2026. 11 臨時号 NO.253  そうりょくせん  

      VS   きょうりょくせん
 前号NO.252(「こうしつVSこうじつ」)にて皇室典範改正問題をとり上げ、文末に「『男女平等』は正しい。が、その掛け声だけで、女性がトップになるに不可欠なプロセスをすっ飛ばしてしまう。女性天皇問題も男女平等で片づけられるのか。」と結んだ。
 よって女性読者からは反発され賛同はないかもと思っていた。が、本号の「いいね!」 は、元々数は雀や蚊の涙と同じで微々たるものだが、今回男性は3名だけで女性が大勢。意外に思えた。背景に高市首相が女性層に不人気なのも影響しているのであろうか。
 そして、今般東京大学に初の女性総長が誕生した。が、それに教職員や東大生達が抗議する異例の事態に陥っている。

 選考会議の議長が元NHKキャスターの国谷裕子氏であることを知り、少し驚いた。それ以上に、天下の東大とはいえ、一大学の学長を選ぶのに総長選考・監察会議なる大層なものが必要なのか。それでもって公平性が問題になるとは。

 さて、今回の表題は一文字違いではない。短歌や俳句では文字数ではなく、音数として数え、 小文字の「ゃ」「ゅ」「ょ」の「拗音」は前の文字と合わせて一音と数える。

 それにあやかって表題に掲げさせていただいた。「総力戦」に対する他のよい一字違いを思いつかず(「能力戦」ではピンと来ず)、ご容赦願いたい。

 今回は私の数少ない趣味の一つである映画鑑賞について話したいと思う。
 今年も月に3~4本劇場にて映画鑑賞している。ただ、今年はこれまで洋画はとくに心に刻まれた映画が少ないとの印象を持っている。
 邦画では、下記2作品がとくに印象に残っている。役所広司氏、西島秀俊氏、片岡鶴太郎氏、宮藤官九郎氏、満島ひかりさん、黒木華さん、柴咲コウさん、野呂佳代さんなど錚々たる俳優が出演している映画『時には懺悔を』を観に妻と二人で映画館に向かった。
 映画を観て、重すぎる内容にて凡才の私には感想を上手く伝えることができない。一言二言で言えば、「この世に母性ほど貴いものはない。が、男は逃げるから劣るとはいえ、父性も捨てたものじゃないと思いたい」。
 今回もう一つ印象に残った邦画作品について話を進めていきたい。
 それは7月末公開の邦画『開戦前夜』。私は前もって予備知識を持たず映画館に向かった。タイトルからも、例年終戦記念日前後に戦争映画が放映されることが常でもあったので。
 映画が始まると、『総力戦研究所』の所長板倉大道役(実在は故飯村穣)を、名優國村隼氏が演じていた。國村氏はいろんな役をこなされるが、最初國村氏が好々爺のような良い人を演じるのか、なんだかなぁ?と思った。しかし、次第に所長は本性を現わし、一方官民問わず全国から集められた選りすぐりのエリートの若者たちが研究を進めていくと日米開戦は持久戦では日本は勝てないとの結論に傾いていく。すると所長は「もう協力せん、 勝手にしろ!」。その代わりどうなるかわからないぞと赤紙の話をちらつかせる。(史実にはないが)強硬に必敗を主張した研究員は激戦の最前線に送られた。

 私は「そうだろう。こういう変わり身を見せる役でなきゃ、國村氏がキャスティングされないだろう」と納得した。
 映画を観終わり、家に直帰しすぐパソコンに向かい調べた。私は、恥ずかしながら、総力戦研究所の実在を知らなかった。そして、國村氏が演じた所長役の実在の人物の孫がNHKを相手に裁判を起こしているのを知った。
 その孫に当たる人物が飯村豊氏で、この6月に『総力戦の真実 ―歴史の法廷に立つNHK』(筑摩書房)を上梓しておられる。
 早速電子書籍版を購入した。読んだ感想を述べる前に、私のNHKに対する立場を明確にしておきたい。私はNHKを観るのが好きではない。今NHKで観るのは大谷翔平選手の試合と(全てではないが)NHKスペシャルぐらい。国会中継もとくに関心ある場合しか観ない。
 「好きには理由がない。嫌いには理由がある」と言われるが、私には明確な理由がない。NHKから迷惑をかけられたこともない。私の能力では上手く表現できないだけかもしれないが。
 その上で、上記の本の感想を述べでみる。私は観ていないが、NHKスペシャル『シミュレーション〜昭和16年夏の敗戦〜』(前編・後編)と題してNHK総合にて2025年8月16日・17日に放送された(ドラマパートの後にドキュメンタリーパートも放送)。 飯村氏は放送される前から祖父の名誉が毀損されていることに抗議し、NHK側に善処を求めたが、その対応が不誠実だと怒り、裁判を起こした。
 第三者の私からすれば、飯村氏は私憤ではなくNHKを改革するための公憤と言っておられるが、私は限りなく私憤に近いと感じる。改革とは飛躍していると私には思える。
 文中に、石井裕也監督に関して「そこに石井裕也と称する戦争の『せ』の字も知らない監督が、まるで外国製の高級な靴で入り込んでくると言ったところである。」との下りがある。私に言わせれば、外務省の元高官で賢者側に立つ飯村氏の発言とも思えない。高圧的な陸軍軍人の血ではなく、人格者としての祖父のDNAを受け継いでいると主張しておられるのに。見下しとも言える感情的な発言をよしとするのは反NHKの人々ぐらいでは。

