こんにちは、絶學無憂です。

 

レイキと感情解放をお伝えしている受講生の方から、こんな感想をいただきました。

 

(最近は)フラットなことが多くなりました。イラッと来るのはなにかあるのかなと、客観的に見ることもできさらに持続しなくなりました。
いざとなれば、片っ端から観念の除去をすればいいと思えるからです。

この「フラットな感情」について、以前にも記事で取り上げたことがあるのですが、エイブラハムの引き寄せの法則を日本に紹介したことで知られるにしきさんが『「フラットな感情」の大間違い』という記事を書かれています。

 

この感情解放した後の心理状態を言葉でなんと表現するかというのは難しいのですが、「フラット」とか「ゼロ」とかっていう表現を使いがちです。実際そんな感じではあるので。

 

ですので、経験者の人はこういう表現をみて、「ああ、アレのことね!」とすぐ分かるのですが、世間の99%の人はこういうのを未体験ではないでしょうか。

 

未体験の人が「フラット」とか「ゼロ」とかという表現に触れると、「えー、感情解放って興味あるけど、成功したらロボットみたいに何も感じなくなるの?そんなんいやだー」などという感想を抱きがちです。無理もないことですが。

 

にしきさんも書かれているとおりですが、実際に体験すると分かりますが、感情解放した後の「フラット」「ゼロ」、私の場合は「まんなか」という言葉も使いますが、この状態というのは、平和で穏やかでほほ笑みがこぼれてくるような、そんな状態なので、波動という意味ではかなり高い状態になります。

 

と言っても躁うつ病の躁状態みたいなのとは違います。もっと地味です。すっごい地味かもしれません。

 

心の中を四六時中煩悩の嵐が吹きすさんでいるような人が、これを経験すると、それまでと落差を感じるので「おおおおっ、これは!!!」という驚きの声を漏らします。こちらで紹介している感情解放のご感想など見ていても、そういうのが多いですね。

 

しかし、これは落差を感じるからこそ、大袈裟に味わうのであって、この状態が標準になってしまうと、もうほんとに地味で、静かで、なんてことないような感じです。にしきさんは「退屈」とは違うんだぞ、って書かれてますが、嵐がないという意味では、退屈と言えるかもしれません。

 

この静かな真ん中の感覚というのは、座禅や瞑想を行う習慣のある方は、瞑想中に、思考のグルグルから外れて静かなところに行けたときのその感覚に近い、というか、おそらく同じものです。

 

その一方で、観念を手放して心の雑音が消えていくと、ハイヤーマインドと一致した状態、つまりワクワクの状態を体験する時間帯が代わりに増えてきます。こちらは退屈とは到底呼べないようなものです。