2026.5  NO.243     んじゅ VS  んじゅ
 春到来を告げるゴルフのメジャー・マスターズが来週4/9に開幕する。史上最多24個のメダルを獲得した日本選手団も我が世の春を迎え、4/25に都内でパレード等ミラノ・コルティナ五輪・パラリンピックの感謝イベントが行われる。
 2月の冬季五輪について私なりの感想を述べてみたい。
 開催地ミラノと東京とは8時間の時差がある。現地で夜6時前後の競技になると75歳の爺の私にとっては一番起きてられない時間になるので、ほとんどライブでは観ていない。朝の4時頃になると起きている(睡眠時間は6時間前後)のだが。
 フィギュア女子シングルのフリー(FS)の優勝争いは、日本時間で朝6時半頃からであったので、千葉百音選手からライブで観ていた。次の滑走がアリサ・リュウ選手。リング上で走り、踊りまくったかのような演技で大歓声が沸き起こった(金メダルの魔法により一夜にしてレッサーパンダがシンデレラとなったみたいだ)。次の坂本花織選手は滑りにくいのではと思われた。が、(本人はくやしさも滲ませたが)五輪出場の最後を飾るに相応しい滑走だったと思う。

 最終滑走の17歳の中井亜美選手は冒頭トリプルアクセルが成功し、もしやと思ったが、それ以降観客が大きく沸くこともなかった。本人も演技が終わると首を傾げた(それは自身の演技に対してか、与えられた演技構成にか)。あざとポーズと評判がよいが、審判の印象にはマイナスに働いたのでは。
 亜美選手は、浅田真央さんに憧れて選手になったと言っているが、浅田さんに似ているだけではなくライバルであったキム・ヨナ選手の強みであるしなやかさと豊かな表現力をも持ち合わせていると見える。4年後の五輪では大人の女性選手として観客を大いに沸かせるのではと思った。

 さらに、亜美選手と同学年には前人未踏の女子ジュニア四連覇を果たした島田麻央選手がいる。4回転トーループ&トリプルアクセルを武器とするも今回は出場が叶わなかった(五輪前年の7月1日時点で17歳以上である必要があるが、麻央選手は10月生まれの為)。
 人気を博した浅田真央さんも2006年のトリノ五輪に出場(当時は15歳)出来なかった。出場していれば金メダルも。金メダルは荒川静香さんの手に(真央さんは競技戦略の練り直しに迫られたか?) 。
 2030年フランス大会では、麻央選手が真央さんのリベンジを果たすか、それとも亜美選手が勝つのか、日本人対決になることを期待したい。

 元来ウインタースポーツは詳しくない上、私が一番楽しみにしていた平野歩夢選手が直前に大けがをしてしまったことを初めジャンプの小林陵侑選手と高梨沙羅選手やスピードスケートの高木美帆選手(五輪後引退表明)が本調子でないと思われ、今回の五輪への関心はそれほど高くなかった。が、 ライブでなくとも感動した、あるいは驚いた試合が多かったと思う。その中で、私にとってのベスト3を挙げたい。
 第3位は、ノルウェーのヨハンネス・ヘスフロト・クレボ選手がクロスカントリーで金メダル6個獲得したこと。
 『クレボステップ』と呼ばれる走法で上り坂を、驚異的なスピードで走る姿は、オリンピックを大いに盛り上げた。
 カントリースキーの選手は通常、上り坂では平行に保ったスキーを交互に滑らせて上るという。しかし、クレボ選手は滑らず、走っているように見える。その走法は「クレボ家の一子相伝の技」と「相当な脚力、上半身と腕の力と持久力」の賜物で他の選手が簡単にマネ出来るものではないらしい。
 クレボ選手は、いわば、“クロスカントリー界の大谷翔平”と言えるだろう。もしクレボ選手が日本人だったとすれば、すぐにルールが替えられ、「夏五輪の競歩と同じ。走ってはいけない」となるだろう。懐の深いメジャーと違い、北欧のお家芸としてのプライドにかけて。
 第2位は、大ケガを負った平野歩夢選手の強行出場。五輪前最後の実戦だった1月17日のW杯(スイス)で約7メートルの高さから落下。板が折れるほど激しく転倒し、顔付近や下半身を強打した。鼻と口付近からは大流血。五輪開幕まで1カ月を切ったタイミングで骨盤の右腸骨などを2カ所骨折する悲劇に襲われ、出場が危ぶまれた。
 今五輪では、後輩たちが成長し、ケガが無くても金メダルをとれるか分からなかった。大ケガをしたなら金メダルは難しい。今回欠場しても誰も逃げたとは思わない。だが、骨盤骨折は痛み止めを打つ状態、膝の感覚はない状態で、彼は出場を強行した。演技を終えて彼は第一声「生きて帰って来れて、よかった」と言った。
 私のような凡才は天才平野選手のことを推し量り語ることは、とてもできない。 
 平野選手に限らず、冬季五輪やWBCの若者たちを見ると、世界に向けて誇らしい気持ちになる。それに引きかえ、今の国会議員たちは。
 第1位は、フィギュアスケート・ペアでのりくりゅうペア(木原龍一選手・三浦璃来選手)の大逆転金メダル獲得。りくりゅう(陸竜)は、フィギュアスケート・ペア界のティラノサウルスとなった。
  海から飛び出し空高く回転するスクリューのごとくトリプルツイストリフトが成功すると波に乗りSPで失敗したアクセルラッソーリフト」も無難にこなし、ジャンプもすべて成功し、そのころには笑顔も見られた。演技の最後は木原選手が弁慶のごとく仁王立ちして三浦選手を担ぎあげ、三浦選手が腕を上げ天を突き刺した指先は拳でガッツポーズ(エキシビジョンでは人差し指)であった。