 世俗の物差しで、NHK側の対応を推察するに、無名の私が飯村氏の立場であったなら、抗議する私に対して、苦情に対するガイドラインを無視して「今のこの世の中に飯村穣の名前 、劇中の所長と実在の所長との違いが判る人間が何人いると思うのか!?」とけんもほろろにNHKは私を追い返すかもしれない。
 元都知事で現参議院議員の作家猪瀬直樹氏が戦後から38年経った1983年に『昭和16年夏の敗戦』を発刊し、総力戦研究所の存在がにわかにクローズアップされた。敗戦後軍部に対して、とくに陸軍への風当りが強かった。総力戦研究所(と研究成果物)の存在は不都合であったのでは。深く埋められていたモノを猪瀬氏が掘り起こしたということではないか。

    当時33歳の銀行員の私はそれを読んでいなかったが、それから43年も経つのにいまだに知らなかった私は不勉強のそしりを免れないが、公にしたくない空気から知らない人が少なくないのではないか。
 飯村穣所長の孫である飯村豊氏は、現筑駒から東大に入学された絵に描いたような秀才。外務省に入省後2006年には在フランス特命全権大使も務められた元高官。庶民は元高官に共感するに違いないと思うNHKサイドは、さぞかし対応に苦慮したのでは。関係者の中には後ろめたさはなくとも面倒に巻き込まれたくないと逃げた人がいても不思議ではない。
 NHKの対応に問題がなかったとは言わないが、下記の対応からすると、飯村氏側の要請に対し最低限の応答はなされていたと見る。裁判は飯村氏サイドの敗訴に終わると予想する。放送倫理検証委員会(以下「BPO」)も視聴者に誤解を与えることはないと飯村氏本人曰く「門前払い」している。
 放送された8/16においてNHKは飯村氏のインタービューを載せ、「ドラマの板倉所長は物語上の創作で飯村穣とは関係ありません」との説明を居れている(飯村豊氏曰く、「放送直前の話し合いの結果としての“小手先の”懐柔策の一つだ」)。
 8/17の後編では、「机上演習を企画した当時の飯村穣所長。ドラマの所長とは異なり、メンバーに自由な議論を許し、敗北との結論が出ても、所長として異を挟まず、その発表を認めました。 」との「20秒のナレーション」を入れている。
 このドラマ及び映画の主人公は、総力戦研究所の所長ではなく、若きエリートの研究生たちであると思う。彼らがどんな思いで、どう行動したかが主題であり、歴史を改ざんしたことにはならないのでは。ならばこそ、視聴者に誤解を与えない措置も講じていることもあり、BPOも議論の対象としなかったのであろう。
 しかし、飯村氏はBPOに門前払いされながらも納得せず、裁判に持ち込む(第三者の公的機関がそう言うのだからと一旦立ち止まればと思うが、突き進むのであるなら、人格者としての祖父の血だけではなく陸軍軍人のそれも受け継いでいると言われても。天国の祖父も孫にそんなこと望んでいないと言いたいのでは。声は届かないが)。
 若きエリートの研究生たちではなく所長に焦点が当て続けられることにNHK及び石井監督は迷惑に思っていたのでないか。宣伝効果はあるにせよ。

 知性、教養、そして文才も持ち合わせた飯村豊氏が、NHKとの係争に時間を割かれるのはもったいないと思う。長年公僕として活躍されたのなら、退官後も、いろんな分野で公益に寄与されていると思うが、高市首相の「台湾有事発言」を批判した垂秀夫元中国大使のように、「外交」よりも「戦争」と思わせる政権が続くことに対して苦言を呈してもらいたいものだ。
 NHKへの批判本では、読者は反NHKの人とか限りがあろう。本当に飯村氏が読んでもらい人達に手に取ってもらえないかもしれない。別途、こんな素晴らしい祖父がいたことを家族しか知らないエピソードを交え、故飯村穣の伝記を発刊されてはと思う。それが呼び水となり、いろんな作家やジャーナリストが書いて広げてくれるかもしれない。私が尊敬する高校の大先輩、現神戸高校の前身神戸一中卒の故白洲次郎の伝記のように。
 
