夢って何だろう。それがただの作りものだったとしても?


もはや毎月更新みたいな頻度ですね。すいません、めんどくさがりなもので……。


最近は悲しい曲や小説を立て続けに読んでて、若干ナーバスになっています。

最近読んだのは、F.S.Fitzgerald 『The Great Gatsby』、これは大学の講義のレポートのテーマとして読みました。かなり精読いたしまして、この本から僕はいくつかの大切なことを学んだ気がします。

でも、基本的に僕らが文学作品を読んで、何か細かい教訓めいたものを得ることって、なかなか少ないような気がします。そこから得られるものはいつも何か漠然とした知性であったり感覚であったりしませんかね……。それがいったい何なのか、言葉によってきちんと分類すれば、また違った意味合いになって気もしそうです。書いてて自分でもどういう意味なんかよくわからん。まぁ仕方ない。


『グレート・ギャツビー』に出てくる登場人物は、みな西部の田舎から東部の都会に出てきた。彼らはそこでアメリカの夢をみる。あるものは果たされなかった長い夢を取り戻そうとわが身を飾り立て、あるものは都会の生活の中で他人を顧みない、自分勝手な、思慮に欠けた人々となる(彼らの中には生まれつきそのような傾向が備わっていたとしても)。そしてあるものは深い落胆と同情とともにもといた西部へと帰っていく。

夢という幻想は日を追うごとに僕らの中で肥大していき、いつしか現実を超越する。それはもはや現実めいた非現実でしかない。彼は、ギャツビーは長い夢を見すぎていたせいで、高い代償を払わなくてはならなくなった。彼はバラの花がどれだけグロテスクなものかを知り、生えそろわぬ芝生にとって太陽の光がどれだけ荒々しいものかを知って、身震いした。

夢はいつも現実の前にはかなく崩れ去っていく。いや、むしろ逆に現実の方こそ、ほんの些細な夢にすら耐えられないほど脆弱なものなのかもしれない。


あれ……なんかとてつもなく暗くなってしまった。


コメ返→「緑」さんコメントありがとうございます。なんというか、僕の本当に個人的な話をすれば、RADWIMPSは2ndのころの方がどちらかというと好きです。若さにあふれてて、とても楽しいアルバムでした。もちろん「4」「アルトコロニー」にもいい部分はたくさんありますが。変化はやっぱりメジャー・デビューっていうのが関係してるような気もしますねー。求められるものがインディーズとメジャーでは若干違んでしょうかね……リスナー的にもレーベル的にも。まぁその変化も楽しいっちゃあ楽しいですけどね:)




何について書こうかな。あ、最近のRADの話。



 僕はRADWIMPSというバンドが大好きです。彼らは、僕が中学生の頃、つまりインディーズから少しずつメジャーに進出してきていたころからのファンです。彼らの温かく、パワフル、なおかつ若干のシニカルを含んだ歌詞、そしてどこか人を食ったような独特な曲調が好きでした。最近は音楽的にも磨きがかかり、人を食ったようなメロディーが一挙にアーティスティックな技巧をこらしたサウンドに変わりました。やはり好きですRADWIMPS。

でも一番新しいシングルには賛否両論が多いようです。まぁ大体のアーティストのニューシングルには何かしらの難癖が付けられるようですが。と言っても今回に関しては批判している人たちの気持ちもいささか分からなくもない今日この頃。


 やはり昔のRADWIMPSと今のRADWIMPSとは、時代が違えば内容も違います。その変化が、言い換えれば進歩であったり、あるいは退化であったりします。ただ、ここで大事なのは、どこまでいっても芸術の退化、進化はあくまで個人の見解の範疇ではなかろうか、ということです。確かに、RADWIMPSの新曲は以前に比べて、誰にでも共感しうるわかりやすい大衆的なテーマを扱ったり、同じフレーズのリフレインが多かったりと、昔の作品と比べて明らかなメジャー色が強くなった気がしないでもないですが、それはただの一側面。たとえば、芸術は技術である、というスタンスからもってすれば、どこをどう考えても、「ハイパーベンチレイション」は名曲の一つになりえるでしょう。それに、「マニフェスト」にしたって、あそこまで馬鹿らしいくらいに赤裸々な歌詞を書くなんて、最近の他のロックバンドにはなかなか見られない、新しいRADWIMPSの個性があると思います。


