【射精を最後の目的としないセックスのために】


パートナーと全身全霊で融合するような性の交わりを実現するやり方についてお伝えしよう。

手始めに必要なのは、二人が持つ性の営みという一連の時間に対するイメージを、ガラリと切り替えることである。


女性原理と男性原理の違いを表したイメージ図を思い出して欲しい。



従来の、ひたすら射精を目指すAV型セックスは、その男性原理の図と丁度同じ、

《先っぽに矢印のついた一本の右肩上がりの直線》のようなイメージだったのだ。射精という"ゴール"を目指して"ハイ、用意、スタート"とダッシュをかける営みとでも言おうか。世界を支配する意識がそう塗り替えられたのに従って、セックスの作法もその意識の相似形となったわけだ。


これに対して、射精を最後の目的としない、全身全霊の融合型セックスは、女性原理の図と同様、《ぐるぐる円をなして循環を繰り返す曲線》だとイメージしてほしい。

昂まっては静まる、繰り返し起こる波に乗せられながら、好きなだけ続けることができ、またいつでもやめることができる、そんなイメージである。

波が静かな局面にいる時は、身も心も、興奮というよりその対極の「くつろぎ」の中にとけているようであればいい。弱めの快感が継続する状態は、実に瞑想にも似ている。



【愛は、放射するもの】


互いに写し絵のように似通う、心と体を持った私たち。食べ物は、体への愛。愛は、心の食べ物。

そう考えてみると、ダイエットというのは、

「愛から成るもの」を「敵」と見なすように、私たちに刷り込む策略だったとも読める。


ダイエットのお陰で、食べ物は感謝する相手ではなく、自分を食欲の誘惑へと引きずり込む、魅力的だが憎い相手、ということになってしまっている。心に一つできたほころびは、他の分野へも

同じ形でコピーされる。


たとえばまず、親の愛から来ているいろいろな物事を、まるで自分の足を引っ張るも

ののように疎ましく思う感受性ができ上がってしまう。食事を作ってくれること、日常生活上の心遣いや、人生態度へのアドバイス、そういうものをありのままに受け取れなくなってしまうのだ。


その代わりを何が埋め合わせるのかといえば、恐ろしいことに、「利害や欲得の意識から成るもの」を、自分への「愛」と思い違えるようになる。