 映画『開戦前夜』を観た感想を述べてみる。その前に時代背景について少し触れる。
 第一次世界大戦の敗北から立ち直ったナチス率いるドイツの国威発揚を世界に示したベルリン五輪の1936年において、時の首相故広田弘毅が11月にドイツと日独防共協定を結ぶ。歴史家は広田首相の失策の一つとして挙げる。
 しかし、大失策と言えるのは、その前の5月における「軍部大臣現役武官制の復活」である。軍部大臣を現役に限ってしまえば、軍部の言うことを聞かなければ内閣総辞職に追い込まれてしまう。軍部が政府を意のままにしてしまった。これだと広田首相でなくともどんな首相でも日独防共協定を締結することになる。
 故城山三郎の『落日燃ゆ』を読んで私の尊敬する故人の一人とした首相広田は文官から一人だけ東京裁判でA級戦犯の被告人とされた。が、広田は一切反論しなかったという。
 広田は自身の失策を後悔し死を持って責任をとる覚悟だったと私は思う(広田の奥方は広田が後顧の憂いがないようにと先に自決している。こんな奥方の他には、大灌漑事業の功績で台湾の人々がいまだに大恩に思い尊敬し続ける故八田與一の妻しか知らない。八田は船で移動中米軍の攻撃で船とともに海中に。後を追って奥方はダム湖に入水。俗物の私など妻に「元気なうちに早く逝って!」と言われる始末だが)。    
 ドイツは1939年9月ポーランドに侵攻し、第二次世界大戦に突入。1940年にフランスがドイツに負けてしまうと、乗り遅れるなとばかりに日本はそのドイツとイタリアとで日独伊三国同盟を結んでしまう。善の連合国VS悪の枢軸国(侵略側の同盟国)として日本は悪者扱いとなる。
 連合国側の英国はドイツのとの戦争に苦戦しており、何としても米国の参戦を切望していた。米国のフランクリン・ルーズベルト大統領は、(レイシストとの見方もあり)黄色人種の日本が予想外に強く忌々しく思い叩きつぶしたかったが、モンロー主義に慣れ親しんだ米国民の同意が得られない。日本の暗号を解読していた米国のそのルーズベルト大統領が奇襲を事前に知っていながら奇襲を許したか否かは別にして、1941年12月8日日本はハワイ真珠湾を奇襲攻撃して日米開戦の火ぶたが切って落とされた。日本人以外で一番喜んだのは英国のチャーチル首相であったろう。ドイツがすぐ米国に宣戦布告したのであるから。
 日本が日米開戦に踏み切ったまさにその時は、ソ連に大攻勢かけていたドイツが冬将軍のモスクワの戦い(1941年10月2日から1942年1月7日)において敗勢(猪瀬氏は著書の中の年表に「12/8にモスクワ攻撃挫折」とする)となり、第二次世界大戦においてドイツが勝勢から劣勢に変わる転換点であったことはまことに皮肉である。
 日米開戦では、日本が負ける公算が高いことは、詳しい分析をせずとも、米国に留学経験のある故山本五十六は持久戦になれば勝てないと言っていた。海軍だけではなく、陸軍も分かっていたハズ。日米における最終戦争を予期していた故石原莞爾も今は戦う時期ではないと言っていた。
 軍部、軍人は、戦う為にある。自己否定する発言はできない。戦争に反対すれば、「貴様! 怖気づいたか、それでも帝国陸軍(海軍)の軍人か!?」と言われるのは堪えられないのか。

 机上演習における模擬内閣の海軍大臣役の故志村正は海軍大学校を主席で卒業し、卒論は「総力戦」であることを皆が知っていたが、強硬に日米開戦反対を主張していた彼も、短期決戦ならと主張を変えるのであった。山本五十六と同じことを発言してしまうのである。日米開戦では戦争を望んだ陸軍ではなく海軍が主体となってしまうのに。
 陸軍にしろ、海軍にしろ、軍人は「戦争で死ぬのは本懐」なのか。だとしても、道連れにされる国民はたまったものではない。
 だが、メディアに煽られた国民は“神国・不敗神話”に酔いしれ、軍部を突き上げる。

