図書館の裏手にある、少し離れた場所にその公園はある。公園というには粗末で、家一軒分程の面積しかない。遊具も存在せず、有るのはベンチ二つだけ。
公園という機能を果たしていないこの場所は、ただそこにあるだけの存在で、子供が遊びに来る事も、ましてや、野良猫すら寄り付かない場所だった。
その場所を囲う様に植えられた木々は、長年の雨風により内側に曲がり、公園を包み込むかの如くその姿を変えた。
誰も来ない、誰も寄り付かない、名前も無い、そんな場所にただ一人、いや、二人と言うべきか、その女の子は出会った。
目覚めた朝は、窓に丁度良く太陽の光が注ぎ、とても清々しい一日になると、教えてくれているみたい。
中学三年間を過ごし、四月には新しい学校生活が始まる。その準備期間に設けられているのが『春休み』だとしたら、一体どんな準備をすれば良いのか。
悩み事もたくさんある、新しい生活に馴染めるのか、勉強についていけるのか、友達は出来るだろうか、悩みの種を紐解いていくと、一気に気分が悪くなるので、綵はその紐を硬く絞めた。
せっかく太陽が良い一日になると教えてくれているのに、自らそれを否定するのは勿体ない。今は今日一日をどう楽しく過ごせるか、それだけ考えればいい、綵はそう心に決めた。
「あーちゃんおはよ!」
ベッドからモゾモゾと這い上がろうとした時、姉の空子(くうこ)が声を掛けてきた。
「あ、くぅ姉さんおはよー」
「あーたん、今日は珍しく早起きだね?デート?」
あからさまに顔が赤くなる綵を見て、空子は余計に囃し立てる。
「もうっ、彼氏なんていないの、くぅ姉さんが一番わかってるはずだよ?」
「だって、あーたん可愛いんだもん///」
「可愛いくないから」
照れるけど、「可愛い」と言われるのは嬉しい、空子は毎朝の様にこの言葉を言っては、綵の仕草を見てはしゃいでいる。
「でー、本当に彼氏とデートなの?」
「違うって!今日はお日様がポカポカだから、どこかに行こうかなって」
空子は「そっかー」と言いながら、綵の部屋を眺めた。
「綵、久しぶりにお姉ちゃんとデートしない?」
空子は出掛けることを常々「デート」と言う。以前カラオケに行く時も「カラオケとデートしてくる」と言っていた。
「いいよ、どこに行くの?」
「あーちゃんが大好きな場所だよ」
連れて来られたらのは、町が運営している図書館だった。町民なら誰でも本やCDが借りられる、しかも無料で。
綵はこの図書館が大好きだった、館内に流れる気品漂うクラシックに、本独特の香り、壁に掛けられた大時計は、一時間過ぎる度に「ゴーンッ」と響く。喉が渇いたら吸水所もあるので、丸一日過ごせる自信がある。
「あーたん、ここに来るのは久しぶりじゃない?」
小学生の頃は、よくこの場所に来て本を読んでいたが、中学になると勉強や部活で忙しくなり、図書館にも行けなかった。
「うん、久しぶり。全然変わってない…わけでもないね」
よく見ると、本を検索できるパソコンが用意されていた、小学生の頃には無かった品物だ。
「時代は日々進化していくねぇ~(笑)」
時代は日々進化する…かぁ。
時間の流れは、意識していないとあっと言う間に過ぎてしまう。ついこの前まで中学生だったのに、気づいたらもう直ぐ高校生だ。中学生だった頃が懐かしく感じてしまうのも、時の流れと言う大きな渦の中に身を置く者として当然なのだが、寂しさはまだまだ抜けそうにない。
「新しい本、見てみようよ♪」
空子は急かす様に入口に入って直ぐ右手にある新刊コーナーへ促した。
経済、児童文学、歴史、様々なジャンルの本が、バラバラに置かれている所が、なんとも図書館らしい。
「面白そうな本、ないね」
綵は新刊コーナーを抜け、奥にある小説コーナーへ向かった。
著者があいうえお順に並べられてあり、新刊コーナーとは違い、ちゃんと管理されていると思いきや、順番がバラバラだったりする。
こういうのを見ると、ついつい直してしまうのが綵の癖で、アーサー王物語を全五巻、きちんと並べていた。
適当に目についた本を手に取り、面白そうだと思ったらキープ、それを十回程繰り返し、手元に残ったのは二冊。
