言葉の物語
<影を畏れて走るーかげをおそれてはしる>
影は走れば走るほど後からついてくる。
子供の頃、本当かどうか観察したことはありません
か?
これを畏れて走り続ければ、ついに力尽きて死んで
しまう。
それより日陰に退き影と跡を無くし、清浄の徳を養う
がよい。
それを知らず、いたずらに影を畏れ跡を憎むは愚の極
だということで、これは『荘子』の漁夫にある言葉ですと。
これも儒教の説く生き方を、それとなく(いや、露骨に批
判したもののようであります。
影は隠された部分としてたとえられ、不気味さを
感じさせますね。「あの人には影がある」とか「人間
の影の部分だ」なんていうと、人間のタブーの獣性を
指していそうですね。
影は本体があって生じるもので、末の影を畏れる。
本体は果たしてなんであったか。いつの間にか目的を
忘れ、手段の連鎖が目的のようになってしまう。
豊かな安定した生活のためのお金が、次から次へと
お金を獲得することそのものが、目的となってしまう。
立ち止まって、思い返すことが必要かも。
シャミソーの小説『影をなくした男』
(ペーター・ジュレミールの不思議な物語)になにか似
ていそう。
それは、悪魔と取引し「幸福袋」と自分の影を交換する。
そして、大金持ちになるが、影を失ったために、世間か
らつまはじきになり恋人さえも失ってしまう。
そして最後に知るんです、本当の生きる道を。
それは自然の中にあることを。
日本では昔から影に魂が宿っているというようなことが、
言われてまして、「影を踏むんじゃない」というようなことも。
死んだ人(霊魂)には影が無い。
このペーターが不気味がられたのも、この世に存在しない
ものになってしまったからでしょうね。
「影」の字源について調べてみました。
<「日=太陽」と「京=あきらかにする」を合わせて、
日に照らされて明暗が明らかになる事を意味する。
それに「彡=もよう」をそえて「かげ」につかう。>
たしかに、影があると明暗ははっきりしますがどうも。
そこで、もう一冊の本を調べてみます。
<「影」は日光によって時刻を測ることをいう。
「京」は出入り口がアーチ形の城門で、その城門を
使って 日影を測り時刻を決めたのであろう。「彡」は
光や音、形、色の美しさを示すときに加える記号。>
さてどっちかな?こうなればお好きな方をどうぞですね。
化身の神仏
七福神四
布袋(ほてい)さん
唐代末の実在の禅僧と言われてます。
大きな太鼓腹で、上半身裸で大きな袋を持つ。
放浪の僧で、いただいたお布施をその大きな袋にし
まってしまう所から「布袋」の名がついたと。
号は長丁子、名は釈契比(しゃくかいし)。
子供たちに好かれ、常に多くの子供たちを連れていた。
そのうち、弥勒菩薩の化身と考えられるようになったと。
彼も、寿老人と同じように、水墨画の課題として室町時
代に伝えられたという。布袋の楽天的な生き方が、当時
の禅僧の憧れ。
中国の明時代の弥勒信仰の誕生に伴い、宗派を問わず、
弥勒の化身として布袋さんの像が祀られた。
この時代(日本は江戸時代)の渡来僧隠元が京の宇治に
黄檗宗の総本山萬福寺を開いた時、この弥勒信仰として
布袋像を祀った。
これが縁で、日本各地に広まったという。
吉凶、晴雨を予知し、財福の神さんです。
今日一日 幸運でありますように!
誤字脱字ご容赦
2016.10掲載再考
