お母様が他界して3ヶ月程が経ったとの報告だ。
介護をしている方が読んでいるかもしれないとブログに書くことを了承してくれた。
当時どんな相談をしたのかまで詳しくメールいただき、私も思い出した。
その方を仮にSさんとする。
Sさんはお母様の介護をしていた。
ほとんど寝たきりなのでたいへんな介護生活で、ご自分の恋愛や友人関係等もままならない状態であった。
そんな時にお母様に癌の疑いが出たのだが、結局は癌ではないことがわかった時に鑑定を受けにいらしたのだ。
癌の疑いが出た時の気持ちは大切な母親なのだから精一杯やろうと思ったという。
その時は痩せた足や腕を見るたびに涙が出そうになっていたという。
しかし検査で癌の疑いは晴れて、特に心配な病気もないとわかったそうだ。
するとSさんの気持ちが変化したのだと言う。
急に母親が鬱陶しく感じ出したのだ。
頭の中は、(一体いつまでこの人の面倒をみなければならないのだろうか❓)という思いでいっぱいになったという。
歩けず、話もできない母親をそんな風に思う自分が許せなかったらしい。
自分の気持ちの変化に戸惑って、鑑定を受けにきたのだ。
その時に私は、
「それで全然いい。人は誰でもその時その時にいろいろな感情が出るのだから構わないのだ。母親のことは大切だけど鬱陶しいでいいのだ。」
と言ったらしい。
ハッキリは覚えてはいないがたぶんもっと人を頼り、制度を活用してたまには友人と遊んだりした方がいいと言ったと思う。
真面目で優しい人程自分だけ頑張りすぎて追い詰められてしまう。
母親を時には鬱陶しいと感じても、大嫌いだと感じても、それでも母親だから大切だという曖昧で矛盾した思いはそのままにしておけばいいのだ。
自分を責めることはいらない。
確か鑑定してからひと月も経たないでSさんから事後報告のメールをもらったと思う。
お母様がウィンナーが好きなので、いつもウィンナーの皮をむいて食べさせていたらしい。
でも少しだけ皮が残っていたので口に残り、お母様が怒ってSさんにビンタしたのだ。
その時Sさんは小さい頃に怒られてビンタされた事を思い出し、不思議とその力の変わらなさに安堵と嬉しさを感じて涙が出たのだ。
その事をキッカケに自分を許せて力を抜くことができた。
そして人に頼る選択もできるようになる。
Sさんのメールで、
「あれからの長い年月は今となるとあっと言う間で、何一つの後悔もない。母親とのあの出来事は自分にとっては他人との関わりも気楽にしてくれたいい経験だった。」
とあった。
もうだいぶ前なのでいろいろなことはハッキリ思い出せないが、今回何となく感じたことがある。
Sさんのお母様はあのビンタで、
「私はまだまだ元気だから心配し過ぎるな❗」と伝えたのかもしれない。
結果、力を抜くことができたのだから母の愛かもしれない。
ハッキリ覚えていない私の勝手な推測だけどね😊