こんにちは、絶學無憂です。
ちょうどロックダウン一ヶ月です。ええええー、もう一ヶ月なの???って思います。夏休みが始まったばかりだと思ったらお盆みたいな。
世界の別の場所ではICUで懸命の救命措置が続いているわけですが、イギリスはロックダウンに入ってから春が訪れ、花が咲き乱れ、しかもずっと心が洗われるような晴天が多いです。
写真一枚だけお裾分けを。。。
先日行われた4千人規模のオンラインのアンケート調査では、イギリス人の実にたった9%が事態収束後に元の生活に戻りたい、と答えたそうです。
もう何ヶ月も前の話になりますが、かねてから気になっていたインテグレート・ヒーリングIntegrated Healing, IH)のセッションを受けました。その際に、ブログ記事にします、と約束してから、随分時間が経ってしまいました。んー、仕事がそれなりに充実して忙しかったと思いきや、今度はコロナウイルス禍で日に日に状況が変化していき、なかなか書けなかった、というのは言い訳ですが、ともかく遅くなってしまいました。
インテグレート・ヒーリングはキネシオロジーの一流派です。マチルダとニックという二人がイギリスで始めたもののようですが、日本人でこれを学んでいる人が結構な数おられるようです。ブログなどで、よく名前を見ますし、どうやら非常に良く出来たシステムらしい、ということで、いつか一度自分でも体験してみたいと思っていました。
もう何度も触れているので秘密でもなんでも無いですが、私は末期の歯周病で、複数の歯科医から数年以内に殆どの歯を失うと宣告されています。もとを辿ればこれをなんとかしようと思って代替医療の探求を2014年に始めたのですが、もう6年にもなるのですね。
その間、いろんな珍妙なものも試しましたし、レイキを学んだり、キネシオロジーを学んだりしましたし、これは、と思う方のセッションも受けてみましたけども、結局他の方面ではどんどん開けていくものの、この歯茎の骨をゆっくりと失っていくという症状に関しては、これまで何一つ効果を見たことがない、という状態です。いよいよ一本また一本と歯を失い始めて、去年の夏以来は、症状を改善するとか治すというよりも、現在の症状や、無歯顎になるという未来宣告をいかに受け入れるかという方向にむしろ主軸を置いて、歯を失う恐怖を解放したり、ということを自分で行ってきました。
それもあって、ひどい状態の割には、日常そのことで感情的に悩まされることはそれほどありません。
とはいえ、まだ何かできることがあるのであれば、時間のあるうちにやっておきたい、という気持ちもあり、そのうちの一つがインテグレート・ヒーリング(IH)だったわけです。
昨年の夏にIH創始者のマチルダという女性に直接コンタクトを取ってみたのですが、彼女自身は多忙につきセッションができないものの、信頼できるお弟子さんを紹介したい、ということで御返事をいただきました。
その後で、「ちょっと思い直したんだけど」というメールが来まして、イギリスの歯科医でキネシオロジーもできる優秀な人を知っているから彼に相談するのがよいかもしれない、と言うことでした。
インスピレーションを仕事にしているような人の「思いつき」なので、この意見は採用してみよう、と思い、この歯医者さんのほうに予約を取って診察を受けたのですが......
「こんなひどい状態の歯を残しているなんて君は大失敗をしている。すぐにでも最低三本は抜歯しなさい。その後順番に8割くらい抜歯して、もしできるならば入れ歯の足場用に数本ずつ残すのが良い」
ということで、近所の歯医者よりもむしろこちらの希望を打ち砕くような診断でした。
この人のキネシオロジーでも調べてもらったのですが、こちらの方は、自分でも筋肉反射テストを取れるので(ということは説明していたと思いますがあまり興味なかったようで、というか、あまりこちらの話を聞く気がなかった印象でした)、筋肉反射テストの技量というのがある程度分かるのですが、「んー?」というレベルでした。ものすごく力を入れて腕を押すタイプ。「力なんて全然要らないはずなのに」と思いながら、受けていたらすぐに肩の筋肉が疲労しました。
それだけではなく、そのときのキネシオロジーによる診断結果も、「んー?」というものでした。
タッチフォーヘルスの公式マニュアルには「医療モデル biomedical model (直訳するなら医学生物学モデル)」という言葉と、それに対立する概念として「自己責任モデル self-responsibility model」という言葉が出てきます。
タッチフォーヘルスの特長としてこの自己責任モデルというのがあるのですが、実はこれが非常に奥深いものだと言われていて、このときに私もそれを実感したのでした。
医療モデルのほうから説明しましょう。
