カステラ
「世界の娯楽」(1989)
ボクの人生、今のところたかだか25年程度だが、ハッキリ言って大したことない。
殊更に卑下して言うわけじゃないが、冷静に考えてそう思うのだから仕方がない。
大きく不幸でもなければ、満たされているわけでもないというような典型的な中の中人生。
そのくせと言うべきか、だからと言うべきかは分からないが、かなり世の中をなめている節がある。
さしたる努力をしたこともなく、ホントに何とな~く生きていたら、いつの間にか中の中である。
さすがに本来ならこんな人間はもっと不幸でもおかしくないと思えるぐらいの謙虚さは持ち合わせているので、恵まれてるなぁとは思うが(家庭環境なんかも含めて)、それとこれとは別。
なめてるもんはしょーがない、本当なんだから。
と、こんな腐った人格を形成されたのも、全ては高校時代に触れてしまったこのアルバムのせいじゃボケェッッ!…などと全責任をなすり付けてしまいたくなるぐらい、このバンドはふざけていたし、影響を受けたのも確か。
このバンド、曲がどーのとか、ライブでどーたらとかいうそんなちっぽけな伝説の一つを拾い上げて、そのふざけっぷりを語るような代物ではなく、もう作品なんかは言うに及ばず、存在そのものがふざけているのだ。
おふざけが服着て歌ってるようなバンド。
声変わりもしていないようなクソガキが、カン高くしゃくり上げたようながむしゃらなボーカルを聴かせる大木知之。
彼がバンド解散後、ソロとなりトモフスキーとして発表した作品群を聴けばすぐに分かることだが、このアルバムに限らずカステラの作品で聴くことの出来る彼の声は全てフェイクである。
わざとカン高く耳障りな声で歌っているのだ。
こんなふざけた奴等は音楽の歴史を紐解いたところで、このバンド以外には存在しないだろう。
肝心の曲の方も「軽くなる」「やすくなる」「歯が抜ける」「ビデオ買ってよ」「夜更かしは出来ない」「体力に限界はあるのか」など、タイトルが全てを説明しているようなメッセージ性はほぼ皆無の、歌にするほどではないような歌がアルバムの大半を占める。
ふざけ過ぎだ。
アルバムタイトルも『世界の娯楽』。
"音楽"なんて所詮そんなもんでしょというミもフタもないような切り取り方で、リスナーにツバを吐きかける。
バンド名だってカステラですよ。
何かこう捕らえ所の無い名前ですよね、スカスカな感じで。
普通は大切な自分のバンドにそんな名前付けようと思わんもの。
このアルバムを聴いた当時、高校生だったボクは、こういった彼等の世をなめきったような姿勢に激しく感化され、世の中チョロいやんなんて思ってしまい、今に至るわけである。
しかし、あれから10年余り経った今、そういった固定観念を取り払って聴いてみたところ、実はこのアルバム、ひいてはこのバンドそのものがとんでもなく計算された天真爛漫さに満ちていることがよく分かる。
ふざけているのは事実だが、それは全て計算され尽くしたおふざけ。
上述したメッセージ性皆無の曲だって、このアルバム発表当時の時代的背景を鑑みれば、ブルーハーツのメッセージ性に富んだ、世に言うところの"やさしさロック"への痛烈なカウンターパンチであり、アンチテーゼであることは容易に想像が付く。
実は早稲田のインテリ集団のくせに、ただひたすらにアホを装う様も、もっとクソ生意気に感じてもおかしくないのに、ボーカルのトモ君のビジュアルの可愛さと、あのカン高い歌声で中和させるというあざとさで切り抜ける。
そう考えるとやっぱり世の中計算が必要なんだよなぁとしみじみ思うが、少し時間を空けて聴いてみると、やっぱコイツら絶対世の中なめてるっ!と感じる。
まぁ色々書いたけど、やっぱなめてますわ。
「世界の娯楽」(1989)
ボクの人生、今のところたかだか25年程度だが、ハッキリ言って大したことない。
殊更に卑下して言うわけじゃないが、冷静に考えてそう思うのだから仕方がない。
大きく不幸でもなければ、満たされているわけでもないというような典型的な中の中人生。
そのくせと言うべきか、だからと言うべきかは分からないが、かなり世の中をなめている節がある。
さしたる努力をしたこともなく、ホントに何とな~く生きていたら、いつの間にか中の中である。
さすがに本来ならこんな人間はもっと不幸でもおかしくないと思えるぐらいの謙虚さは持ち合わせているので、恵まれてるなぁとは思うが(家庭環境なんかも含めて)、それとこれとは別。
なめてるもんはしょーがない、本当なんだから。
と、こんな腐った人格を形成されたのも、全ては高校時代に触れてしまったこのアルバムのせいじゃボケェッッ!…などと全責任をなすり付けてしまいたくなるぐらい、このバンドはふざけていたし、影響を受けたのも確か。
このバンド、曲がどーのとか、ライブでどーたらとかいうそんなちっぽけな伝説の一つを拾い上げて、そのふざけっぷりを語るような代物ではなく、もう作品なんかは言うに及ばず、存在そのものがふざけているのだ。
おふざけが服着て歌ってるようなバンド。
声変わりもしていないようなクソガキが、カン高くしゃくり上げたようながむしゃらなボーカルを聴かせる大木知之。
彼がバンド解散後、ソロとなりトモフスキーとして発表した作品群を聴けばすぐに分かることだが、このアルバムに限らずカステラの作品で聴くことの出来る彼の声は全てフェイクである。
わざとカン高く耳障りな声で歌っているのだ。
こんなふざけた奴等は音楽の歴史を紐解いたところで、このバンド以外には存在しないだろう。
肝心の曲の方も「軽くなる」「やすくなる」「歯が抜ける」「ビデオ買ってよ」「夜更かしは出来ない」「体力に限界はあるのか」など、タイトルが全てを説明しているようなメッセージ性はほぼ皆無の、歌にするほどではないような歌がアルバムの大半を占める。
ふざけ過ぎだ。
アルバムタイトルも『世界の娯楽』。
"音楽"なんて所詮そんなもんでしょというミもフタもないような切り取り方で、リスナーにツバを吐きかける。
バンド名だってカステラですよ。
何かこう捕らえ所の無い名前ですよね、スカスカな感じで。
普通は大切な自分のバンドにそんな名前付けようと思わんもの。
このアルバムを聴いた当時、高校生だったボクは、こういった彼等の世をなめきったような姿勢に激しく感化され、世の中チョロいやんなんて思ってしまい、今に至るわけである。
しかし、あれから10年余り経った今、そういった固定観念を取り払って聴いてみたところ、実はこのアルバム、ひいてはこのバンドそのものがとんでもなく計算された天真爛漫さに満ちていることがよく分かる。
ふざけているのは事実だが、それは全て計算され尽くしたおふざけ。
上述したメッセージ性皆無の曲だって、このアルバム発表当時の時代的背景を鑑みれば、ブルーハーツのメッセージ性に富んだ、世に言うところの"やさしさロック"への痛烈なカウンターパンチであり、アンチテーゼであることは容易に想像が付く。
実は早稲田のインテリ集団のくせに、ただひたすらにアホを装う様も、もっとクソ生意気に感じてもおかしくないのに、ボーカルのトモ君のビジュアルの可愛さと、あのカン高い歌声で中和させるというあざとさで切り抜ける。
そう考えるとやっぱり世の中計算が必要なんだよなぁとしみじみ思うが、少し時間を空けて聴いてみると、やっぱコイツら絶対世の中なめてるっ!と感じる。
まぁ色々書いたけど、やっぱなめてますわ。