葛藤・開放・煙・飛翔 自由!"ミュージカル SMOKE 2024” | pichtyoの好きなもの

pichtyoの好きなもの

天下みな美の美たるを知るもこれ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善のみ。・・・・・。
(老子 道徳経より)

本日はまたまた“ミュージカル SMOKE”を観に浅草の九劇へと行って来ました。
 
今日の昼公演の出演者は
初日と同じとの事で、
かの日に参加できなかった私にとっては
何となくのやったー!感がある。
だってさ、好きな役者さんの初日観て中日観て千穐楽を観たいんだもんね!!
 
「初日からの時間の経過が役柄をどんなに熟成させているのか。」
そういった変化も感じ取りたいのだがこの“SMOKE”は、
"役者さんの組み合わせ&競演を愉しむ”という側面もあるので、
おそらくきっと、
どの役者さんをどのタイミングで観てもこちらの感情をガッツリと揺さぶってくる
見応えのある作品内容となっているのだと思います。
  
私は本日の回で、三者の表情に寒気を覚えましたよ。
 
紅(加藤梨里香氏)の「海も超も死なせない。何としても生かす。」と、
「なにくそ!二人を絶対に救い上げるんだ!」という気迫のこもった目の表情。
あれには震えが走ったよ。
 
余りにも真剣で、鬼気とした想いと願いが差し迫って来て戦慄いたよ。
愛と憎しみと希望と絶望とでもって、海と超を守り導こうとする様が切なかったよ。
滾る赤い血潮の昂りで「死ぬな。生きよ。」と鼓舞する紅。
背中には
揺らめく赤と青の炎が見えた気がした。
 
 
海(日野真一郎氏)の無垢な子供の顔と、
自分が何者か思い出した後の牢獄での海=キム・ヘギョンの虚無な顔と、
煙となって飛んでいこうと統一人格になってまた詩を生み出す芸術家の顔と。
 
歩き方も違って。佇む姿も違って。
歌声も違って。
全部が違って。
 
三人格脳内葛藤をし終えた後の疲れ切ったキム・ヘギョンの虚脱感は、
肺結核という病に侵されている現実の姿をリアルに描き出していたと思う。
だって喘鳴もずっと聴こえていた。
 
海を表現することは
そりゃあ大変難しい事だと思うけれど、
それに挑戦している日野さんの姿はとっても眩しい。
 
 
超(大山真志氏)の目の奥には愛と哀しみがある。
 
能面の様な無の表情をしていても、
葛藤の渦の中、
三者激しく感情をぶつけ合っていても、
海と紅の戯れを目にしていても、
もう終わりにしたいんだと
胸の内を紅に吐露していても、
海に自分が誰で、
何者かを思い出させようとしていても、
 
超の目の奥は哀しく濡れ、
愛しく輝いていたと思う。
 
理想の人格“超”として、
鏡の中に逃げ込んだ海の代わりに厳しい現実の世の中と対峙していく存在。
強く鋼の様に断固として、
世にキム・ヘギョンを知らしめようとしていた"超”という人格。
 
消えてしまう煙の様な自分は、死ぬことも出来ない。
まして、海の代わりになり得ずなりたいわけではなく。
 
ただ、“海”を深い底から引き上げ、この世に自らの足で再び立たせ現実に向き合わせ
生きさせたかっただけなのだ。
 
歌も演技も力技のようでいて実はとても、繊細な目の表情をしておられると思いました。
 
 
全身全霊で海を救い上げようとする"紅”と”超”が美しく輝いていて、
三者をその身に内包している統一人格キム・ヘギョンには、
どこまでも自由に飛んで欲しいと思いました。
 
良い舞台を観られて幸せです。
ありがとうございます。