もう飽きたわ。
このシーズンなんかは特に皆さんも参加する機会が多かろうと思われます飲み会。
何べんでも言うたるけど、飽きたわ。

いやね、そんなにめちゃくちゃ飲み会に参加するタイプでもないから、飲み会自体に飽きたと言ってるわけではないんですよ。
飲み会で毎度毎度繰り広げられる茶番に飽きたと、こういうわけで御座いますよ。

ボクはそもそも飲み会なるものがそんなに好きじゃない。
2~3人で飲みに行くのは好きなんです(2~3人だと飲み会って感じでもないが)。
でもそれ以上の人数になるとどうも好かんのです。
飲んでる最中はそれなりに楽しかったりもするんですが、家に帰って冷静になった時、オモロかったなぁ~と思ったことなど殆ど無い。


で、これは何故なんだと考えたところ、答えが出ました。
ボクがこれまで参加してきた飲み会というものは9割方が同じパターンなんです。
誰か1人がターゲットになって、ソイツを3~4人掛かりで弄くり倒して、大衆の前に吊るし上げる。
特に男女混合の飲み会の場合はそれが酷いこと。
それは勿論コンパとかも含みます。

ボクはね何もこれがイジメ云々とか道徳的にどやねんとか、そんなことを言いたいわけではないんです。
何なら自分も弄る側でメチャクチャしてる時もあるしね(たまにボクがそのターゲットになる時があって、それだけは腹立ってしゃあないけど)。

そういうことじゃなく、もうその構図に飽きたんじゃボケェってこと。
だって安易やもん。
自分も散々やっといてからこんなこと言うのも何やけど、しょーもない。
で、見てたらそういうことしてるのって男だけやね。
女の前で自分のオモロさアピールしようと必死やねん(ボクも含め)。
だから目先の安易な笑いばかりを拾おうとする。
数打ちゃ当たるってな感じでね。
第三者の目で見たら怖い時あるよ。
何かに追い立てられるように小さな笑いを拾い集めとるからね。
そんなんもうええわ。


でまぁ、こんなことぐらいでイジメとかは全然思わんけど、たまに気の弱い奴とかは弄られる度に死刑囚みたいな顔してる時があって。
それとは真逆に弄ってる側は大阪時代の圭修のようなノリノリ具合で。
全く素敵!じゃないKEI-SHUアフター5が繰り広げられとるわけですよ(大して上手くないね)。
そんなんも含め、しょーもない。


あ~もっとピースフルに飲みたいわ~。
誰かを吊るし上げるだけが笑いじゃないもん。
もうその構図は飽きた。
結論、女子会の方が100倍マシ!
以上!
めちゃめちゃ今更ながら鶴見済の「完全自殺マニュアル」を読んだ。
内容は知ってる人も多いと思うが、ありとあらゆる自殺の方法が淡々と紹介されているだけ。
そいでまぁ読み終えたら多少なりとも自殺について考えますわなぁ。
そしたら思い出したことがありまして。


数年前に雑誌SPA!の連載コラムで、漫画家の江川達也が未成年の自殺について書いていたことがあった。
細かい内容などは覚えてないが、未成年の自殺を止める為には「我慢して生きればセックス出来るんだぞ。セックスって超気持ちいいんだぞ」と教えてやるしかないみたいなことを書いていた。

読んだ当時は確かにそうやなぁ~と思ったし、この人は信用できるなぁとも思った。
快楽主義を恥じない人は信用できる。
勿論、己の快楽の為だけにレイプとかする奴は最低ですよ。
そんなもんは快楽主義以前の問題ですから。


少し話が逸れましたが、件のコラムの内容。
今になって再度考えてみたら、確かに概ね正しいと思うが、ちょっとだけ付け加えなければならないことがあると思った。
結局どんだけセックスが最高か口で説明したところで、それは経験の無い人間にしてみれば机上の空論とまでは言い過ぎかもしれないが、まぁ想像の域を出ないのは確か。
もうね、ヤらせてあげればいいと思うんです。
百聞は一見にしかずってことでね。

セックスとは快楽の追求であるが、それと同時に自己の肯定を確認する作業でもある。
自分が他人に受け入れてもらっている・必要とされているという事実がダイレクトに伝わる最大のツールである(一部例外はあるが)。
これは多くの自殺志願者が求めていることではないだろうか。
自分が世の中に必要とされていないと思い込んでいる人間にとって、セックスをするということは即ち救済を意味する。

