「~に決まってんだろ」などと不用意に決め打ちするような発言をしてしまうと、「それはアンタの個人的な意見でしょうが!」と、どこからだかよく分からないところから(コレがホントにタチ悪いんだよ)恐ろしい数の石を投げつけられる昨今。

んでそれが恐いから話のケツには「~と俺は思うけどなぁ」なんて自信なさげに一個人の考えることでありますと殊更に強調しなければならない。

何じゃコレ?
自作自演的で気持ち悪いわ、こんなもん。

皆一様に自分の発言の責任を負うことにビビっちゃって、当たり障りのない通り一辺倒のしょーもない言葉でお茶を濁す。
公序良俗とか何とか世間はやかましいから好きなことも言えないのだ。

まぁ芸能人とか人前に出る職業の人ならそれも分からんでもない(それでも最近は自粛し過ぎのような気はするが)。
しかしその空気感がもはや一般人にまで浸透してしまっているのにはいささか疑問を感じる。

だって、テメーらトーシロが何を言おうが誰に何を言われることがあるの?
そんな影響力なんてあるわけないやろがい!
勘違いしてんじゃねぇよ、と思ってしまう。

今や好き勝手言って騒いでる現場なんて居酒屋(良い例)かネット上(悪い例)ぐらいでしか拝むことができないんじゃなかろうか。

こんな時代だからか、たとえ間違っていようが、自分の中でまとまりきっていないような曖昧な意見であろうが、ズバッと決め打ちで言い切ってしまうことに美しさすら感じてしまう。


そんな美しさを感じた、印象的な"決め打ち"を紹介したい。

バナナマンが自身のラジオで出川哲朗氏をゲストに迎え、ブサイクサミットなる企画を放送した回で、話題が合コンでの立ち振舞いに移り、日村さんが普段からよく言っている「もし合コンでイチローが同じ場にいたら一次会は負けるけど、二次会三次会になったら分かんねぇ」という発言が話題に上った。
そして日村さんは出川氏に同意を求めながら
「イチローは二時間経ったらつまんないっすよ。どうせカッコつけた感じで野球の話ばっかするし」
などと言い、その後妄想トークは加速度を増し、ピークに達した時に、その"決め打ち"は日村さんの口から勢いよく発せられた。


「芸人の方が最強なんだっての!」


何だろうか、この爽快感は。
あまりにも感情が入り過ぎると、"最強"なんていう寧ろ稚拙な表現になってしまうのだろう。
この決め打ちで、その人の考え方の根幹たりえるものに少し触れた気がする。
決め打ちには知らぬうちに人と人とを繋ぐ仕掛けがあるのかもしれない。


そこで私も決め打ちをさせてもらう。

「エロDVDなんて言葉は存在しない」

どうだろうか?
説明をしてしまうと粋ではなくなるが、あまりにもキョトンな状態が予測されるので今回は特例で(何の?)させていただく。
つまり"エロ"の後ろに付く媒体は"DVD"ではないってこと。
"エロ"の後ろに付く媒体は"ビデオ"か"本"以外には存在しないんです!

私はエロに対して貪欲だし、探求心も人並み以上にある方だと思う。
そんな私が思うにエロに必要不可欠なものとは、背徳感とアナログさである。
明るいオナニーなんてなくていいし、明るいセックスも然り。
エロがハイテクでどうすんだ馬鹿野郎!
インターネット全盛の時代で、まだ亀甲縛りなんて古臭いことやってるからこそいいんじゃねーかよ。
DVDなんてものはアナログからは程遠いでしょ。
よってエロからも程遠い。
DVDが存在する今だからこそビデオというアナログな(エロな)媒体が映えるのである。
たとえアダルト作品がDVDやBlu-rayになろうとも、呼称は"エロビデオ"なんです。
もうホントに統一してくれ、これだけは。

あとは単純に語感の問題。
エロDVDって何か語呂が悪い気がする。
エロビデオって言いやすくないですか?
そういう意味でも"エロビデオ"は文句のつけようのない仕上がりだ。

長くなりましたがご清聴ありがとうございました。
「ユニコーンのアルバムで一番好きな作品は?」なんてアンケートがあれば、一般的には『服部』か『ケダモノの嵐』に票が集中するだろう。
今までも雑誌で何度かそのような記事を見たことがあるが、結果は言うまでもなくその通りだった。


分かる!、『服部』がそれまでのユニコーンのアイドル路線からの脱却を見事に成功させ、メンバー各々の個性を反映させ、今後の活動の方向性を決定付けた、ユニコーンを語る上でなくてはならない作品だっちゅーことは死ぬ程分かる!

