お客様から質問された。
前回のブログの「安堵感」の感じをもっとわかるように説明してほしいとのことだ。
最初は言葉にするのが難しいからと返信したのだが、「完璧でなくてもいいからできるだけ」とのこと。
(ムチャぶりだ)と思った。
でもすごく真剣なムチャぶりなので、できるだけやってみてまたブログに書くと返信した。
安堵感の感じは言葉にするとやっぱり「自分が救われた」という感じだ。
なんであんなにホームレスの姿が美しく見えたのかを思い出そうとしても、あの強烈な感覚はどんどん薄まるばかりだ。
でもなんとなくわかるのは、あのときに自分は救われたのだということ。
今まではホームレスやその他のたいへんな思いをしている人々に対して私は、「たいへんだ、かわいそうだ、自分はあんな風な思いをしなくてよかった」などなどの思いが必ずよぎっていた。
でもあの瞬間それらの中にある、偽善や傲慢さや知ったかぶりその他諸々の私の中のいろいろなものが明るみに出た。
でもそれら全てが、神の前ではなんの力も持たないかすかなチリのように感じて、しかもそれをどうこうしたり考えたりできないことがわかった感じだ。
私が自分をどんな風に整えようとしたところで、そんなものは神には全てお見通しだし、その私を丸ごと愛してくれているのを感じたのだ。
神の前では皆が全く同じ。
いったい何になろうとしていたのか❓という勘違いの私が明るみにさらされて赦されて救われたのだと思う。
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