セックスってすげーよ。
誰~れも教えてくれんけど、大人達は例外なく全員セックスする為に生きてるからね。
仕事とかそんなんはセックスを引き寄せる為の一手段、大いなる暇潰し。
人生ってくだらなすぎて最高やね。
生きてみる価値あり。
ダウンタウンの登場により徐々に先鋭化し、最早芸術の域にまで達した日本のお笑い文化。
そしてM-1以降はお笑いの競技化までもが進み、全国民でお笑いに興味を持たない者など数える程しかいなくなった。
それに加えてネット上という誰もが自由に発言することが可能な場所を与えられたことにより、お笑いを語りたがる人達がもう死体に群がる小蝿の如くウジャウジャと後を絶たない。

ネット上に溢れ返る一般の人達のお笑いに関する文章やコメントにも色々種類があって、まずは一番多いのが、もう読んでるだけでムカムカするような的外れでエゴ剥き出しの誹謗中傷や罵詈雑言の類いを、一滴残らず撒き散らすパターン。これが多分6~7割ぐらいでしょう。
まぁこんな奴は死ねばいいと。

そして残りの3~4割は、本当にお笑いが好きで真っ当に評論しているパターン。
これは勿論考え方は人それぞれなので好き嫌いはありますが、なるほどなぁと感心させられることもしばしば。

あとお笑いが本当に好きではあるが、好きであるが故に屈折した愛情を見せるパターンというのもあります。
このパターンの人は排他的考えを持っていることが多くて、代表例としては爆笑問題が好きだからダウンタウンをボロカス言うみたいなことですね(その逆も然り)。
コイツらもねぇ、すんごい罵詈雑言を撒き散らすから腹立つのは腹立つんですけど、根っこの部分ではお笑いが好きなんやなぁ~と感じるから100%でムカついたりはしないですね。
昔って百恵ちゃん派・淳子ちゃん派っていうような派閥があって、その二者択一を迫られるみたいな風習がありましたよねぇ(昌子ちゃん完全無視やけど)。
どっちも好きなんてことを言おうもんならノンポリのレッテルを貼られてしまうっていうね。

今はそんなこと言うとる奴ぁ古っ!で一蹴されますよ。
にも拘らずインターネットという最早世の中を動かしていると言っても過言ではないような最新鋭のツールを使って、四半世紀以上も前のしなびた風習を臆面もなく振りかざす奴が結構いるんですよ。
でも何かそんなんもええやんと思ったりもします。
カワイイやん、過剰で。
ちょっと過剰なぐらいが面白いしね。


まぁでもわざわざ腹立つのに見る必要も無いから、基本的にはネット上のお笑い論なんて見ないんですけど、それでもまぁ目に入ってくることもあって、その経験からこんなことを書かせてもらいました。


で、ボクはと言うと…もうそりゃあ死ぬ程お笑い好きっっ!!
そこらのネット上のジャリ共500人ぐらい束んなってかかってきても負けんぐらい好きなんです。

もうホンマは滅茶苦茶語りたいよ、そりゃ。
でも無理なんですよ。
いや、無理ではないなぁ、語るよ。
つーかこのブログでも今までそこそこ語った気もする。
でも俺こんなもんちゃうで。
こんなん全っっ然語ってるうちに入らんわ。

何か物凄い支離滅裂なことを言ってる感じですが、要するに本当は語りたいことは山程あるけども、今まで語ってきたようなものはただのうわずみでしか無いってこと。
本当は語りたいくせに何故そんな回りくどいことをするのか?
それは怖いから。
お笑いとはボクの大部分を担う核たるもの。
それが壊れることは耐え難い苦痛なのです。

こんなゴミブログで何をのたまおうが誰も知ったこっちゃないのは十分承知している。
たとえこんなゴミ溜めみたいな場所であったとしても、お笑いへの浅はかな考察が露呈することはボクにとっては許されない。
1ミリの綻びは全てを破壊する。

だからボクは卑怯な遣り口でお笑いを語る。
自分が崩壊する恐怖と、語らずにはいられない気持ちのちょうど真ん中辺りで妥協する。
核心に迫ることなど怖すぎて出来ない。
でもそれでいいと思ったりしている。