 まぁ長々と何が言いたいかと言えば、音楽の趣味なんて人それぞれ。RADWIMPSは彼らのいいと思った曲を着々と作り出していきます。それが嫌だと思えば、リスナーを降りればいい。「RADWIMPSって、こういうもんだよね、こういうべきであるべきだよね」とかいうのをリスナーが安易に決めつけちゃあいけないと思うんです。あくまでも彼らはまだ生きていて、いろいろ試行錯誤したりして新たな曲を書いているのだから。


 でもまだ僕はRADWIMPSのリスナーを続けてみようと思います。まぁ好みに合わなくなてしまったら?それはまた新たなアーティストを探しましょう。なんだかそれも少し、さびしい話だけれど。



久々に久々に更新。



ここ最近とても忙しかったです。岡山県大学吹奏楽フェスティバルという大きな演奏会があり、それに向けて日々修練を積んでいました。後輩に馬鹿みたいに上手いのが入ってきたので、もう何とも言えない気分です。でも本当にいい刺激になっています。おかげで毎日練習楽しいです。楽しすぎて単位が危ういです。そんな毎日です。


そんなに書くこともないんだけど、最近は……何があったかな……たくさんいろいろありすぎて、どれを書こうか迷います。

大フェスを筆頭に、新歓飲みとか、逃走中とかいうイベントもありました。楽団内で大学の敷地でそんなことまでしてしまいます。足腰筋肉痛。あれを毎日やったらきっとやせるな。しかし次はまだまだ先でしょう。


文学を最近全然読めてない。やばい、何とかしないと。そしてもう寝ます。


近々短い小説を一本書こうかと思います。一度、上手くいくかは分からないけど、何かがかけそうな気がする。

芸術家とヒステリー患者は、表裏一体なんだそうな。溜まった感情をいかに技術によってて「美」に昇華するか。芸術って、そんな世界なんだと思います。


ちょっと道路に関する短文を書きたいなと最近思いまして。まぁ短い話ですが。



 道路に描かれた白線の上を歩いていた。平均台か何かを歩く時みたいに、両足が線からはみ出ないように注意しながら。白線は道路にそって途切れることなくどこまでも続いていた。足は淀むことなく単調に前へ出されていった。それはそんなに難しいことではなかった。線と線の外との境界なんて、あってないようなものだった。足が境界からはみ出たところで、そこに何の意味もなかった。もしもその線が地面からずっと遠いところにあって、少しでも足を踏み外せばまっさかさまに落ちるようなものであれば、きっと一歩も前に進めないだろうと思った。意味がないからこそ簡単な歩みだった。退屈だった。ためしに、足元の白線が地面からぐっとせり出して、ずっとずっと高く遠くなった線の上に一人で立っていることを想像した。小さくなった人家や、細くなった河、縮こまった山を見下ろした。しかし、それでも両足を白線から踏み外すことはなかった。それはあくまでも想像力の世界での話だった。実際のところ、白線は地面にべたりとこびりついたままだし、家の屋根は高く、河は広く緩やかで、山の木はどこまでいっても生い茂っているように見えた。きっと自分には想像力が足りないのだと思った。自分もいつか両足を白線から踏み外し、まっさかさまに落ちていくことが出来るようになるだろうか。そんなことを考えている間にも、両足はなお単調に前へ前へ進んでいった。それからしばらくすると、両足はいつの間にか白線からずっと離れていた。気にせず黙々と歩くことにした。


久しぶりにブログを書きます。いや、ここんとこ忙しかった。いろいろしないといけないことがたまっていたりして、もうパンク寸前でした。今日やっとそのうちの2つをさばくことが出来て、ほっとしています。二限も休講になったし。これから図書館へ行こうかな。


明日から赤穂にてアンサンブルを吹きに行きます。長い間溜めこんできた「トロンボーン5重奏」。ソロがあるんですが…不安です。手が震えます。まぁ、頑張って吹いてきます。


最近ツタヤに行ったら、「FOALS」ってバンドのCDが置いてました。イギリス出身の比較的新しいロックバンドで、昔からアルバムを聴きたいと思ってたら、入荷してました。レンタル万歳。これがまためっちゃいい。「antidotes」(解毒剤)って名前のアルバムなんだけど、ロックとは言いながらもサックスやトランペットみたいなホーン楽器を使ったり、高音のフレットを多用するとか、ちょっと普通とは違う独特なサウンド。ヴォーカルも独特。メロディもどこかオリエンタルな雰囲気で、それでいてダンサブル、しかも極めて技巧的。ギターのリフもそうだけどベース・ドラムもいい…。youtubeにも上がっているので、興味があればぜひ。


さて、これから図書館で志賀直哉についての発表を準備してきます。