こんにちは、サイエンスとセラピーをやってる変わり者、絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。
「約束された場所で」という村上春樹のノンフィクションを読んでの感想の第二弾です。第一弾はこちら。
それは、出家という制度ですね。
社会的な実生活を放棄して、教団の施設内で暮らして精神と肉体の修行を重ねるということですが、これも少なくとも私の頭の中には全然ないです。
実生活の中で仕事をするからこそ、さまざまな課題や挑戦が出てきて、それが成長の機会を与えてくれるんだ、と思っています。
温室のようなところで純粋培養のようなことをしたら、むしろ霊的な成長の妨げになるんじゃなかろうかと思います。
無菌状態の環境で子供を育てたら、じゅうぶんな獲得免疫が形成されませんが、それに似ていると思います。
そもそもなんのためにわざわざ現世に生まれてきたのか、って考えると、三次元的な制約の中でいろいろ挑戦したかったからのはずです。それをみすみす放棄するというのはもったいない。
そういうわけで、出家して修行ばっかりやりたいとか全然思いません。
出家といえば、お坊さんがお寺の中で生きていくというのが元の形ですが、これにしても、せっかく仏の智慧を学んだのならば、寺の垣根の中にすっこんで安全なところにいるんではなくて、社会生活の中で、その智慧を実践応用して有用性を示していけばいいんじゃないの、って思います。
出家といえば、家族と会えなくなるという側面もありますね。
今の私の理解では、家族というのは、身近にいて、あなたがずっと抱えている爆弾に火を付けてくれる重要な役割を持っています。やはりそこから切り離す、というのは遠回りではないかと思います。
簡単に言うと、出家してしまうと、「お題」がなかなか出てこない、あるいは出てきにくいい環境になると思います。お題が見つからないことには成長もない、という見方なので、それじゃ困ってしまうわけです。
ブレインアップデート学んだ人はある時点から、お題欠乏症に陥るというパターンがあります。なんかあらたなテクニックを学ぼうにもお題・テーマ・悩みが必要なのですが、それが片っ端から解消されていくので、次第に欠乏してくるわけです。
お題欠乏症に至ると、なかなか出家しよう、という発想は出てこないと思いますね。逆に退屈になるので外へ出て、もっといろいろ挑戦したくなります。私の場合ですと、運動が苦手なのにテニス始めたりしてますね。試合の中でいろいろ発生する感情を重宝しているわけです。
続きます。
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