こんにちは、絶學無憂です。

 

受講生の方からこんなメッセージを頂きました。

観念の除去を行う時にメモを残したほうが良いとのことでメモを残したのですが、次の日にはまだお題を覚えていたのですが、今日はもう何をしたのか記憶が消えています。

これ、何の話かと言いますと、感情解放のスキルをお伝えする時に、最初からちゃんと記録を残すように、と言うのを私が忘れたんです。

 

そして、この方は、習った技術を使って、自分で次々と自分を縛ってきた観念を解放していったのですが、2日も経つと何を悩んでいて、それをどうやって解除したのか、もうさっぱり覚えていない、というのです。メモ書きしたのに。

 

これ、経験ない人は「???」とか「記憶力が悪いの?」とか、そういう感想になっちゃうかもしれませんが、これは、感情解放あるあるネタなんです。

 

オンラインのセッションで、流れの中でなんか気になることを依頼者が語っていたので、じゃあ、ちょっとそれ解放しましょうか、と言って、数分目を閉じてもらい、その後で話をしたら、依頼者がさっきまでとぜんぜん違うことを口走ります。あー、もう完全に手放しちゃいましたね、と私が言ったら「いやいや、私は元からこんな感じです」とおっしゃる。

 

いやいや、あなたほんの数分前に真逆のことを深刻そうに言ってたでしょう!

 

こういうことが度々あります。初めての人の場合、そういう変化があり得るとそもそも思っていないので、自分で納得しやすいように話を作り変えてしまうんじゃないかな。

 

ですので、ビフォー・アフターの比較ができるように、事前に数値化をしたり、筋肉反射テストをしたり、言葉にしたりして、状態を記録し、終わってから比較する、という手続きがとても大切です。

 

解放してしまうとそれまで悩みだったことがどうでもよくなってしまうので、もう細かいことを思い出さなくなります。

 

私の学生が実験ノートをつけずに実験をしたらバカモノと怒りますが(学生いわく私が怒るところが想像できないそうですが)、それは実験をしていないのとほぼ同じだからです。同じような発想で、感情解放のときは面倒くさくても記録をつけましょう。

 

この、記憶が薄れたり、他人事や新聞記事のように遠く感じたりする、っていうのは感情解放の特徴ですけども、なぜこんな変化が起こるか、というのについては、バシャールの言う並行宇宙へのジャンプ、という考え方がヒントになるのでは、と思っています。

 

皆さんは自分の過去を、常に変えています。

 

過去を変化させる、ということは、皆さんが「過去」と呼ぶ「別バージョンの今」に対して、別の関係を持つことで変化させたことを意味しています。

 

バシャール

BASHAR 2017, p. 123

 

まさにこのまんまじゃないやろか。

 

120ページあたりには、別の平行現実へのジャンプをしたときに、過去がどう再編成されるのかという図もでていますので、興味のある方はご覧ください。

 

バシャールの語る時間の概念というのは、時間は幻想、ということで、エックハルト・トールの話とも通じます。

 

バシャールは、比喩として、映画のフィルムのコマが一瞬一瞬を表しているが、そのすべてが映写室には同時に存在するのだ、と言います。それも一通りの映画となっているフィルムだけではなく、あらゆる場面に対して、別の物語の展開となった場合の別バージョンのフィルムも無数に用意されていて、それらも全部映写室にある、というようなイメージだと思います。

 

映写室が暗喩しているのは、「今ここ」のことです。我々は上映された映画を見て、そこに時間が流れている、と錯覚しているというわけです。

 

この一コマ一コマを、別な言葉で表せば「並行現実」ということになり、このコマとコマの間をジャンプしているというわけです。

 

「時間」というのは、皆さんの意識が「毎秒、何十億という並行現実を通過する」ために起きてくいる「副作用」です

 

バシャール

BASHAR 2017, p. 113

 

映画のコマとか、アニメーションの比喩って時間のことを考える時にすごく便利だと思います。さらに、物語が固定されていない、という意味では、ゲーム画面のフレーム描画なんかも面白いですね。

 

 

ジュリアン・バーバーという物理学者が、「時間の終わり The End of Time」という、すごく挑戦的なタイトルの本を出していて、今読んでいるところですが、理系の頭にはめちゃくちゃおもしろいです。おそろしく抽象的な話で、まだ1/4くらいしか読んでないということを断った上で、今ん所の私の乏しい理解としては、ジュリアン・バーバーが時間は存在しない、と言っている意味も、上の映画館のフィルムのメタファーに極めて近い話のようです。

 

この事自体私はとても面白いと感じています。エササニの宇宙人が語っている時間が幻想という説と、地球の真面目な物理学者の時間が幻想という説がかなり似通っているということです。ジュリアン・バーバー氏はもちろんバシャールのことなんかご存じないのだろうなー。

 

ニュートンもアインシュタインも、そもそも時間がないかもしれない、という可能性は真面目に検討しなかったということのようですね。アインシュタインが一般相対性理論を構築する際に参考にしたとされるマッハの原理というのがありますが、どうやらこれがバーバー氏の探索の旅の出発点だったようです。

 

もうちょっとなんか分かったらいずれ記事にでもしてみます。