 主題曲の映画『グラディエイター』の主人公のごとく、地に堕ちるも苦難を乗り越え本懐を遂げた。
 私は、シングルのフリー(FP)とは違い、ペアをライブでは観ておらず金メダルに輝いたことを知った後の録画で観た。ショート(SP)でのまさかの失敗からの大逆転劇ではあるが、元々金メダル候補筆頭であり、後期高齢者となり涙もろくなったとはいえ、まさか録画で涙を流すとは思わなかった。

 二人の最高の演技と解説の高橋成美さんの感極まった解説ならぬ声援と相まって演技が終わる前にはもう泣いていた。
 そして、金メダル獲得の影には木原選手の元ペアとして高橋さんの挑戦があったことを知った。今後ペアにもスポットライトが当たりペアを目指す女子も増えるだろう。りくりゅうの2人は将来コンビで指導者を目指すとも。そうなれば、スノボードのように日本のお家芸になってほしいと思う。

 坂本選手は3/27世界選手権優勝を花道に選手として引退したが、指導者等の第二の人生、明るい未来が待っている。

 しかし、75歳の私には未来はない。本ブログの掲載を始めた2011年7月の頃(61歳直前)は米寿(88歳)をゴールとして、人生を四季に擬えていた。春(~22歳)は学生、夏は(23歳~43歳)は銀行員、秋(44歳~66歳)は非営利団体職員・顧問、冬(67歳~)は低額年金生活者。
 ところが、前立腺がんになっていたこともあり、生前母にがん家系?か問うと、「母方はがん家系」と言われてしまった。今頃そんなことを言われてもと思ったが、10年前には人生のゴールを喜寿(77歳)に設定し直していた。
 ところが、今年の8月で76歳になる。あと1年少ししかない。認知症で家族に迷惑をかけるぐらいなら癌で早く亡くなった方がいいと思えど、さすがにゴールをずらすことに。
 国が75歳から後期高齢者にしたからといって、我が身に顕著な変化が起きるとは思いもよらなかった。私は精神的にはガキのままだとか自嘲したり、反対に粋がったりしていたが、体の方が「何を勘違いしている。お前は正真正銘の老人なんだ。それが分らないのか」と言わんばかりにこれでもかと老人性症状を繰り出しくる。
 私は75歳と5ヶ月になる2026年の正月風邪を引いていた。しかし、1ヶ月経っても声がかすれ、白い痰も出る。カラオケでは高い音が出にくくなっていた。去年までDAMAiにて90点以上出ていた曲の中で90点に届かない曲が増えた。これは10年前に摘出した、声帯の上にできたのう胞(水の入った袋)の症状と似ているとして耳鼻咽喉科に行った。
 診断してもらうと、のう胞も腫瘍(ポリープ)も何もないとのこと。痰がまだ出ているとして風邪薬と痰止めの薬を処方された。風邪でそんな長引くことは今までにはなかった(過去医師からインフルエンザ、新型コロナと言われたこともない。似たような症状が出ても、なにせ熱が出ず病院に行かないので)。声帯の問題ではなく、免疫力の低下で風邪が治りにくくなっているという老化の問題ということか(そう言えば、傷も治りにくい。夏頃段差でよろけ砂利道に膝をつき血が出たが、半年以上経っても黒ずんだままだ)。
 ただ、数年後には声帯の老化が顕著になるだろう。歌手でも高齢になると高い声が出にくくなる。仕方がないのだが、そのうち歌っても楽しくなくなり数少ない趣味が一つが減ってしまうだろう。晩年の母がよく「年は取りとみない(とりたくない;播州弁。母は神戸っ子のハズなのだが)」と言っていた。その気持ちが今になってよくわかる。
 ある時、お風呂から上がってしばらくして手を見ると左親指の下の手の甲の部分が紫色に変色していることに気づいた。妻の親戚の女性がキャベツダイエットがいけなかったのか白血病を発症し、箪笥に少しぶつけただけで紫色になったとの話を聞いており、一瞬ビビった。
