質問をいただいた。
質問者をGさんとしておく。
「霊障体験のブログを拝見しての疑問です。武藤さんのブログを拝見するとたくさんの気づきがあったことがわかります。それでも霊障のようなものや苦痛な事などの体験はなくならないという解釈でいいですか❓」
質問内容はそのまま、率直な質問に感謝です。
答えは、私には私が決めた体験、GさんにはGさんが決めた体験が続くだけ❗だ。
私は人生のある時期から覚醒を求めてきた。
答えが手に入りそうな場所に行ったり、瞑想をしたり、夢分析をしたり、仏教やキリスト教、イスラム教等いろいろなものの中に答えを探してきた。
今思えば、「覚醒体験」というものの中にたくさんのことを期待していたのがわかる。
この世界の真実を知る、高次の次元に上昇する、未知なる光の体験をする、輪廻転生を超える、神の声を聴く等まだまだたくさんの期待と希望。
今とは違う高次の存在になれると勘違いしていた。
その中でもかなり具体的な期待は、高次の次元に上昇すれば低次元の存在とは繋がらずに、霊障や怖いものをみるような体験は終わるだろうというものがあった。
高次元の存在とだけの繋がりになることを期待していたのだ。
たぶんこれがGさんの疑問のポイントではないかと思う。
でも高次元も低次元も本当は実在ではなく、頭の中で作られた幻想だった。
ある時不意に気づいたことがあった。
私の期待や希望や頑張りは、結局は「今」を否定しているのだ。
今の楽しい体験としてそれらを使うのであれば、どんなことも(たとえ承認欲求さえも)有意義なパワーとなる。
でもその時期の私のように、今とは違う何かになるために使ってしまったら自分の考えが作り出している檻を強固にしてしまう。
頭の中だけで聞こえのいい形を作りそれに向かって忙しくすることで、ありのままの自分や今ある不安や不満に気づかないようにしていたのだ。
そのことに気づいたあたりから、自分の小ささや格好ばかり整えている自分がみえてくるようになった。
「これが私のやり方だ。」「私はこうあるべき。」みたいなものをひとまず横に置いて、「今私は何を感じているか」をみて、それを認めて感じるようにした。
それをやればやるほど、不安や怖れは頭の中だけで展開している幻だとわかってくる。
二元的世界の中での体験はたくさんの形をとるが、それを良いだの悪いだのと分けて騒ぎ立て、喜んだり悲しんだりしながら、実在ではない「私」や「私の身体」を実在と思わせている思考の罠がみえてくる。
気づきを重ねてこの世界を去る人もいれば、残ってやることをやる人もいる。
みんな決めたことをやるだけで、決まった形もないし重要度の差もない。
気づきの後にこの二元的世界を去っていく人もいるだろうし、病や痛みを全く感じなくなる人もいるだろうし、何かすごいパワーを身につける人もいるだろうと思う。
でも誰と比べる必要もないし、答えを求める必要もないのがわかる。
わたしたちが抱かれている「無限なるもの」は、知りようもないほどに広大で、そこから離れることも不可能だということが、何にも侵されない充足を感じさせてくれる。
できるだけコントロールを手放して、明け渡しをしていながらも、起こる現象や対処することのすべてに「させられている」がなくなってしまうのだ。
すべてはなるようになる。