こんにちは、へんちくりんな科学者、絶學無憂(ぜつがく・むゆう)です。
引き続き、昨年のお盆に行われた、Universound の Ayano さんによるグループ・チャネリング・セッションより、トップバッターのKさんの話の続きです。チャネリング終了直後の会話内容になります。
Ayanoさん
いかがでしたか?
Kさん
こういう考え方っていうか、自分の思考の癖って言っちゃ、そんな軽いものではないと思うんですけど。ま、やっぱ修行的なところとか、ゆうニュアンスっていうわけじゃないんですけど、自分を肯定するために苦労するみたいなところも。て、よく考えたりとか。
そういう、うまくいくために、悪いところを潰すためのような思考っていうのから、ちょっともう少し、今のセッションの中で、切り離していくい、っていうのがもうちょっとできれば。無理に自分、こういう余計なもの、余計なもの、っていうところ、っていう考え方も削って、全部自分だっていう形に、もう少しラクに行けるのかなって思いました。
Ayanoさん
一番最後に、ハイヤーが自分の影を踏めない、って言ってましたけど、まあ、ビジョンをねえ、こう、ビジョンと一緒に降ろしてくれたんだけど、いっつも、後ろばっか振り返って自分の影を踏もうとすると、前に進めないんです。
分かります?
自分の影を踏もうとしている。だけど、そういう、影はどこまで言ってもあるかもしれないけれど、別に前を向いて、どこにでも好きなところ行けばいいじゃない、みたいな、なんかそんな感じでしたね。
だから、傍から見ると、自分の影を踏もうとしている、大の大人が道端にいたら、結構アホっぽくないですか。なにやってんの?みたいな。
でも、それが精神的な探求であったりしたら、ちょっといいことしてるっていうか、なんか真面目に向き合っている人に見えるけど、それを実際、影踏みっていうたとえで、やっている大人がいたら、「何やってんだオメエは」ていう感じなんですよ。
だから要は、そういう部分が、実は真面目に探求しているといいながらも、あるっていうことですね。
で、そこが、突き詰めて、煮詰めていくと、まあいいや、っていうところに行くのか、まあ、そのビジュアルの自分が想像したときに、この時点で、あ、もうもういいや、と思って、途中でもう行っちゃうのか、どっちもできますよ、っていうことだと思いますけど。
Kさん
過去の経験を全部照らし合わせるっていうところに行くと、影踏みをずっと自分でやっているのかな、っていうのは、腑に落ちるところがあるので、ほんとにそこを見ると、何をやってるんだ、っていうのは、本当に仰る通りだな、言われた通りだな、っていうのも分かりました。
もう少しこう、そっち側向かないで、自分の影踏まないような、ていうのもあれですけど、もう少し進み方とか、考えたりとか。
ちょっとこれ、結構、(聞き取れず)あります。
Ayanoさん
よしじゃあ、次行きましょう。
Kさんのチャネリングセッションはこちらで終了です。
次回からは、このやり取りを振り返って、私の視点からいろいろコメントを入れてみようと思います。途中にコメントを挿入する事も考えましたが、会話の流れを大事にするならば、まずは邪魔せずに最後まで行ってから、気づいたことを述べたほうがよいかな、と思いました。
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