 ネットで調べると、加齢により皮膚が薄くなって血管が弱くなり、少しの刺激で内出血が起こる「老人性紫斑」 で高齢者にありがちなことと書かれていた。紫斑も直ぐに消えた。
 私は安心するとともに落胆もした。風呂の蓋(結構重い)を所定の場所に戻す時すべって手の甲を少し強打したのを思い出したのだが、これしきの事でこんなになるとは情けない(尻の右側には老人性皮膚掻痒症も) 。
 目でも、ある日初めて丸い紫の光が目をつぶっても消えずどうしたことかと案じた。これまたネットで調べると、老化による光視症に似ている。緑内障の進行の有無を調べる為3ヶ月毎眼科に通っているが、医師から光視症が続くようなら、網膜剥離に至ることがあると言われた。飛蚊症もあり、(強度の近眼によるもので原因がよくわからず視野が欠け続けるものとは違う)緑内障よりも網膜剥離の方を私は心配している。もっとも、網膜剥離はストレスが原因とも言われ働き盛りの年代層に多いらしい。私は毎日が日曜でストレスは妻の小言ぐらいしかないのだが。
 上記の眼科医に相談すると、予想外に、網膜剥離は目の疲れやストレスは関係がないと言われ、ボクシングのように物理的に衝撃を与えられたのではないなら事前対応は難しいとのこと(ネットを見れば、網膜裂孔を伴わない「中心性漿液性網脈絡膜症による滲出性網膜剥離」は、ストレスが関与しているらしい)。
 目の手術で全身麻酔は避けたい(慢性副鼻腔炎、胆石による胆嚢炎で2度全身麻酔を経験。全身麻酔は体に負担。目の手術で全身麻酔は疑問)と私が言えば、医師は、昔はすべて全身麻酔であったが、今は局所麻酔もあると。そのときは紹介すると聞き、安心した。
 私は基本運動しない為か172㎝の私の体重が74㎏を超えると痛風とは違う足の指の変調を自覚したり血糖値も上がるので、73㎏以下に抑えるようにしていた。ずっと72キロ前後で油断していた。風呂ですこし筋肉が落ちたかなと思い、体重計に乗ると70㎏を割っていた。それは52歳での胆嚢摘出手術で入院した時以来であった。7歳年下の、体重と口が減らない妻に話せば、「私の半分ぐらいしか食べてないからよ」と言い返された(私は一向に体重が減らない妻の方が食べすぎだと思うのだが)。
 66歳で卒職した頃まではグルメ雑誌『おとなの週末』を観て、未訪の名店廻りをしていた。看板に偽りなしと思えば妻を帯同し再訪していた。
 卒職してしばらくはまだB級グルメを目的に遠方まで足を延ばしていた。町田市にあるラーメン店に女店主の先駆けで「ラーメンの母」と呼ばれた店主がいる『雷文』に2時間近くかけ訪問した(店主の宇都宮氏のご尊顔を拝したが、もうラメーンは弟子が作っていた)。その後南町田に足を延ばして『109シネマズ グランベリーパーク』で映画を観て、また町田に戻り、夕食として、雑誌「dancyu」にて「日本一のカツカレー」と紹介された 『リッチなカレーの店 アサノ』 で評判のカツカレーを賞味していた。それが今では銀座に出るのも億劫と感じるようになってしまった。
 思えば、2020年頃の新型コロナ禍で遠出する習慣がなくなってしまった。さらに70歳になり東京都のシルバーパス(都営地下鉄、バスにおける割引の年間定期カード)を利用できるようになると錦糸町に出る(徒歩で35分)のにバスを利用し、歩く距離が短くなってしまった。尻に厚みがなくなった最近気が付いた。
 若い頃は、お腹が空くと怒りっぽくなり、「何とも下等動物でしかないのか!?」と自嘲していた。が、今はそんなことも無くなった。食い意地が張っていたハズなのに食欲が衰えてきた。ずっと体重の増加を警戒していたが、これからは体重の減少を心配することに。

