こんにちは、絶學無憂です。
ゆほぴか編集長の西田普さんのブログ記事が、こちらのブログのテーマにドンピシャでした。
自分の中の陰と陽、ポジティブとネガティブ、両方とも受け入れて、「まぁいいか」「こんな自分も捨てたもんじゃない」と思えたときに、自分を好きになれて、
その時、幸せを感じられるんじゃないかって。
分かる〜。
私の場合どうやってそこへ至ったかというと、田仲真治さんのオンライン・コーチングに一期生として参加し、キネシオロジーで家庭崩壊を招いたのにキネシオロジーに救いを求めるとは愚の骨頂!という自分の声も聞きながら、いろいろな動画を通じて世界観をまず、知識として紹介してもらいました。
それはこの世がヴァーチャル・リアリティだという世界観、一人ひとりの中にある極性がこの社会を作り出しているという世界観、そして自分の力でジタバタしても限界があるので創造主たる宇宙に委ねるという世界観でした。極性の間を振り子が揺れるという世界観でもありました。そうですねー、はっきりいって、こうやって並べると新興宗教か何かというように括られてしまってもしょうがないかもしれませんが、別に特定の神や人を崇拝しなさいということでは無かったですよ。
グループのページに感想を書くことが奨励されてましたが、ほとんど何を書いてもOKというところが特色でした。むしろ、ネガティブな気持ちについて書いたり、ネガティブな意見を述べたりすると評価されるんですね。で、面白いのが、それにまたコメントがついて、しばらくすると、ネガティブなコメントから始まっていてもちょうどよいところへ収まっていく。炎上しないのが不思議でした。
しばらくして、ここでも度々ご紹介している8の字ワークや、ここでは詳しくご紹介できないワークを幾つか教えてもらいました。そんなワークのひとつを自分でやってみて、それまでの自分がブラック・エンジンで動いていたためにこの現実を招いた、っていうのが「発見」されました。
その翌日にZoomを使った生中継で、世界中の参加者20人くらいから、8の字の集中砲火を受けるという、遊びのような実験をしたのですが、これは面白い体験で、横8の字を自分に向かって描かれている状態では、ネガティブなことが思考できないんですよ。これは本当に面白い体験でした。これだけのための体験会みたいなものを開いてもよいのではないかと思うくらいです。
おいこら、思考できないってどういうことだ?って思うでしょう。
夫婦関係で一番悲惨だった場面を必死に思い出そうとするんですが、そこへ集中できないんです。イメージを描こうとしても、像が結ばれる前にそれが砂のように崩れ去ってしまう。で、ネガティブなことが思考できないとどうなるかというと.... 穏やか〜な幸せ感だけ残るんですなこれが。
実習にするならこんな感じで良いでしょう。
Aさん: Bさんに向かって批判的なことを考えて睨みつけるこのときBさんはどう感じますか?Bさん: 次に、その状態のAさんに向かって、横8の字をグルグルと描く。もしくは、自分とAさんの中点に、中心を置いて、二人を囲むように水平な大きな8の字をグルグルと描く。このときAさんはどう感じますか?先程と同じように批判的な思考が続けられますか?Bさんはこのときどう感じますか?
このふたつが特に大きかったと思うんですが、ほどなくして他の人が音叉セラピーを受けている動画を見た翌日のこと、気がつくと朝から夜寝るまでずうっと胸の中がポカポカして温かく、街へ出て公園などで誰を見ても微笑ましく、若いカップルを見てもお幸せにと思い、小さな子連れの家族を見ては微笑み、なんて世界は美しいんだろうとうっとりしながらサイクリングをして帰ってきたのでした。このとき以来、家族と別れ別れになったからと言って悲しいと思ったことは一度もありません。離れたところから幸せを願うのみです。異常ですよね(笑)。
このときの状態のままを維持しているというわけでもありません。また人間ですので、感情がなくなったわけではありませんから、時々ブログネタにもしているようにネガティブな感情が起こることはあります。ですが、大嵐の荒れ狂う海原で砕け散る波の間で翻弄されているような状態だったのが、ピターと静かな鏡のような湖面に時折そよ風が吹いて波紋が広がるような感じに変わりました。明鏡止水の心、っていうと言い過ぎな気がしますが、基本的にあまり心の乱れを感じることはありません。
一度は医師から母が危篤になったという通知を受けて飛行機で日本へとんぼ返りしたこともありますが、その時でさえ心が動揺しませんでした。「着いたらひょっとしたら葬式の準備をするのかもな」と思うのですが、それでも不思議と平常心のままで、機内食や飛行機の窓から見える雲の形を楽しんで帰ってきました。
さすがに非常事態ではあったので、なんにもしなかったわけではなく、せめてできることとして機内から母への遠隔靈氣は行いました。本来は本人の許可を得るべきですが、こういう場合は省略もやむを得ないだろうと判断しました。
病院に着いたら、峠を越して回復へ向かい始めたところでした。後でそのときの数値データも見せてもらいましたが本当に死にかけてました。
私があんまりリラックスして冗談を飛ばすので、病室の緊迫した空気がちょっと和んだんじゃないかなと思います。おかげさまで一命をとりとめた母はまた元気になりました。
捨てよう、切り離そう、取り除こうとしてきた陰のほうと、自分のこれまで見てきた陽のほうとが、実は完璧に調和しているんだというのが感覚的に腑に落ちると、ちょうど真ん中の位置で、揺れている振り子から脱出できるんじゃないでしょうか。