    軍部は、とにかく戦争するしかない。彼我の差が大きかったものの日露戦争に勝利した。こちらには快進撃を続けるナチス・ドイツがいると(日独伊に加えソ連を加えれば連合国に対抗しえるとの松岡外相の構想は破綻した上、ドイツの対ソ連戦は敗勢へ風向きが変わるのをまだ知らないで)。
 軍人政権による敗戦に対する反省から戦後日本はシビリアンコントロール(文民統制)を厳守してきた。ただ、安倍政権は防衛省内でそれをくずす動きを見せたが。 

 映画の中での所長が実際とは違う悪役風に描かれているが、主役である研究生を際立てる為に必要だったのでは。そうでないと映画として成立しがたいとも、私はそう思う。
 所長が研究生から人気者で、若者たちが自由闊達に研究し、若者たちの模擬内閣は日米開戦必敗と結論する。しかし、それは実際の内閣に無視された。日本は米国と戦い敗戦し、国民は悲惨な目に遭った。それが史実に近いにしても、それでは映画にはならない。
 米国も「ハルノート」で戦争になるよう仕掛けてくる。日本の陸軍上層部も戦争するしかないと思っている。その中で陸軍の軍人でもある所長から陸軍にとって都合の悪い結論にならぬ様プレッシャーをかけてくる。その中で、若きエリートは赤紙で激戦地に送られ命をおとすリスクに怯えながらも、決然と真実のシュミレーションを提出する。それでこそこの映画の社会的意味がある(実際の研究生たちは、教育訓練の一環であれ、真摯に取り組み、日米開戦必敗の結論を導くも、そうはっきりと書かなかったのは、世の中は「鬼畜米英」が響き始め、陸軍の主戦派が多い中では、遠慮と恐怖心もあったと思う)。
 80数年前の若きエリート達はこんな気概と使命感を持っていた。映画はそれを今の若者に訴えている。私はぜひ官僚離れが見られる東大生に観てもらいたいと思う(軍からは独自の大学校を持っていたので違うが、官・民からの研究生は大半東大卒であった)。
 偏差値の高い私大でも数学など苦手を外して3科目で受験できる。東大はその倍の科目が必須でしかも受験生の粒が揃っているので、苦手科目があれば合格はおぼつかない。
 東大生は学力が高い上総合力がある。私は非営利法人の職員に転身してから東大卒の官僚や学者とに接する機会が増えたが、彼らは自負心を持つ裏側に責任感も強く意識している。奇をてらわない。バランス感覚もある。東大・文系卒はベンチャー起業家よりも既存秩序を守る国家官僚に向いていると思う。東大生の官僚離れの風潮を残念に思う。
 東大生の他に、政権に隷従し問題が表面化すると野党にサンドバック状態にされる醜態を晒すヒラメ官僚、自民党総裁選で小泉進次郎氏を担ぐ官僚派議員など、東大生の官僚離れに拍車をかけてしまいかねない現官僚、元官僚にも観てもらいたい。官僚になった初志を思い起こしてもらうために。
 なお、東大生の官僚離れの主因は、(大企業社員と較べて)薄給、激務の官僚が民間大企業に入社した同期生と生涯報酬で肩を並べさせる天下りシステム(キャリア官僚の給与を民間大企業並みにすると賃金体系がいびつになってしまうため)が禁止されたからだと思う。森元首相が独りそれを言いかけたが、多勢に無勢、「利あらず」と止めてまう(国は天下り方式に弊害があるのなら別の方法を考えるべきだったのでは)。
 テレビ局は、天下りに対する庶民の嫉妬心を焚きつけたと思う。とくに情報番組のMCのFは億以上報酬得ていながら庶民づらして庶民の嫉妬心を煽ったと見ている。今頃になって高額報酬を自慢している。「銀座で飲むには・・・」と。
 これは、「私情」と言えるが、「私憤」とは思ってない。私自身は損も何もしていない。損するのはトップクラスの東大生を外資系企業に奪われる政府であるから(私は本ブログで安倍首相、高市首相等の公人及び準公人にあたる日枝久氏、松本人志氏ら著名人を批判するが、個人的な恨みは一切ない。興奮気味に書いたとしてもそれは公憤であり私憤ではない)。
 むしろ人並み以上に私憤はあるが、本ブログエッセイで、私憤は晴らさない。その事に他人を巻き込まない。他人に押し付けない。本ブログを始める15年前にそう決めている。
 官僚の天下りに反対したテレビ局であるが、民放はNHKのアナウンサー出身者で溢れかえっている。これは官から民へのアナウンサーの天下りではないのか。そう嫌味の一つもを言いたくなる。民放の上層部はプライドがないのか。社員のモラールの低下は気にかけないのか。