 後期高齢者になって、悪いことばかりかというとそうでもない。妻と娘の私への評価か少し回復した。私は元来人見知りし、知らない人に対する警戒心も強い。毎週のごとく独りカラオケと映画鑑賞で週2回朝バス停に立つ。老婦人が挨拶してくれるので、会釈を返すが「今朝はさむいですね」とか話しかける事はない。
 同じく、可愛くいつもニコニコとステップを踏むような幼稚園女児がママさんと通るのを眺めていたが、声掛けすることはない。ところが、ある日珍しく女児が愚図っているのを見て、40歳前後のママさんに「いつもニコニコなのに、今日は機嫌が悪いみたいだね」声掛けした。泣きべその女児には声かけず。そして、1週間ぐらい後遠くから女児が私を見つけるやいなや「あっ! ジイジだ」と声を上げた。私は嬉しく思った。が、祖母さん?がママさんに「知り合いなの?」と聞いていたが、「違うのよ」と嫌そうに。女の子が可愛いく人懐っこいそうなので誘拐など日頃から心配しているのかも(ママに注意されたかそれ以来幼児は私を見ると戸惑いの表情に)。

 その前にも、2/8の衆院総選挙の朝夫婦で投票会場の最寄りの小学校へ行った時校門のそばで雪が降り傘も差さずに頭に雪を乗せて女子中学生がひとり立っていた。これまでなら横目でちら見するだけなのだが、「おい、大丈夫か?」と声をかけた。女子は元気よく大丈夫です!と。約束の時間に連れが来ないと言っていた(老人を自覚したことを契機として本能が私を変えようとしているのかも)。
 幼女の話を妻にすると、妻が、毎週土曜実家に来る、他家に嫁いだ意識が希薄な娘にその話をした。娘は普段おやつをあげる私を孫のデブ化(少学3年生になる前に140㎝、52㎏)の戦犯扱いしていつも文句ばかりいっている(私は1日/7日の責任は負うが、主因は後述する娘と祖母である妻の隔世遺伝)。
 この時は違っていた。娘は「変われば変わるもんだね。昔お父さんは外出先では小さい子供たちは邪魔みたいな態度だったのに。あんなに孫を可愛がってくれるとは思わなかった。子供を産んで本当によかった」と妻に言ったらしい(世代交代の意味では、孫は生まれ変わりとも言われ、祖父母が孫を可愛がるのは人類共通の本能でしかないのだが)。少しは感謝してくれていたのかと嬉しく思った。
 話が長くなるが、そんな娘のことを敷衍すると、娘は妻によると独身時代から婦人科に通っていたという。結婚しても子供は難しいかと思っていたら思いのほか早く妊娠した。
 介護福祉士(現在パートで復帰)の娘はダウン症などの検査は受けないと言っていた。何としても産むとの娘の強い意志を感じとり、そんな子らの親御さんの大変な話、哀しい話を知っていたが、あえて私は反対はしなかった。
 ところが、「へその緒」と俗称される臍帯は通常胎児と胎盤をつなぐ血管で、動脈が2本で静脈が1本計3本あるのが普通だが、動脈が1本しかないことが発覚した(単一臍帯動脈は全分娩の約1%に認められ、とくに珍しい訳ではないらしいが)。専門医に診てもらう間心配の日が続いたが、専門医から一本でも太いから大丈夫のお墨付きをもらった(その結果を確認してから妻は初めてその問題があったことを私に報告した。妻は脂肪が教養を上回るが、社会的IQは高い。私は、IQは高くないが、社会的IQはもっと低い)。
 動脈が1本の為(単一臍帯動脈では臍帯の血流が障害され、胎児発育不全の原因になるとも)か男児としては2,600g台と小さかった。出産直後看護婦さんから「何してるの!? おっぱいを沢山あげなきゃ!」と言われたのがトラウマになったか、小さく産んで大きく育て過ぎた。3歳ぐらいからは妻の隔世遺伝が作用した。体形だけでなく食べっぷりも妻そっくり。