空子はというと、CDレンタル用の緑色をした10cm程のプラスチックの板を三枚、にやにやしながら持ってきた。
「くぅ姉さん、何借りたの?」
「秘密(笑)」
その含み笑いから察するに、聴きたいと言うよりも、面白半分で持ってきたに違いなかった。
「あーたんは、その二冊だけ?」
「うん、よくわかんないけど面白そうだから」
この『よくわかんないけど面白そうな本』は、どれくらい自分を楽しませてくれるのか、家に帰ったら早速読もう、綵は今日一日を読者して過ごすことに決めた。
図書館を出て、家に戻るかと思ったら、急に空子は足を止めた。
「どうしたの、くぅ姉さん?」
「久しぶりにさ、図書館に来たんだし、あそこにも行って見ようよ♪」
「あそこ?」
「ほら、図書館の裏手にある、ちょっと離れた場所にある公園だよ♪」
そういえばそんな場所があったっけ、小学生の頃はよくそこで遊んだ気がする。
「くぅ姉、行こっか」
二人は昔話に花を咲かせながら、その公園へ向かった。
「わぁ~、代物変わってる…というか、無くなってる」
その公園には昔、木で出来た小屋(と言っても、屋根がある鳥カゴを大きくしただけみたいな粗末なもの)があったが、今はその小屋は取り壊されてしまった様で、跡形もなくなっていた。
唯一残されていたのは木で出来たベンチが二つ、こちらも木が朽ち始めていて、ネジが剥き出しになっていたりする。
「懐かしいね~、あの頃は広く感じたのに、今見ると狭く感じるね」
懐かしい…のか、綵は不思議だった。この公園で遊んだ記憶が無いのだ。確かに見覚えはあるが、その記憶さえ朧気で、綵はなんだか気持ち悪くなってきた。
「くぅ姉さん、ちょっと気分悪くなってきちゃった…」
「そうなの?じゃあ、ベンチに座って日向ぼっこしよっか!」
「うん…」
「帰りたい」とは言えなかった、空子は懐かしいのか、公園を行ったり来たりしている。
何で空子はこの公園が懐かしいのか、何で自分は気持ち悪くなるのか、まるでこの公園が自分を拒絶しているかのように感じる。
気がつくと、空は夕暮れの赤に染まっていた。綵はあれからベンチに寝転び眠ってしまったようだ。
少し肌寒い風が吹くと、綵は何かとてつもない不安に駆られた。
「くぅ姉さん?」
どこを見渡しても空子の姿は無い。
自分を残して帰るような姉ではないし、いつも自分を気遣ってくれる姉だ、しかし、空子をいくら呼んでも返事はなかった。
「えっ…?」
瞬き一つした瞬間、自分の目の前に少女が立っていた。
「えっと…アナタは誰?ここら辺の子かな?お母さんは?」
ただじっと綵の目を見つめて、何も答えない少女に、綵は不気味さを感じた。
「ねぇ…」
綵が声をかけた時、小さな声だったが、はっきりと聞こえた。
「オカエリナサイ」
「お~い、起きろ~」
目を開いた時に、目の前にいたのは空子だった。太陽はまだ頭上にあり、暖かい日差しを注いでいる。
「くぅ姉さん、私…寝てた?」
「うん、気分悪いってベンチに横になった瞬間にぐ~って(笑)」
あれは夢だったのか、今思い返すだけでも気色悪い夢だった。
あの少女は何者なんだろう?
「おかえりなさい」の意味は?
思い出す度にあの子の瞳を思い出す。白目が無く、真っ黒の瞳。少しボサボサな髪、黒いシャツに、血の様な真っ赤なスカート。
見たことのない子供だった…と思う。
この場所に来てから、綵の記憶はグラグラ歪んでいる。まるで、この記憶が自分のものではなく、誰か他人の記憶の様な、そんな記憶。
「何ぼーっとしてるの?綵?」
「あ、ごめん」
「そろそろ帰ろっか?お腹空いたし♪」
手を繋いで帰る私達の後ろで、あの子がじっと見ている気がした。
頭の中で、あの子の高い様で低い声が響く。
ーオカエリナサイ…。
良い一日になるはずが、とんでもない日になってしまった。
頭の中から、あの少女が離れない。
ただの夢、そう、あれはただの夢。
私は、悪い夢を見たんだ。
「ねぇ、あーたん」
「何?」
「優ちゃん、覚えてる?」
「えっ?誰?」
「昔よく、あの公園で一緒に遊んだじゃん」
知らない!知らないよ!記憶にない!私の記憶に、その名前の子は知らない!
