こんにちは、絶學無憂です。

 

とっておきの意識変容テクニックを公開しましょう。いつでもどこでもできて今ここに立ち返り、深い感動を味わうことができます。

 

目を開けてください。

 

何が見えますか?

 

何でもいいです。石ころでも、草でも、布団でも。

 

はい、次に、自分が宮﨑駿や、新海誠のようなアニメ監督になって、見えるものを全部手描きアニメで完璧に再現することを想像してみてください。アニメの画面を作るのですから、石を描くのでも石だけでは駄目で、見える世界すべてを描く必要がありますよ。

 

あるいはCGを一から勉強して、プログラムを書いて、自ら完璧なCGとしてそれを再現することを想像してみてください。

 

石ころでも、草でも、布団でも、つまらないと思って気にも止めてなかったものが、途端になんだかものすごい傑作であるように感じられてくるでしょう。さしもの宮﨑駿がいくら頑張っても、この石ころは表現できまい。この草の風にたなびく様子は無理だろう。

 

次に、その見えているものすべてが、仮想現実で作られているとしたらどうでしょうか?

 

おお、もし、この石ころが仮想現実だとするなら、これほどのクオリティのものはまさに神が作った仮想現実に違いない、と思えてくるでしょう。

 

次に、その仮想現実を作っている神が自分をも作っているとしたらどうでしょうか?いや、あなたの意識が神の目のひとつであったならば?

 

あなたは今、大いなる創造者の視点に立っているのです。

 

そして、これは幼子達が世界を見る視点にも似ています。芸術家が創作するときの視点にも似ているでしょう。そしてこれは一種の瞑想状態でもあると思います。

 

大人になるに連れて、モノの名前を覚えることで、直接的に世界を体験することを忘れていきます。「石」でしょ、知ってる知ってる、と思うと、もう石の造形の凄さには感動できません。

 

新鮮な喜びを持って世界を見る、ということを忘れがちなのです。しかし、海外旅行にでも出かけてまったく見知らぬ文化の見知らぬ土地へ行けば、自然とこのような見方に近づいていることでしょう。そしてその時は、意識が今ここへ集注するために、時間の流れ方がゆっくりになるはずです。

 

エックハルト・トールの名著「ニュー・アース」にこのような考えが詳しく書かれているので、興味の有る方はお読みください。ロバート・シャインフェルドの「ザ・マネーゲームから脱出する法」にも似たようなアイデアが出てきますよ。