(厳密にはニルバーナの音楽)はもちろん、彼の生き方に感銘を受けました。とにかく僕の目にはとてつもなくクールに映ったよ。
理由があって、彼は若くして死を選んだ。それが彼にとって正しい選択だったかどうかはわからない。あくまでも死は結果であって目的でもなんでもない。しかし結果としてそれによりニルバーナは事実上解散してしまって、ニルバーナは伝説のようなものとして語られるようになった。ある意味では、悲しいことだと思います。

有名なアルバムは『Never Mind』。でも熱心なファンはこのアルバムを嫌うようです。が、僕は好きです。それがどんな意味合いを持つアルバムであれ、優れた音楽は優れた音楽だと思うので。

何か最近全然トロンボーンの話書いてない…ロック熱はまだおさまらないです。

超どうでもいい話します。


僕は個人的に「レタス」って言葉が好きです。「レタス」という言葉の響きは僕に近未来の機械を想像させます。ということで即興で考えた話をさせてください。


 近未来最先端の建築技術によって設計された実験室。そこに置かれた一つの「レタス」。何に使われるのかは我々には検討もつかない。白衣を着た男が「レタス」の前に立った。彼はとても深刻そうな目で「レタス」を見つめた。「レタス」は小さな灰色の箱型の機械で、金属で出来ており、その特有の鈍い光沢のせいか、とても重たく丈夫そうに見える。上から見るとカラフルに色分けされた沢山のつまみがついている。白衣の男がそのつまみを一つ一つ丁寧に回していく。
 一つでもつまみの回し方を間違ってはならない。白衣の男は真剣な顔付きでつまみを回す。まるで分厚い机に伏せられたカードの模様を透かし当てようとするかのような目つきで。
 最後のつまみを回し終えると、男はそのままじっと「レタス」を見つめた。どうやら男は何かを躊躇っているらしい。つまみを正しく回せば、後は側面にある黄色い小さなボタンを押すだけだ。男はこの作業を何度も何度も経験している。全てのつまみは正しい角度に回されている。しかし、何度もこの作業を経験しているのにも関わらず、今だに彼はこの作業がいったい何を意味しているのか、全く知りはしなかった。彼はボスに言われた通りに従っているだけに過ぎなかった。「レタス」が何のために作られ、この一連の流れの果てに何が起こっているのか、彼には何一つ知らされてはいなかった。男はその日だけ、何故か迷っていた。「レタス」からは細いコードが一本だけ、不気味な寄生虫のように、壁にあいた穴へ向かって伸びていた。男はそのコードの向かう先をしばらくの間見つめていた。いったいこのコードの先には何があるのだろう。いったい何が起こっているんだ。私はここで何をしているのだろうか…。男は長い間、「レタス」の前で立ち尽くしていた。
 しばらくして、白衣の男はその黄色いボタンに手を伸ばした。また今日も男の業務は果たされた。明日も明後日も。そして結局、男は「レタス」の意味について、それ以降も何一つ知ることはなかったし、男も「レタス」について余計な事を考えるのをやめてしまった。