 家族にも相談せず銀行を辞め(家族にとっては青天の霹靂)、社団設立に参画すべく1994年正月に単身上京した。

 しかし、すぐに神戸との二重生活が困難となり、春休みに家族も上京させることに。義父に頭を下げ私以外妻の実家にしばらく住まわせてもらった。が、義母にとってはいきなり3人の子供が同居して静かな生活が奪われた。大谷翔平選手が生まれた1994年7月5日あたりでは、娘である妻との折り合いが悪くなってしまった(アンタのせいで仲が良かったのにと義母が亡くなってからもいまだに妻から嫌味を言われる)。
 予定より早く、私にとっては銀行時代とは違う「出世」「物欲」の煩悩とはおさらばした、家族5人での慎ましやかな新生活をスタートさせた(長嶋監督率いる巨人が中日との一大決戦に勝ちリーグ優勝を果たした、韓国の人気歌手兼youtuberのYOYOMIさんが誕生した、1994年10月8日のその頃に)。
 それから妻は24年間も正社員として働きながら3人の子供を育てあげてくれた。妻にとって私はハズレだったが、私にとっては妻は大当たり。感謝していると言うと、当たり前よと。この時ぐらいはしとやかにすればいいのに。体はしなやかな柳腰にはなれないのだから(本号が妻の目に留まれば、また叱られる。「私を出しに笑いをとろうとしないで!」と)。
 私に振り回されていた家族にとって、今私が仙人みたいに孤高ならぬ孤低を保ち、大人しく、穏やかになったことでようやく平和が訪れたと思っているのかも知れない。

 75歳にもなると年上の世代よりも年下の世代が圧倒的に多くなる。首相も年下になった。「亀の甲より年の功」と言える歳になったとも言える。
 戦争もバブルも世代が交代すると過ちを繰り返す。私が銀行の証券部長だった頃の世代はもうリタイアしているだろう。バブルの崩壊による株式不況に大手証券の株式部長は皆胃がないと言われるほど悪戦苦闘した元戦友たちは、ご健在であろうか。
 今年の3/9に一時4,000円を超える大暴落(当日終値2,892円安)を見たが、一昨日も一時2,800円を超す下落。昨日は戻り乱高下が続いている。

 2年前の同じ4/20に、2024年5月臨時号NO.208(「NASA VS NISA」)にて私はこう書いている。 
 「株式にもビギナーズラックがある。ただ運がいいだけなのに2、3度儲けると自分は株に向いている、才能があると思いがちになる。身の程を超えた額を投じたとき、とかく誰もが予想しない大事件が起こり、大損してしまう(米国ツインタワーに飛行機が突っ込んだ時、首謀者のグループは直前に株や先物を売って大儲けしたろうが)。」 
 その2年前には、書かなかったが、書くべきであったか。

 主婦は株を始める場合は事前に夫に了解は得ずとも報告しておくべきである。原資がへそくり、親の遺産だからと夫に内緒にしがちでは。とくに先物等ハイリスク・ハイリターンの取引をすれば、大損する場合がある。持ち家を手放さざるを得なくケースもある。それは夫には言えない。身を落す主婦が出る。フィクションの世界だけの話ではない。夫に報告しておけば、家を売ってでも愛妻を守ってくれよう。

