言葉の物語
<存在>
ミラン・グンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』が、目の前
の本棚にあります。
そこで、今日は「存在」について少し勉強。
書き出しを少し引用してみます。
<永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはそ
の考えで自分以外の哲学者を困惑させた。
われわれがすでに一度経験したことが、何もかももう一度繰り
返されそしてその繰り返しがさらに際限なく繰り返されるだろう
と考えるなんて!
いったいこの狂った神話は何を言おうとしているのでしょうか>
と、物語は最終的にこの書き出しに終結してきます。
永劫回帰!
もとはイントに発生し、ヘレニズム世界では、
ビタゴラス教団が受け継いだ。
東洋では仏教に引き継がれた、輪廻の思想。
この輪廻の輪を断ち切るために、数の世界に魂の浄化を求め、
禅のなかに、念仏の中に、煩悩を断ち切ろうとした。
天人たりとも五衰し、浄土には行けぬものらしい。
なんとも重いですね。
「存在の耐えられない重さ」を感じさせる人はいますが。(笑)
第一の辞書
<「存」は「ナ=ある」に「子=まご」で、一筋に繋ぎ止める意。
そのままある状態につなぎとめおく、たもつの意味を表す。>
<「在」の元の字は「才=川の氾濫をせき止める良い木」と
「士=まさかりの象形」で、災害から人を守って存在させるも
のの意味から、あるの意味を表す。>
第二の辞書
<「存」は「ナ」に「子」で、残された孤児をいたわり落ち着ける
意味を表す。>
孫が孤児になるとは。
<「在」は「才=川の流れをせき止める」に「土」で、土で塞いで
水の流れを切りとめるで、転じてじっと止まる意。>
存命
「御両親は存命ですか。」
これを「御両親は生きていますか。」というとダイレクトすぎま
すね。
ただ、「命がこの世に存在していますか。」と分解してみると
はなはだ失礼になりそう。(屁理屈)
在銘
刀剣などに書かれた銘で、この反対が無銘となります。
在所住まいの喜三次(きさんじ)
在所は田舎。「喜三次」は「気散じ」で、気軽を人の名に洒落
たもの。
田舎暮らしは気楽ですと。
出身地を聞く時、「どこの在?」と昔の人は聞いたもので
すね。
「田舎」の語源は「田居中」ですと。
在所育ちの麦飯
田舎者はつつましい生活に慣れていると。
「失礼な」ですが、
昔々は田舎では地を這っての生活を強いられてました。
作ったコメは人の物。
食するは麦。
存亡禍福は皆己に在るのみ
全ては身にあると。
他のせいにするなと。
わかっていますが、愚痴りたいですね「何でだ」と。
今日一日 幸運でありますように!
誤字脱字ご容赦ください。
