こんにちは、絶學無憂です。

 

なんだか急に忙しくなったようで、なかなか記事が書けません。

 

今日は夕方、いつも通り、帰り際に芝生のテニスコートでサーブを練習しようと思っていたら、珍しくボスから飲みに誘われました。と言っても私はジュースですが。

 

自分は結局行かなかったのですが、最近学会があったばかりで、それに参加した人から様子を聞きたかったらしく、それを私にも聞かせたかったのでしょう。

 

そもそも、最初に誘われた時点からもうあまり気乗りしていなかったのですが、なるほど、出てみると、最新情報がやり取りされるわけですが、否が応でも自分がいかに何も知らないかということを思い知らされます。学会に出なかったのだから、そこでの発表内容を知っているわけはもちろん無いのですが、そうでなくても最新の流行の技術であるとか、研究者の名前もわからないのが大量に話に出てきました。自分の研究分野が少し離れてきているということもありますが、ずうっとそうやって話を聞いていると、久しぶりにかなり強烈な「極性」を体感せずにはいられません。

 

彼らはこれだけのことを知っているが、私は知らない、という両極端を作って、両極が分離するわけです。

 

家に帰っても、ぞわぞわして、すっきりしません。

 

こういう感情を体験するからには、私が何らかの価値観・観念を持っていて、それが本来の自分とは異なるような、抵抗波動を生み出しているのです。

 

今回の場合ははっきりしていて、「研究者たるもの、学会の最新動向と、有力者の活動については精通しているべきだ」という、いわば業界の常識的な考え方がありますが、この観念がそもそもなければ、そもそも自分が何か知らなくても平気なわけです。「知っているべきだ」「でも知らない」といって、そのギャップから感情が発生するわけです。

 

研究者という職業の常識としては、圧倒的にこの考え方は正しいのですが、そこにネガティブ感情が発生するからには、これほど正しい考え方さえ、抵抗波動になっている、ということです。

 

普通の人は、ここで「ああ自分はこんなことも知らないのか、全く努力が足りない」と反省して、勉強しようと決意するところですが、そうやって対応してしまうと「研究者たるもの、学会の最新動向と、有力者の活動については精通しているべきだ」という観念の方は手付かずになります。そして、これはそもそも究極的には実現困難なゴール設定である、とも言えます。いくら勉強したってわからないことは出てきますから。

 

なので私は逆方向に考えて、このいかにも正しい「研究者たるもの、学会の最新動向と、有力者の活動については精通しているべきだ」という観念を手放すことで感情解放できないものかと思いました。

 

フローリング flow ring とか、マジックリングとか呼ばれる、おもちゃがありますが、ご存知でしょうか?このおもちゃが感情解放のツールになるってご存知でしたか?多分ご存じないと思います。私が自分で見つけましたから。

 

このおもちゃはアマゾンでもたくさん売っていますが、金属製の輪っかで、手に取ると自然とトーラス(円環体)の形に変化します。腕に巻きつけるとクルクルと回ってとても綺麗です。

 

ドキュメンタリー映画 Thrive によれば、このトーラスという立体図形は、神聖幾何学「フラワーオブライフ Flower of Life」(下図)と同一視することができ、生命の根源と関わりがあるとも、フリーエネルギー装置の鍵となる図形だとも、言われています。何かを説明しているようでちっとも説明していないようにも聞こえるので、私は神聖幾何学にまつわる話をすべて丸呑みにはできないのですが、例によって、筋肉反射テストを使って、あれこれ実験してみた結果、これが少なくともただの図形ではない、ということは確かだと思っています。

 

トーラスとはそのような特別な立体図形であり、輪切りの断面を見れば、無限大(∞)マークが見えます。これはタッチフォーヘルスで登場する8の字ワークのエネルギーの源ではないかと私は考えています。

 

つまり、トーラスは、内側と外側、右側と左側というのが、完全に調和しつつ、中央のゼロ点で反転するという、陰陽の統合、二元性の統合の象徴でもあるのです。

 

ですから、このトーラスのおもちゃのゼロ点である、中央部分を見ながら意識を集中して、あえてザワザワする感情を最大出力で浮上させると、.......あれよあれよ、というまに、極性を作って発生していた感情が消えて、偏っていたものがまんなかへ戻ります。

 

実際に、さっきまでザワザワザワザワして揺れていた気持ちが、ものの数分で静かになりました。

 

さっきまで「研究者たるもの、学会の最新動向と、有力者の活動については精通しているべきだ」に対してストレスを感じて、筋肉反射テストの指標筋が弱くなっていましたが、もう力が抜けなくなりました。

 

「研究者たるもの、学会の最新動向と、有力者の活動については精通しているべきだ」という観念を放棄したら、ただのダラダラ人間になってしまうでしょうか。そうなるかもしれませんが、やはりこの観念がないほうが、気持ちよくサイエンスを楽しめるように思いますね。

 

基本的には、あらゆる「べきだ」というものは取っ払ったほうがよいと私は考えます。これらは必ず「他人軸」に基づいた観念なので、あなたを束縛こそすれ、自由にはしてくれません。「べきだ」を見つけたら、たとえば「しよう」というゴール設定に書き換えてみるとよいかもしれません。

 

皆さんもトーラスのおもちゃを使った感情解放を一度お試しください。不思議ですよー。でもきっと当たり前なんでしょうね。