 戦後5年を経て生を受け、戦争の傷跡を見ていた、バブルの崩壊それに伴う銀行の破綻も経験した爺は、歴史を振り返りもせず抽象的にモノを考えることができない、痛い目に遭わないと理解できない人達、とくに若者たちに苦言を呈する(もっとも若者は私のブログなど読まないが)。
 61歳を前にして本ブログを書き始めた頃、教養がない、視野が狭い、アホかと読者に思われないかビクビクしながら書いていた。50号に到達したときハードカバー、リボン付きで自費出版し、学生時代の同級生やお世話になった先生方に贈呈した。お世辞と分っていてもこれからも書いていく自信に繋がった。それでも文才のない私が今日まで長く続くことになるとは思わなかった(駄文であろうとそれだけは自分で自分を見直してあげたいと思う。妻には認めてもらえないので)。
 これぐらいの歳になると、嫌われたらどうしょう、嗤われたらとはもう思わない。鈍感力がついたということか。
 妻は、「私をわざと怒らして喜んでいる嫌な奴」と私に向かって言う。都知事も経験しマルチに活躍した作家兼タレントの故青島幸男がTVドラマで扮した『いじわるばあさん』に似ているところがあるのかも。“いじわるジジイ”として今後とも本ブログで言いたいこと遠慮せず言うことにするか。

 賢い人からアホかと思われても、どうせすぐ逝くのだから、「死出の旅の恥はかき捨て」とか言って、とぼけよう。

 何もかも“終わった人”と観念したら、前より明るくなったかもしれない。日の丸を背負った五輪メダリストが引退表明しほっとするのとでは雲泥の差ではあるが。

  生命保険文化センターによると、2022(令和4)年の「健康寿命」をみると男性で72.57歳、女性で75.45歳。同年の「平均寿命」は男性で81.05歳、女性で87.09歳とのこと。 
 健康寿命の定義は「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」であり、「平均寿命」と「健康寿命」との差は、日常生活に制限のある「健康ではない期間」を意味するという。 男の私はこれからは健康でない生活を送るということか。
 男性の平均寿命が81歳なので、人生のゴールを傘寿の80歳ではなく、81歳に設定し直した。1981年5月3日に結婚したとき、50年後の金婚式はとても無理と思っていた。今のところ前立腺がんの再発もなく他の病気も今のところ顕在化していないので、5年後の金婚式はぜひ迎えたいと思う。その年の8月1日に満81歳になる。そこでコロリといけば理想的だが(『デスノート』の映画版シリーズではLはデスノートに自身の名前と予定死亡時刻を書き予定死亡時刻に亡くなる)。現実の世界では、自殺するしかないが、そんな度胸が私にあるとは思えない。
 なお、自殺を「自死」と言い換えることに苦言を呈したい。昔から「死」の漢字は忌み嫌われており、「自殺」に代わる熟語として、「死」を使わず「自害」「自刃」「自裁」「自刎」「自決」などが使われてきた。さらに、「自死」は、武士の時代、組織や他者の為に自らの命を断つことを「自死」と言っていなかったか。

 病気などで高齢者が家族に迷惑をかけないように自らの命を殺めるならまだしも、若者が自殺するのに「自死」使うべきではない。それは武士に対する冒涜とも言えるのでは。
 (本人に非がなくとも)病気で親よりも早く逝くことでも親不孝なのに、自分勝手に自殺して遺族を自責させ苦しめる。それを和らげる為にと自治体の小役人たちが「自死」を使いだす。却って自殺を美化することにならないか。

 いやしくもペンを生業とするプロたちが、それを率先垂範するとは何事か!?
 このように、突然激高するのも認知症への入口に立っていると言えるだろう。
 認知症になるほど長生きは望まず、川寿(111歳)、百寿(100歳)は無論のこと米寿(88歳)も期待しない。が、ボケたり寝たきりになり妻に迷惑をかけないよう、家では筋トレでなくともストレッチを、外出には(極力)徒歩を、食事はバランスを、目には目でなく目薬を歯には歯でなく歯ブラシを(舌に舌ブラシも)、色ボケに注意を、妻には刺激を与えずを(作用より反作用が数段大きい)、心掛けでいきたい。

(次回244号は4/20にアップ予定)