こんにちは、絶學無憂です。

 

つくづく引き寄せって面白いなと思うことのひとつをご紹介しますね。

 

田仲真治さんのブレインアップデート・オンラインコーチングで5ヶ月間で、黒い燃料で動くブラックエンジンから、白い燃料で動くホワイトエンジンに動力を切り替えたわけですが、その後、程なくしてできた友人関係をたどって、私の住む街に、日本人が毎月集まって写経をする会があるというのを知り、数年前から般若心経は興味があったし、習字も同じ頃から興味があって、最低限の道具は揃っているので、これ幸い、と、この会に足を運んで、写経をするようになりました。

 

で、数ヶ月経って今も続いているのですが、実はただ写経をするだけではなく、その後に、集まった方たちに(ほとんどは年配の女性です)頼まれて、般若心経の字句解釈のレクチャーをしているのですよ。

 

ご存知のかたも多いと思いますが、般若心経というのは、大乗仏教の最短にして最重要の経典とされており、なんだかおまじないのように重宝がられるものですが、そこに書かれている内容、有名な「色即是空、空即是色」、というのは、我々が認識する一切全ては、仮想現実の中の幻想であり、実在ではないのだ、という意味でとらえてよいでしょう。

 

いわゆる「悟り」というのは、実体験をもってこの仕組みを「悟る」ということであろう、と私は理解しています。詳しく知りたい方は、雲黒斎さんの般若心経解説や、「あの世に聞いた、この世の仕組み」、またエックハルト・トールA New Earth などをお読みください。

 

近年オックスフォードの哲学者ニック・ボストロムが、私達の「現実」はコンピューター・シミュレーションの中のものかもしれない、というシミュレーション仮説をかなりはっきりと唱えたことによって、映画マトリックスのようなSFだけではなく、真面目な議論にも耐えうるような仮説だということが認知されつつあります。

 

そして当然ですがこの世界観は、意識は脳活動が生み出す生物学的現象のひとつ、という現代神経科学の大前提と真っ向から対立します。

 

私としては一番ワクワクする話題ですが、回り回って、スピなんかまったく興味のない、一般人の方たちに、般若心経の解説で、こんな世界観ですよ、というお話をさせていただいます。我ながら、ものすごいピンポイントで引き寄せてますよね。よくもこんな活躍の舞台があったものです。外国にね。

 

仏教的には「」と密接に関わる「唯識」という重要概念があります。これは文字通り、実体があると思っているものは、すべて意識の産物に過ぎない、という哲学的立場です。

あらゆる諸存在が個人的に構想された識でしかないのならば、それら諸存在は主観的な存在であり客観的な存在ではない。それら諸存在は無常であり、時には生滅を繰り返して最終的に過去に消えてしまうであろう。即ち、それら諸存在は「空」であり、実体のないものである(諸法空相)。このように、唯識は大乗仏教の空 (仏教)の思想を基礎に置いている。

三島由紀夫の遺作「豊饒の海」でも、この唯識が重要なテーマとなっています。

 

なお、唯識と、西洋の唯心論 (Wikipedia日本語版ではspiritualismと訳されていますが、英語版では spiritualismは心霊主義の意味で解説されており、idealismが相当するでしょう)の間にはこのような違いも有るということです。唯識では、心の作用も消えてしまうんですね。

この世の色(しき、物質)は、ただ心的作用のみで成り立っている、とするので西洋の唯心論と同列に見られる場合がある。しかし東洋思想及び仏教の唯識論では、その心の存在も仮のものであり、最終的にその心的作用も否定される(境識倶泯 きょうしきくみん 外界も識も消えてしまう)。したがって唯識唯心論はこの点でまったく異なる。また、唯識は無意識の領域を重視するために、「意識が諸存在を規定する」とする唯心論とは明らかに相違がある。

バシャールの言葉では、究極的には宇宙というのは The One というただひとつのものでできており、これは意識作用すらないのだそうです。

 

The One から生じた All That Is が、宇宙のすべての意識の総体ですね。