『ケダモノの嵐』が、前作『服部』の成功によって認識されたユニコーンの世界観そのままに、暴走と行っても過言ではないほど突き抜けた、評価されて然るべき作品だっちゅーことも分かってるんだっつーの!


そこまで分かっているのに私は絶っっ対に一番好きな作品は『PANIC ATTACK』だと思うのである。
しかもダントツで。

勿論その他の作品も好きですよ。
もう『服部』の「パパは金持ち」~「君達は天使」なんて何百回聴いたことか。

でも『PANIC ATTACK』なんです。
それは何故か?
ダサいからなのです。
私が音楽の良し悪しを決めるときの一つの基準として"ダサさ"は割りと重要視しています。
まぁただただダサいだけのものが良いかっていうと、そうでもないのですが…。
ダサさがカッコよく見えるものが音楽には存在するのです。
それは勿論、発売当時は最先端だったとしても、時代の流れとともに流行は変わり、今聴くとダセぇってなこともあると思います。
本当に良質な音楽というのは時代なんて関係ないと思います。
だから時を経てダサいと感じるものは初めからその要素を持っているものだと思うのです。
そんな良質な音楽も確かに凄いと思います。
しかし、ダサいものには何かこう、不完全であるが故の人間の業のようなものが透けて見えやしませんか?
そんなダサいものを声高に歌われた日にゃ、もう聴いてるこっちとしては勃起モンですよ。


ユニコーンの場合1st『BOOM』は(現在の楽曲と比べると)エグいぐらいアイドル路線バリバリで、カッコのつけ方がハンパじゃない。
このアルバムから現在の奥田民生の片鱗を見つけられないこともないが、そんなもんは小うるさい音楽評論家気取りの野郎がすることであって、所詮は無理矢理探してるだけだ。
ごくフツーに音楽を聴いてる人間からすれば、このアルバムを聴いて今の奥田民生とリンクする部分など一つもない。
それぐらいに現在のスタンスからは乖離しているのだ。
「Pink Prisoner」とか「Sweet Surrender」なんて曲が収録されてるぐらいなんだから。

それに比べて2nd『PANIC ATTCK』は現在のスタンスも充分に感じ取れるような歌詞が多く見られる。
要するにダサさと独自性のバランスがちょうどいいのだ、私にとっては。

『BOOM』はモロにダサくて野暮ったいが、『PANIC ATTACK』は(『服部』で)開花する前夜の迷走のようで堪らないのだ。


この話ご理解いただけるだろうか?
まぁ要はバランスですね。
ただダサいだけじゃなく、後の可能性を感じさせる、アーティストとして開花する前夜の感じは何よりカッコいいと思ってしまいますね。
まぁ個人的にはってことですけどね。
クサレ外道とはなかなか凄い言葉だと思う。
「外道」でも相当許しがたいようなニュアンスを感じることができるが、そこにさらに「クサレ」ときてるもんだから、そりゃもうただごとではない感じがする。

それに比べて「ピーチパイ」とは何て呑気な言葉だろうか。
頭に「浮気な」なんて付けてしまえば、もはやケチのつけようのないぐらい腰砕けなニュアンスを感じとることができる。
蛇足だった…。


クサレ外道の定義とは何か?
私が思うに、太刀打ちできない権力を盾にそれを行使することではないかと。
そんなことを考えていたら、昔の思い出が甦ってきた。

あれは今から13年前、私がまだ小学5年の冬のこと。
近所に乱立していた、今や廃れゆく文化となりつつあるビニ本の自動販売機。
そこに人生で初めて、500円玉を握り締めてドキドキしながらビニ本を購入しに行きました。
夕方過ぎのクソ寒い中、かじかむ両手を擦り合わせて、自販機の前で小一時間あれでもないこれでもないと悩みました。
そして遂に購入に踏み切ろうと500円玉を投入したが、思春期故の優柔不断からまた悩み出したのです。
そして取り敢えず一旦保留にしようと思い、コインの返却レバーを回し、釣り銭が落ちてくるポケットを確認すると、そこには、あるはずの500円玉はなく、なぜか100円玉があったのです。
もう小5の脳味噌のキャパシティーを超えた出来事にただただ立ち尽くした。
当時の小5にとっての500円といったら、そりゃもう月賦ぐらいの感覚なわけですよ。
それが機械を通しただけで手品のようにすり変わるとは…。


今日のワンクリック詐欺なんかもそうだが、"エロ"という何故だか後ろめたい事柄に託つけて、儲けようとする鬼畜よろしくな輩ども。
その被害者が小5ともなれば罪の重さは20倍はくだらないと思う。

これをクサレ外道と言わずに何と言おうか。