「明日も行ってみよっか?あの公…」
「行かないっ!!」
綵は自分の部屋から空子を追い出した。
「誰?優ちゃんって…誰?」
ーオカエリナサイ…。
頭の中に思い浮かぶのは、あの少女。もしかしたら、あの子が優ちゃんなの?
もしそうだとしたら、何で私の記憶に優ちゃんはいないの?何であの公園で遊んだ記憶が無いの?
あぁ、それよりもくぅ姉さんに悪いことしちゃったな…。
綵は部屋の扉を開けると、半泣きになってる空子がいた。
「あぁぁたあぁぁん!ごべんねぇぇ!!」
姉なのに、こういう所はまるで妹みたいで可愛いかった。
「私こそ…ごめんね」
抱きしめながら、姉の頭を撫でる姿は、端から見たら不思議な光景だろう。
「くぅ姉さん、明日、もう一度あの公園に行こ?」
次の日は、雲が太陽を隠し、風も強かった。
「あーたん、今日はやめよっか?」
「うぅん、行きたいの」
「…わかった、行こ!」
風は思っていた以上に強かった、道行く家の窓はガタガタ鳴り、家の隙間を縫う様に吹き抜けた風は、「ヒューッ」とその声を上げる。どこからか歩いてきた青いバケツは、踊りながら道を横切って行った。
「ちょっと寒いね、あーたん、大丈夫?」
「うん、平気」
寒さはそれほど気にならなかった、綵が気になっているのはあの公園と、きっと「優ちゃん」であろう少女のことだった。
公園に近づくに連れ、頭がガンガンと痛み出す。
体が行くことを拒絶しているみたいだ。
それでも綵は、その痛みを訴えることなく進む。横目でみる空子は、心配してるようだった。
公園に着いた。
公園を囲む様に植えられた木々は、風でザワザワと揺れる。
「あーたん、着いたけど…」
「くぅ姉さんありがと。私、ちょっとベンチに座ってるから、もし暇だったら図書館で本読んでてもいいよ?」
しかし、空子は首を横に振った。
「一緒にいるよ、なんかあーたん、昨日から様子がおかしいんだもん…」
「そっか」
正直な所、空子が隣に居るのは心強かった。
しかし、空子がいるせいで、あの女の子に会えない気もしている。
それでも綵は、昨日と同じ様に目を閉じた。
気がついて目を開けると、やはりそこは昨日と同じく、真っ赤な空が浮かぶ公園だった。
「くぅ姉さん?」
さっきまで隣にいたはずの空子は、また姿を消している。
今度は、ちゃんと確かめなきゃ。
綵はベンチから立ち上がると、公園を歩き始めた。
風は止んでいる。
むしろ、物音一つ聞こえない静寂が包み込んでいる。
あの子はどこにいるんだろう?
