ことばの物語
<豈ーあに・ガイ 敢ーあえて・カン>
<豈>
豈(あに)・・・せんや。「どうしてそんなことがあろうか」。
「豈はからんや」は「どうして予想できたであろうか」と
なりますが、これは音が似ているところかで、字の意
味とは関係ないそうです。
また、下の「豆」も、本来は「高坏(たかつき)の形」で、
「まめ」を表すのは音が似ていたところからと。
二つとも本来の意味で使われることは、ほとんどな
いようです。
では、本来の意味は?
第一、第二の辞書
<「豈」は、上に飾りのついた太鼓の象形で、戦い
に勝った喜びの音楽の意味。転じて、たのしむ意味
を表す。>
豈楽(ガイガク)
勝ち戦に奏する音楽=凱楽
これを「ガイラク」と読むと、やわらぎたのしむこと=
愷楽
豈弟(ガイテイ)
これもやわらぎたのしむこと=愷悌
豈唯に形骸にのみ聾盲あらんや
なんでただ身体的なことだけに見聞する力がある
だろうか。
心も見聞する力があるという意味。
むしろ、認識は心によるものですね。
「心ここにあらざれば、見れども見えず、聞けども聞
けず」とは、そこに意識が集中していないからであ
ります。
見えるものは、脳の後頭葉の視覚中枢で見てます。
聞えるものは、脳の側頭葉の聴覚中枢で聞いてます。
意識の働きであります。心の働きであります。
<敢>
あえて~押し切って・・・する。
役夫敢えて恨みを申(のべ)んや
(杜甫:兵車行)
長年の兵役の恨みですね。
<兵車はぎしぎしと進む 馬は哀しげに嘶く
兵は弓矢をそれぞれの腰に帯びる
父母や妻子は必死で追いすがり
・・・・・・・
犬や鶏のように戦争に駆り立てられる
・・・・・・
出役の恨みを兵士である私はどうして言えようか>
不敢~すすんで・・・しない。
敢不~どうして・・・しないことがあろうか。
第一の辞書
<「敢」は、金文で「又+又+占」で、両手で「占」の
「ト」を、していおしまげたさまから、道理として合
わないことをしいてする、あえての意味を表す。>
似ても似つかない字ですが。
第二の辞書
<「敢」は、古くは「手+手+(/印=払いのける)+
甘=口の中に含む」で、 封じ込められた状態を、
思い切って手で払いのけること、>
これは、もはや漢字の数式みたいで、暗号謎解
き解字であります。
漢字の暗号謎解き推理小説が出来そうです。
解字、ともに苦戦していますね。
辞書によってこんなに解字が異なるのも珍しいです。
敢えて天下の先とならず
老子の無為自然のままに生きる道理を述べたもの。
世の中の人の先頭に立とうと争わないで、控えめ
な態度を保っていれば、自分を生かすことになると
いうこと。
=敢えて主とならずして、客となる
敢えて後(おく)れたるに非ず、馬進まざるなり
中国の魯の大夫の孟之反という者が、退却に
殿(しんがり)をつとめ、敵を防ぎ功績をあげたが、
城門に入る時このように言った謙遜の言葉で
あります。
今日一日 幸運でありますように
誤字脱字ご容赦ください。
2014.12掲載再考
