こんにちは、絶學無憂です。
論文書かなきゃいかんのですが、テニスをしてしまった。
そう。前回のテニスネタに続きがあるんですな。
普通、観念を外すのに成功すると、もうそのことに煩わされることって無くなります。
逆に考えると、何かに思い悩んで煩わされている、っていうことは、外すべき観念をなんか知らんけど握りしめてんのちゃうか?、と辛抱強くメッセージが届いているのだ、とも言えますが。
ところが、
「お前たちが俺よりも上手いなんてことは許さん」(恥ずかしー)
っていうのを外した後、次の日になっても、気がつくとまだ、その放り出して家に帰りたくなった試合を思い出している自分がおりました。
こりゃあ、さてはまだなんか残っているな?
と、思い、テニスコートの場面から連想するものを考えると、.....
私はのび太です。YES
と、衝撃の筋肉反射テストの結果が。
うーん、そうなんじゃよ。
数値化すると
自分のことを「のび太くん」だと思っている。9 (0–10、10が最大)
小学校の時には、テストの点数はすこぶる良かったのでむしろ出来杉でもよいはずが、ドラえもんの漫画を読む度に、「あー、自分はのび太だな」と感情移入して読んでました。出来杉とは全然親近感無いですね、不思議と。
これは当時ですら、自分でもおかしいと思ったものの、運動音痴という点に関しては、のび太と全く同じような体験をしていたので、そこだけで、もう自分はのび太だ!、と思ってたんですな。
それが、何十年も経った今でもまだそのまんまの設定になっていたようです。
これは辛いね。
自分はのび太だ、という設定のままで、テニスなんかやって、上級者と一緒にやって悲惨な負け方をすると、それはあかんでしょう。うわーんと泣きたくもなるわ。泣いてないけど。
これはさっさと設定解除すべきですな、というわけで
私は自分がのび太くんであるという観念を手放します、と宣言。
般若心経の真言を唱えます。
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
(ぎゃーてーぎゃーてー はらぎゃーてー、はらそうぎゃーてー、ぼじそわーかー)
自分のことを「のび太くん」だと思っている。0 (0–10)
さらに、この後もですね、調べていくとズラズラとなんかいっぱいゴミみたいな思い込みが出てきました(もっとあるかもしれません)。
- 体の使い方について自分にアドバイスできる人間は身近にはいるわけがない
- 自分よりも圧倒的にパワー、技術、実績のある相手と競うときは、自分は無価値である
- 相手が作り出してくる極性(たとえばパワーで試合を圧倒しよう)に付き合わなければいけない
- 勝負どころで必ず失敗する
- 私は試合に勝てない人間だ
- 私はのび太のように運動音痴で価値のない人間だ
こんなのがまだいっぱい残っていたんだな、道理でテニスコートで感情的になるわけだ、と思いました。レイキ第二シンボルを使って全部解除しました。
どうせなので、ただ観念を外すだけではなく、ゴール設定もしておこう、と思い、次のようなゴールを設定しました。最初はこれで筋肉の力が抜けていましたが、レイキ第二シンボルで調整後は力が入るようになりました。
- 自分よりも圧倒的にパワー、技術、実績のある相手と試合をして、大差で負けていても、なお、自分のプレイに集中し、思う存分それを楽しむことができる。
- 6-0で負けてもめちゃめちゃ楽しめる
さて、それで今日テニスに行くと、沢山人がいたのに、なんと見事に先週の同じ上級者相手にダブルズで対戦することに(さらにもうひとりも先週の帰ろうかと思ったときの相手でした)。今回は私の方も技術を持った別の経験者と組んだので対抗できるかな、とも思ったのですが、蓋を開けてみますと、な、なんと、本当に 6-0 で負けました。
ところが、どういうわけかその上級者も先週ほどペラペラ喋ってこないし、最後に負けるまで、全然楽しめました。
シングルズで6-0で負けるほうが、たぶん心理的な試練としてはより大きいので、その場面で拗ねるかどうかが本当の試金石でしょう。
論文書かなきゃいかんのですが、ブログ書いてしまった....。