「オカエリナサイ」
後ろを振り返ると、そこに少女はいた。
「アナタが優ちゃん…なの?」
「オカエリナサイ」
「アナタは誰なの!答えて!」
「オカエリナサイ」
少女はあの黒い瞳で綵を見つめている、その表情は無表情で、「オカエリナサイ」と言うような、温かいものではなかった。
「私に、何を伝えたいの…!」
「オ カ エ リ ナ サ イ !」
「綵っ!!綵ぁ!!」
「……また、だ」
「何?どうしたの!?」
昨日と全く同じ、気がつくと空子がいて、私がしっている景色になっている。
「ねぇ、くぅ姉さん…」
「もう帰ろ、あーたん。この場所にはもう来ない方がいいよ…」
「優ちゃんって、どんな子?」
家に帰った綵は、小学生の頃の卒業アルバムを探した。
綵が見たのは、間違いなく『優ちゃん』だった。
空子の言っている優ちゃんの姿が、綵が見た少女と一致したのだ。
「…優ちゃん、見つけた」
確かに、同じクラスに同じ姿の少女がいた。
どうして記憶に無いのだろう、遠足やクラブ活動の写真には、常に隣にこの少女が写っていた。
「あーたん、小学生の頃の卒業アルバムなんて引っ張り出してどうしたの?」
「優ちゃんが見たくて」
「そっか、仲良しだったもんね…本当に残念だったよね…」
「残念だった…?」
「あたし達と遊んでる時、事故にあって…本当に覚えてないの?」
「あ…あぁっ…あぁ!!」
記憶がまるでモノクロ映画の様に、頭の中で映し出される。
仲良しだった優ちゃん、可愛いかった優ちゃん、大好きだった優ちゃん、思い出すのは優ちゃんの優しさ溢れる笑顔。
そして。
真っ赤に染まった優ちゃん。
私は、思い出すのが辛いから、ずっと記憶を閉じ込めていたんだ。
それでも「おかえりなさい」と言ってくれた優ちゃん、そんな優ちゃんに、私は「アナタは誰?」なんて酷いことを言ってしまった。
卒業アルバムの写真の上に、綵の瞳から落ちた涙が、そのページを濡らす。
「あーたん!?どうしたの!?」
「優ちゃんごめんね!私…忘れてた!違う!優ちゃんのいない世界が辛くて、悲しくて!記憶を閉じ込めてた!くぅ姉さん、明日、また一緒にあの公園に行こう!私、謝らないと!優ちゃんに謝らないと!」
「な、何だかよくわかんないけど、わかった、わかったから泣かないで?」
「こめん、ごめんなさい優ちゃん…」
次の日、あの公園には人集りが出来ていた。公園の横にはパトカーが止まっている。
「何だろう…」
綵と空子は野次馬を掻き分けて、人集りの一番前に出た。
目の前に広がっている光景は、よく刑事ドラマで見られる、人型に沿ったロープと、鑑識官が数人、人型に沿ったロープは、赤い血だまりに触れ、赤く染まっていた。
「殺し…ですか」
「通り魔的な犯行だろう、包丁で後ろから一突き、更に、前に三つの刺し傷だ。現金が抜かれてるから、強盗殺人の疑いもあるな」
何でこんな場所で殺人事件が?
「警部!林の中から犯人と思われる者が生活している跡がありました!」
「何っ!?ってことは、犯人はずっとここで生活してるホームレスってことかっ!?」
綵と空子は呆然としていた。
そう、二人があの公園に遊びに来ていた頃、犯人はもしかしたら一緒に居たのかも知れない。
「あーたん…大丈夫?帰ろ?」
「うん…あっ」
そうだ、そうだったんだ!!
優ちゃんが言っていたのは、帰って来たことを喜ぶ「おかえりなさい」ではなく、早く帰りなさいという意味の「お帰りなさい」、つまり警告だったんだ!!
「くぅ姉さん、優ちゃんって、やっぱり優しいね…」
「急にどうしたの?」
「何でもない!!」
私は、優ちゃんのお墓に行くことにした。
言わなきゃ、「ごめんね」じゃなくて、「守ってくれてありがとう」って!
「そうだったんだ…」
お墓に向かう途中の道で、綵は最近自分に何が起きていたのかを説明した。
「何でもっと早く話してくれなかったの?」
「信じてくれないと思ったから」
「信じるよ、あたしはいつでもあーたんを信じてる!」
「ありがと、くぅ姉さん」
お墓に着い二人は、お花を添え、お線香に火を灯した。お線香の香りが辺り一面に広がっていく。
(優ちゃん、あの時、アナタは誰なんてことを言ってごめん。優ちゃんはずっと警告してくれていたんだよね?ありがとう、優ちゃん。もう絶対忘れないから…また来るね?)
「そろそろ行こっか、あーたん」
優ちゃんのお墓を背に、綵は歩き出した。
その時、後ろから聞こえた気がした。
優しい声で、二人を包み込むよえな美しい声で。
ーおかえりなさい、綵ちゃん…
風が一瞬、二人の間をすり抜け、空へ舞い上がって行った。
おしまい。