こんにちは、へんちくりんな科学者、絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。

 

引き続き、昨年のお盆に行われた、Universound の Ayano さんによるグループ・チャネリング・セッションより、トップバッターのKさんの話について、私が気づいたことをウダウダと書いてみるシリーズの第三回。

 

まずは、Kさんのハイヤーセルフの最初の言葉より。

 

 

Kさんのハイヤーセルフ

ちょっと待って下さいよ。あなた人生を楽しんでますか?

自分の感情を解放して、自分のコンプレックスを脱ぎ捨てる、ただそれだけに24時間使って、あなた人生エンジョイできてますか?

 

これはグサっと来ますよね。

 

あなたがやっているそれ、エネルギーと時間をたくさん使っているそれは、本当にやりたいことですか?人生を楽しんでいるんですか?

 

これは毎日、自分に問いかけたい質問ですね。

 

悪循環サイクルに入ってしまっているとき、私ももちろん経験者ですが、膨大なエネルギーを問題解決に注ごうとしていることが多いです。

 

ここに問題があって、それを解決しようとしているんだから、何が悪いんだ?

 

って思ってました。

 

私の場合は、歯周病を治そうと思って、ありとあらゆる民間療法だの代替療法だのを試していたのですが、あなたの人生それでいいんですか?、というのを親にも言われたことがありますし、ハイヤーセルフにも言われました。

 

歯が抜けるのを食い止める方法が見つかったとしましょう。次は抜け毛かもしれませんよ?あなたは生涯をかけて抜け毛を食い止めて、それで幸せなんですか?

 

っていうのが私のハイヤーセルフの決め台詞でしたね。

 

ハイヤーとしてあなたに言えることとすれば、あなたはこれは失敗だった、過ちだった、これは乗り越える試練だった、そう思っているかもしれません。

ですが、私達、よりニュートラルで、高次で、愛そのものの視点から見ると、あなたは何も失敗していない、と同時に、何も成功していない

いわゆるただの事象をあなたは淡々と経験としてこの地上で積んでいるんです。

そこにあなたは、何らかの比較的要素を用いて、これは失敗だ、これはコンプレックスだ、というようにただ、分けているだけなんです。

そのどっちでもないとしたら、純粋にすべてのことを楽しむ、それくらいのラフさをもっていけませんでしょうか。

 

 

これは、おなじみになりつつありますが、ニュートラルな視点ということを言っています。

 

ハイヤーセルフの視点から見れば、ポジティブとかネガティブとか、成功とか失敗とか、そんな区別はないですよと。

 

人間社会では国境線というのを重視していて、これを無理に越えようとしたら、捕まったり、場合によっては命を奪われますね。ですが、宇宙船から地球を見たときには国境線っていうのは見えませんね。そのときに、ああ、国境線っていうのは人間が勝手に作り上げたものに過ぎなかったな、と気づくわけですが、ちょっとそれに似ています。

 

私達、よりニュートラルで、高次で、愛そのものの視点から見ると、あなたは何も失敗していない、と同時に、何も成功していない。
いわゆるただの事象をあなたは淡々と経験としてこの地上で積んでいるんです。

これはかっこいいですね。あなたは何も失敗していない、と同時に、何も成功していない。

 

「何らかの比較的要素を用いて、これは失敗だ、これはコンプレックスだ、というようにただ、分けているだけ」というのは、国境線が人間社会がでっち上げたものであるのと同じように、成功だ失敗だ、というのも、あるゲームの中でそういう風に決められているだけで、本質ではない、ということです。

 

人間万事塞翁が馬。

 

言い換えれば、あなたはゲームの中にはまり込み過ぎている。所詮ゲームに過ぎないのに、そのルールを真面目に受け取りすぎている、っていう話になるでしょう。

 

ちょっとゲーム、ということに絡めてここから脱線しますが、よければお付き合いください。

 

 

私は、サッカーのワールドカップで日本代表がどっかとやる試合を、大学の食堂にあるスクリーンで、他の大勢の人と一緒に見たことがあります。ちなみに、サッカーには微塵も興味がありません。かろうじて3人くらい選手の名前を聞いたことがあったくらいです。

 

その試合、たしか日本は先制点を取ったけども、ギリギリの時間で逆転負けを喫したんじゃなかったかと思います。

 

私は試合中は日本人選手の活躍を楽しみましたし、ゴールの瞬間は、歓声を上げたりして最高に満喫してました。

 

しかし、最後に試合が終わって日本の負けが確定したときに、「あー、面白かった照れ」と満足して私が去ろうとしたときに、友人を含む周囲の日本人が、「悔しい〜」と言って、マジで落ち込んでいるのを見て、「この人達はアホちゃうか」と、エイリアンを見るような気持ちでした(一応、そういう反応が社会で一般的であることは知ってますよ)。

