押忍、無憂(むゆう)でございます。
感情解放の際には、結局は観念を手放すというのがポイントになるのですが、昨日行ったセッションで、どうやって自分の観念を言葉として捕まえたら良いのか、よく分かりません、と言われました。以前にも他の方から、そこのところが分かりにくいと言われたことがありますね。
ちょっと解説してみます。
まずこちらの例。
「私は人と話しているとすぐ自分が悪いと思い、その場を収めるためにすぐ謝ってしまう」
というのは、私の状態・現状についての自己観察ですね。 「私は人と話しているとすぐ自分が悪いと思い、その場を収めるためにすぐ謝ってしまう」という言葉が頭の中をグルグル回っているのかというと違うでしょう。
私は「〇〇〇」と信じている、の「〇〇〇」に相当する部分が、観念となります。 そのような穴埋め問題だと考えると分かりやすいのではないでしょうか。登場人物がいたときに、その登場人物の吹き出しの中にどういう言葉が入るかということです。
ですので、上の例ですと、「自分が悪いのだ!」というのが観念ということになります。
「私は自己否定、自己嫌悪の強さがでているので、人を苛つかせたり、なめられたりする」
これも自分はそういう状態になっているんじゃないか、という観察、考察ですね。 「私は自己否定、自己嫌悪の強さがでているので、人を苛つかせたり、なめられたりする!!!」という言葉が頭の中をグルグル回っているとは思い難い。
私は「〇〇〇」と信じている、というフォーマットに当てはめると、 「私は自分が嫌いだ」「私は自分を肯定できない」というのが観念になります。
「私の他人への猜疑心や試す行為が相手を不快にさせ、結果的に本当の破綻を呼び寄せる」
これも自己観察、現状こういう風になっているだろうという考察ですね。 「私の他人への猜疑心や試す行為が相手を不快にさせ、結果的に本当の破綻を呼び寄せる」ということを四六時中考えているわけではないでしょう。 そうではなくて、何が頭の中をグルグル回っているか、ですので、
「他人が信じられない」というのが観念になります。
だいたい、観念として出てくる言葉は、思い込みが強いので、「絶対〇〇だ」「〇〇でなければならない」「〇〇すべきだ」というように断定的な表現になるのが特徴です。
「もしかしたら自分が悪いという可能性もあながち否定できないのではないだろうか」なんていうのはちょっと違います。これくらい慎重だと、あまり信じてないということです。
そしてまた、思い込みですので、こんな感じでちょっとマジになっていて、怒っていたりします。
こんな感じのやつは違います。
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