八幡宮は宇佐八幡宮が起源で、奈良時代以前から九州で信仰が広がり、中世以降は全国的に流行しました。主に武家の守護神とされ、従来は明神や天神を祀っていた神社が八幡に改称・合祀された事例も多いようです。

 

八幡宮の祭神は、通常 ’応神天皇’ なのですが、枯木八幡宮はなぜか火雷神(ほのいかづちのかみ)で雷除けの神様が祭神となっています。

 

これは、この地域が大阪湾から東に入り込み雷の通り道となっていたうえに、阿麻美許曾神社(天見山)の北斜面に背の高い大木が多かったことから、落雷が多かったと推測されます。そのため、この地域には古くから雷様を祀った「宮」があり、中世に八幡宮が全国に流行ったときに「枯木八幡宮」と改称されたのではないでしょうか。

 

大木が多かったことは、古事記(712)の仁徳紀の「免寸河の西に大木があり、その影は朝は淡路島、夕方は高安山を超える。その木から船を作ったら高速船枯野’ができた。」から、免寸河を大和川付替え前の西除川とすると、枯木村に大木が多かったと個人的に推測します。

                                       

また、枯木八幡宮はもともと今の場所ではなく、大和川付替えで分断される枯木村の中心に近い場所にあったと推測します 。しかし、その場所は大和川の付替え(1704)で新しい大和川が通る場所となってしまいました。本来なら工事に伴って遷宮するはずですがその記録は残っていません。その理由は、付替え工事が行われた当時、枯木村は村内の争いにより北枯木村、南枯木村に分かれて(1661-1727)おり、枯木八幡宮の遷宮先の場所が定まらなかったためと推測します。

 

現在は大和川の北側の永安寺の近くにあるのですが、これは枯木村が再統一された後に、永安寺が宝暦年間(1751-1764)に開基される際に、併せて傍に小さく再興されたのではないでしょうか。