 

日本代表だかなんだかしらないけど、たかが誰かがボール遊びで負けただけで、なぜ、自分の心が乱されなければならないのか、まったく意味不明でした。

 

ゲームに入り込んでいると、そのルール内での勝ちとか負けとかいうのが、シリアスに感じられて、乱されますね。所詮、ボール遊び、というのが分かっていると、そうはなりません。

 

 

 

その後で、自分がテニスをやるようになってみると、相手にもよるのですが、テニスのルールの中での勝ち負けをマジメに受け止めてしまうときがありますね。

 

普段は心の波風が少ないと吹聴していますが、スポーツの場面では、普通に感情の波を体験することがまだ多く、要するに、次なる研究テーマのフィールドワークの場となっています。

 

でやはり、どういうときに心が揺れるかを観察しています。単純に勝ち負けではないのは明らかです。負けても超爽やかでいられるときのほうがむしろ多いからです。

 

勝ち負けが気になるとき、というのは特徴があって、一番典型的なのは、「こいつには絶対勝つ」などと思って、見くびっているときですね。勝つ、自分のほうが上だ、と予想して試合に入って、負け始めたら動揺します。「なんでこんなやつのショットが返せないんだ!」みたいなやつです。

 

最初の相手を見くびる心の中に、もう上から目線、という上下の極性がしっかりと出ていますから、その時点でもう、「ニュートラルを保つ」というもうひとつの試合においては負けているようなものです。

 

この逆もあります。相手が圧倒的に強い場合です。

 

「自分が何をやってもどうせ勝てっこない」という頭で試合に入ると、1ポイント毎に非常に不快感を味わうことになります。これにさらに、相手は自分を見下している、という判断が加わると、もう家に帰りたくなりますね。

 

でも、これもじゃあ相手が強ければ必ずネガティブになるか、というとそうではありません。気持ちよく全力投球(打球?)して負けることができる場合もあります。

 

結局は相手の強さではなく、自分の頭の中身が問題なのだと思います。自分の脳みそと独り相撲をして負けているようなものです。

 

相手が強くも弱くもない場合でも、「自分はもっとできるはずだ!」と信じているのに、不甲斐ないプレイしかできないときには、かなりのストレスを体験します。これも「自分はもっとできるはずだ!」という思い込みがあるがための、独り相撲だと言えるでしょう。

 

 

仮に、ハイヤーセルフがテニスをすると、ただ事象が起こっているだけ、ただ選手が動いて、ボールがあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているだけ、っていうような感じかもしれません。なんかつまんないようにも聞こえますが、もしかしたら、そういうときにこそ、ゾーンに入りやすく、一番よいプレイができるのかもしれません。
 
絶対に勝つムキー」みたいな意識はかえって、束縛することになるので余計なのではないかと思っています。もちろん松岡修造のようにそのような闘争心で結果を出した人もたくさんおられるのでそれを否定するつもりはありません。それが合うという方もおられるでしょう。
 
少なくとも私の場合は「絶対に勝つムキー」と思って、試合を始めて、いきなり自分のサーブで 0–40とかになったら、かなり狼狽えます。実現が難しくなる、ということに敏感に反応してしまいます。
 
 
そうではなくて、「勝つシナリオ」「負けるシナリオ」を両方、完全にバランスの取れたふたつの可能性として、隣同士、横に並べることができれば、余計なことを考えずに、動けるのではないか、と考えています。どっちにも心準備をしておく、っていうことです。負けを恐れずに済みます。
 
 
以前対戦したときに6–0で負けた相手がいます。彼は自分でも認めていますが別にショットが特別上手いわけではありません。そこで、相手を舐めてかかる意識が私の方に初めからあったので、この敗戦では非常にがっかりしました。
 
最近、同じ相手と再戦する機会がありました。結局今回も、6–0、6–3で負けましたが、前回よりも遥かに良い試合ができたと思います。少なくとも自暴自棄にはなりませんでした。
 
上で書いたように、「絶対に勝つぞ」でも、「絶対にかなわないぞ」でもなく、「どうなるかまったく分からないぞ!文字通り、まったく分からない!全然わからない!」という意識で臨んだのですが、ボールへの集中力は高く、2セット目の終盤では、3回のセットポイントを凌いで、相手のサーブをブレイクに成功しました。その前にも2セット目では一度ブレイクに成功しておりました。確かに負けたのですが、収穫が多い試合でした。
 
今後もこの方針でテニスコートでの実験を続けたいと思います。
 

 

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続きまっせ。

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