病院でお医者さんの診察を受ける場合を考えていただければ分かりますが、相手は当然病気のプロで、こちらは素人です。自分の体のこととは言え、プロである相手の方が圧倒的によく知っており、患者としては、基本的には、プロの診断を「ははー」とかしこまって拝聴する、という形になります。
つまり先生の側には「権威」があり、患者の側にはそれがないので、医療モデルによる診断の場面には、知識の多寡による極性が生じるわけです。
先生と患者、セラピストとクライアントという二元性の世界です。
医療モデルの場合、先生の診断に対しては「権威ある先生がおっしゃっているんだから仕方あるまい」という形で納得するので、ある意味、力で押し切っているのです。
もちろんこれは、こういう方法がうまくいくという経験から病院で採用されているわけであり、セラピーやヒーリングの場面でも非常に一般的です。
お告げを受け取る、ような感じ、と言えば分かりやすいでしょうか。それに楯突いたところで、先生の方が詳しい、あるいは先生にしか分からないのだからしょうがない、となります。
私が受けた歯科医によるキネシオロジーの筋肉反射テストというのは、まさにこういう感じで、「いいか、俺はキネシオロジーですごく正確に情報が取れる。お前は小腸に大きな問題があり、母親との関係に問題を抱えており、ビタミンD3が不足している。お前の口の中には生物が寄生している。」と、お告げを受けたわけです。
- 消化系に負担がかかっているので小腸はそうかもしれないけども、自分で普段小腸経のテストをしてもそこには異常はでていない。
- 母親との間には全然感情的な問題を感じないし、筋肉反射テストでも力が抜けないので(普通の人は親を思い浮かべると筋肉の力が抜けます)、母親との関係が遠すぎるあるいは近すぎると言われても一切思い当たる節がない。
- 毎日外でテニスをしていて日焼けしているのでビタミンD3の不足もピンとこない。魚を食べる量が少ないと言われればそうかも知れないが。
- 口の中に寄生生物が、というのはそれを細菌と考えれば、歯周病菌が含まれるだろうし、まあ当たり前とも言える。
こんな感じで、お告げを聞いても、私は全然納得いきませんでした。
これに対して、自己責任モデルというのはどんなものか。
タッチフォーヘルスの母体となっている「応用キネシオロジーApplied Kinesiology」というのは、実は医療モデルで運用されていた(あるいは今でもされている)ようです。応用キネシオロジーは、国家資格を取ったカイロプラクター医もしくは医師でないと学べないとされていましたし、非常に専門性が高い(マニアック)と言われています。
ジョン・シーが、応用キネシオロジーの中から基礎的な技術だけを抜き出して、家庭医学のために、とタッチフォーヘルスを編み出したときに、タッチフォーヘルスを行う人は専門家ではなく、家のお母さんみたいなふつうの人だというのが前提となりました。そのために、専門家が権威を持って診断する、という医療モデルを捨てる必要が生じたのです。
その代わりに、タッチフォーヘルスで採用したのが自己責任モデルであり、一言で言えば、クライアントがどういう問題を抱えていてどういう調整法を必要としているかは、クライアント(の身体)自身がぜんぶ知っている、という世界観です。簡易版のはずのタッチフォーヘルスがむしろオリジナルよりも先進的なセラピーの形を見つけた、と言えます。
このモデルでは、キネシオロジストは、情報を取る係に過ぎず、何か意図があるわけでもなく、必要な情報はすべてクライアント自身から来る、ということになります。
筋肉反射テストの使い方にもそれは表れていて、キネシオロジストが詳しい情報を取るだけであれば、クライアントの筋肉を使って調べる必要がないのです。実際にそのように、対面であってもキネシオロジストがセルフ筋肉反射テストのみで情報を取っていく、というキネシオロジーの流派もあります。タッチフォーヘルスで、セルフ筋肉反射テストを採用せず、クライアントの筋肉で調べることに限定しているのは、クライアント自身に納得してもらうため、という意味合いが強いと、私は思っています。
キネシオロジストがどう考えているか、ということではなく、クライアントに実際に自分の体自身がこういう風に反応する、ということを体験して知ってもらう、ということがセッションを深めるのですね。
そして先生と患者のような極性を作る代わりに、共同作業をする=コラボのような形になります。
結局このときは、この歯科医のキネシオロジーは到底信じられないが、セカンドオピニオンを求めに行ったここでも、歯を抜け、と言われたからには、もう観念して抜け、ということだろうと覚悟を決めて、それまで状態が悪くても温存していた歯3本を近所の別の歯医者に抜いてもらいました。
インテグレート・ヒーリングの話をするはずが全然そこまで到達できませんでしたので、続きはまた今度〜。