平太さんのブログより。
People assume that you need a relatinship to be complete, so what you are always going to attract to yourself is a reflection of your own (self-perceived) incompleteness.
You will attract someone who will act incompletely, to remind you what that it is what you believe yourself to be.
自らが完全になるために(自らが完成されるために)
自分は(恋人等の)他者を必要とする、
と貴方が思っているならば、
貴方は、自らの不完全性が映し出されたものを、自らに引き寄せることになります。
貴方が自らに対して抱いている不完全性のイメージが、映し出されたものを、自らに引き寄せることになります。
貴方が自らをどのような存在だとみなしているかを思い起させるために、
不完全な行動をとるような人を引き寄せることになります。
というような感覚で、変な脳内物質をドバドバ出す。
ところが、これはそのままの自分だけでは不完全だという観念の裏返しなので、
引き寄せの法則は、やっと満たされたという方ではなくて、
その裏側にある不完全さのほうに作用してしまう。
そうするとこの観念を浮き彫りにすべく
あらゆることが自分の不完全さを立証すべく現象化する(こわ〜)
手始めにその恋愛は熱が引いた頃に破局を迎える。
じゃ、どうすればいいんだ!
ってなりますね。
この方向がうまくいかないというならば、
分離感・欠乏感ではなくて、統合感・充足感のほうにフォーカスするべきなんでしょう。
男性ならば、女性性に肉体的にも精神的にも惹かれ、
女性ならば男性性に惹かれるわけですが、
異性というのは自分にないものの代表じゃないか、どうしようもないんじゃ?と思うでしょう。
ところが、男性の中にも女性エネルギーがあり、女性の中にも男性エネルギーがあるのだ、という理解であればどうでしょうか?
古い日本の言葉ではアワというのが女性エネルギーであり、サヌキというのが男性エネルギーのことだそうですが(四国の地名の語源はこの意味か?)、これは誰もが両方持っているものだといいます。ただしバランスが違うのだと。
キネシオロジーでは、右半身の筋肉が男性性を象徴しており、左半身が女性性を象徴するとされます。左右の経絡の状態が不釣り合いなときは、何かしら男性・父性や、女性・母性を象徴しているとみなして、それを解読します。
さらに、「三次元の現実界」とは創造主たる、拡大した自らの意識が作り出した仮想現実なのだとしましょう。そうすると、生まれてきた時にすっかり忘れてきているけども、男性の私も、もともとは自分の魂も女性だったこともあるはずです。また、今この世にいる女性だって、最も広い意味では、宇宙にただひとつしかない意識(「私」の意識もこの一部)が作ったものだとすれば、広い意味では全部自分なのだとも言えます。
右手の人差指である自分が、左手の人差し指である女性を見てのぼせ上がっているような状態。でも、もともとは繋がってるじゃないの、というわけです。
過激思想とも言えますが、仮想現実という世界観を持ち込んで、意識とか、個というものの定義をぶっ壊すと、このように統合的になりますね。
外側に有る異性は、自らの内側にある異性のエネルギーと繋がっているのだ、という感覚。
ここに至ると、自分が男性(女性)だからといって、半分欠けた存在だとみなす必要はなくなるように思います。
目に見えない内側の異性とつながった状態で、目に見える外側の異性を求めるならば、不完全性にフォーカスせずに済むのではないか、回りくどい表現になりましたが、そのように思います。
みなさんはいかがお感じでしょうか?