 ただ、元テレ東の下矢一良氏は、YouTubeにて、NHKの新人は皆地方局勤務となりそこで鍛えられる。全国500人アナウンサーがいて頭角を現した者が東京に戻ってくる。そこで看板報道番組を歴任したトップクラスが民放に転進してくるという。
 宝塚のトップスターが女優になるようなものか。民放の女子アナにすれば、彼女らは民放を落ちた人なのにと内心悔しがるが。
  
  閑話休題。総力戦研究所とは一体何だったのか、意味はあったのかについて、私なりの意見を述べて、本号を終えたいと思う。
 1914年7月28日~1918年11月11日にかけて連合国(ロシア帝国、フランス共和国、大英帝国)と中央同盟国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ブルガリア王国、オスマン帝国 )との間で戦争が行われた。この戦争は第一次世界大戦と呼ばれ、初めての国家総力戦が行われたとも言われている。
 日本は日英同盟の関係から戦勝国の仲間入りしたが、ヨーロッパでの国家総力戦に参戦していなかった。ドイツがヨーロッパで戦っている間に日本は中国でのドイツの権益をせっせと接収していた。
 総力戦を研究する必要があった。それで1940年10月総力戦研究所が設立されたと思うが、戦争戦略機関ではなく、教育機関であった。何せ体育の時間もあったのだから。上述『昭和16年夏の敗戦 新版』によれば、月曜~金曜連日四時限目(15時半~16時半)にあり、平均年齢33歳の研究生から評判はすこぶる悪かったという。
 教育機関でなければ、陸軍が上層部だけでなくほとんどが米国との開戦は避けられないと思っている中で、陸軍の軍人でもある所長が若者達にどんな結論でも自由にということはできなかったであろう。下手をすれば、永田鉄山のごとく血気盛んな陸軍軍人に斬殺されるかもしれない。
 どんな結論を出そうとも、所長もエリート研究生たちもお咎めを受けないし、直接結論を聴いた東條陸相も演習と実戦とは違うと言うだけ。ただ、表情が蒼ざめこめかみも心もち震えていたと研究生は覚えている。机上の演習に過ぎないと言いながら最後に軽はずみに口外するなと念押しするのは狼狽しているからでは。それは模擬内閣の結論と(天皇から大命降下を受ける前の)東條陸相の考えが近いからと研究生は見ていたという。
 教育機関としての位置付けだけに、それに囚われず実際の内閣は模擬内閣の研究成果とは正反対の日米開戦に走ってしまった。それでは、総力戦研究所は無意味だったということになるのか。
 後世の我々から見れば、結果論的には、数年後に起きた敗戦により荒廃に帰した日本の復興に向けて、東京裁判、公職追放で上がいなくなった中で先頭に立てる人材を育成したと言える。模擬内閣における日銀総裁役の故佐々木直が実際に第22代日銀総裁になったのを初め、商工大臣役の故野見山勉は通産官僚を経て自動車工業会専務理事、ジェトロ副理事長を歴任、企画院総裁役の故玉置敬三は昭和27年通産次官に就任、仲野太賀氏が扮した情報局総裁役の故秋葉武雄は昭和26年4月から4年間共同通信の政治部長として活躍、対満事務局次長役の故宮沢次郎は大蔵課長から紆余曲折を経てトッパン・ムーア㈱ (今年4月TOPPAN㈱が吸収合併)の社長に。

 最後に模擬内閣の総理役の故窪田角一氏は農林中央金庫常務理事に。猪瀬氏によれば、ほとんどの研修生の戦後経歴がきら星の如くだとする一方で、政治家になる者は一人もいなかったという。 
  猪瀬氏は43年前の著書で「模擬内閣が今日評価されるとしたら、彼らが曇りのない眼で見抜き予測した点にある。その予測を可能にしたのは縦割りの行政の閉鎖性をとりはらって集められた各種のデーターであり彼らの真摯な討議であった」と評している。
 猪瀬氏が言うところの「将来国家を背負って立つべき者とされそのキラ星の如くの逸材を青田買いのように吸収した」研究所と3期生まで居た中でとくに映画で描かれた1期生の11カ月に及ぶ教育訓練と研究は無駄ではなく、総力戦研究所の存在は意味があったと思う。そして、今こそ手負いの獅子に変貌した米国と台頭する中華帝国・中国に挟まれた日本の選ぶべき道を若きエリート達に研究してもらいたいと願う。
(次回254号は11/10アップ予定)