小沢健二
「LIFE」(1994)


ボクが最も影響を受け、掛け値なしに天才だと信じ、もはやチンポしゃぶってもいいっ!と思うミュージシャンはNEWEST MODEL(現・SOUL FLOWER UNION)の中川敬とオザケンだけだ。
他にも天才だと思う人は沢山いるが、やっぱりこの2人は別格。
ボクの青春の全てを彼等に捧げたと言っても過言ではない程聴きまくった。

ボクのような音楽の繊細さを少しも理解していない人間が、90年代J-POPアルバムの金字塔とまで賞されるこの名盤を語ることなど恐れ多いが、もう…死ぬ程好き過ぎて他人の目なんかどうでもいい…ゴチャゴチャ言う奴は心臓が破裂すればいいよって思ってしまうぐらい、やっぱり語りたいのだ。


オザケンが天才たる所以はやはり中毒性の高いポップな楽曲を、オナニー覚えたての中2男子の精子の如く休む間もなく量産し続けたことにあると思う。
90年代半ばから後半にかけてアホ程シングルをリリースした。
しかもカップリングに至るまでの全ての楽曲に捨て曲など存在しない。

死ぬまで飽きずに聴き続けることが出来る楽曲の中毒性についてのからくりを、スガシカオが雑誌のインタビューでこう語っていた。

「わざと何か一つ足りないような作りにしている。それがメロディーなのか何なのかは分からないけれど、とにかく何かが足りない。だから何度も聴きたくなる」

と、まぁこのようなことを言っていたわけだが、なるほどと思った。
リスナーにわざと飢餓感を与え、じわじわと虜にしていくってことね、と。
彼ほどの音楽的な策士は他ではちょっといない。
それぐらいのことは朝飯前にやってのけるだろう。

だからこそ彼は00年代に入って、パッタリと表舞台から姿を消したのだ。
時代を読む力があり過ぎたからこそ、撤退した。
これは推察の域を出ないが、恐らく自分の時代ではないと判断したのだろう。


まぁそれはいいとして、オザケンの魅力を語ろう。
彼の曲はどれも恋愛についての曲が多いが、それらの殆どが万人に共感を呼ぶような歌詞ではない。
寧ろ反感を買うような"絶対的勝者"の立場からの曲が多い。
本作収録の「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」なんて、タイトルを見ただけでも分かってもらえると思う。
そして残念ながら本作には収録されていないが、オザケンの数ある楽曲の中でも屈指の名曲「それはちょっと」。
この曲を初めて聴いた時、その圧倒的と言ってもいい勝ちっぷりに何だかクラクラした。


「僕をじっと見たってダメだよ "結婚して"ってそれはちょっと
"決定だね"ってイヤだよ "一緒に住んで"やめときなって
きっと僕は死ぬまでずっとワガママだから」


あの故・ナンシー関をして、「時代が変わった」と言わせしめたこの曲こそ、小沢健二というイメージを端的に表していると思う。
このように勝ちとか負けとか通り越して、ただのイヤな奴とも思われかねないような曲ばかりのくせに、オザケンが凄いのは、恋愛は勿論のこと、人生に於いてすら敗者であるボクのような歪みきったドブ人間すら虜にしてしまう屈託の無さである。

本来なら、女の腐ったようなクネクネした動作で、しょーもないこと歌いやがって、と唾吐きかけたくなってもおかしくないのに、ことオザケンに関してはそうはならない。
それは音楽的な完成度とは裏腹な屈託の無さがそうさせているのではないだろうか?
可愛気の欠片も無い曲の割りに、歌っている時の本人はホントに屈託が無い。
ボクは、あれこそが男にすらチンポしゃぶってもいいと思わせる最大の理由だと信じて疑わない。


小沢健二を語る上で90年代というワードはまず外せない。
90年代、日本国民は例外なく彼の虜になった。
故に分かる、よく分かるけども、しかし、ボクはそんなくだらない年代なんてもので彼を括って欲しくない。

少なくともボクにとってオザケンは過去のものではなく、思いっきり現在進行形の、時代を超越したスーパースター(敢えてこう言おう)だし、日本に生まれてよかったとすら思える数少ない希望の一つなのだから。