こんにちは、絶學無憂です。

 

感情のセンサーを鈍らせているとまずいんじゃないかということを先日書きました。

 

なぜ感情のセンサーが大事であるかをお話してみようと思います。

 

手漕ぎボートが大きな川の上にいる、とします。

 

しかし、この川はただの川ではありません。というのは、川の水が全く見えない魔法の川であるため、ボートを漕いでる本人には、この川の水がどちら側に向かって流れているかが直接わからないからです。つまり、手探り状態。しかし、漕ぎ手の目指す目的地は川下の方にある、ということは分かっています。

 

今仮に、この川が地図の真北へ向かって流れているとしましょう。そして、漕ぎ手は気づいていませんが、ちょうどボートは川の流れと真反対へ向いています(下図)。

 

このとき、ボートは川の流れが進行方向とは逆なので、ものすごい抵抗感があって、頑張って漕いでいてもなっかなか前に進みません。このときに非常に辛い思いをします。漕ぎ手は腹が立ったり、悲しくなったりします。ものすごくネガティブな感情を体験します。

 

次に、同じく川の流れは真北ですが、ボートの向きが先程よりも30度西へ向いているとします(下図)。

 

このとき、やはり川の流れが逆なので、大きな抵抗を感じ、辛い感情を経験しますが、先程、真逆を向いていた時に比べると、少しホッとします。

 

最後にやはり川の流れは真北を向いていますが、ボートの向きが同じく真北を向いている場合を考えます(下図)。

 

 

このとき、ボートの進む向きが川の流れの向きとピタリと一致しているため、漕ぎ手が自分で漕ぐ必要もなく行きたい方向へ進み、ワクワクしてとても幸せな満たされた感情を体験します。

 

つまり、このボートの漕ぎ手は、川の流れの向きとボートの向きの関係に応じて、角度が離れていればいるほどネガティブな感情を体験し、角度が一致していればいるほどポジティブな感情を体験します。これが実はこの見えない川の魔法の性質でした。

 

そして、試行錯誤の末、自分の感情そのものをナビとして用いれば、川の流れがどちらを向いていても、どっちへ向かって漕いでいけば川下の目的地へ向かうことになるのかいつでも分かるのだということにこの漕ぎ手は気が付きました。

 

このたとえ話の、見えない大きな川の流れとは、なんでしょうか。

 

これは、私達がいつも認識している目に見える世界を包むように、もっと大きな目に見えない世界があり、この見えない世界の方へと拡大して広がっている「拡大した私」の願望を表しています。これをハイヤーセルフとかハイヤーマインドとも呼びますが、見えない世界の方まで広がっていてすべてを見渡しているので、魂レベルで何を求めているのかというのが、この「拡大した私」には、三次元世界の「私」、つまりボートの漕ぎ手よりも遥かにはっきりと見えています。

 

「ボートの向き」というのは、三次元世界の中で「漕ぎ手」が何に注意を向けているかという方向を表しています。

 

「拡大ヴァージョンの私」あるいはハイヤーマインドの望む方向=つまり川の流れの方向と、ボートの向き=つまり「三次元世界の私」が注意を向けている方向とが、一致していればポジティブな感情を経験し、離れていればネガティブな感情を体験する、というのが、感情というものの本質です。
 
このように見ると、ネガティブ感情へのセンサーの感度を鈍らせるということはすなわち、ボートの角度が変わっても、その時に生じる感情の変化にも鈍感であるということです。つまり、全然気が付きません。
 
せっかくほんのちょっとでも、「拡大ヴァージョンの私」が魂から望むことへ方向が近づいたとしても、それを知らせてくれるわずかな感情の違い(多くの場合はホッとするという感情)に気づかず見逃してしまうということです。
 
これはとても残念なことで、なぜなら、注意を向ける対象が変わって、体験する感情が変化すれば、すなわち波動の上昇を意味し、おなじみ「引き寄せの法則」の働きによって、その新しい感情によく似た周波数の現象が出現するようになり、この仕組によって体験する世界をガラリと変えることができるはずだからです。
 
感情の違いに鈍くなるということは、波動の変化が感じられないということですから、どっちへ向かって川が流れているのか全然わからない状態に自分を追い込んでいると言えるんじゃないでしょうか。

 

 

 

このボートと川を使った比喩は、私の創作ではなく、作者は人間ですらなくて、エイブラハムという謎の存在がエスター・ヒックスというアメリカ人女性を通じて語った内容です。まさに人智を超えた傑作とも思える名著なので、興味のある方はぜひお読みくださいね。