こんにちは、絶學無憂です。

私のところは自然と卒業が来るシステムになっているので、真面目にやっている人は、早い段階でネガティブなことを考えなくなって、まともな生活になっていきます。

 

セラピーに安心を求めたり、常態化してしまうと、なかなか抜け出せなくなって、ずっとお金を払ったり新しいものを求めたりして、そういう業者を潤わせるだけです。

こちらの稲垣さんはエモーションフリーという超簡単なセラピーを普及されている方で、私は面識はないのですが、この記事のメッセージには共感しましたので、これをネタにつらつらと書いてみようかなと。

 

医者とセラピストという仕事の中身を考えてみると、本来明らかなのですが、リピーターを作ったらあかんタイプの職業です。

 

通常のビジネスの発想であれば、当然、リピーター、お得意さんをどれだけ囲い込むかが成功の要と言われていますよね。そりゃあ、全然知らない人に振り向いてもらうのに比べれば、すでによく知っているお客さんに贔屓にしてもらうほうが効率が良いに決まっています。

 

でも、医者とセラピストに関しては、リピーターを作るということは、

  • 何であれ、症状なり、悩みなりが解決していない
  • 困ったら医者やセラピストに頼ろうという依存者を作り出してしまっている

このどちらかじゃないでしょうか?

 

一つ解決したとしてもまたなにか出てくるのは常ですから、そういう時のために信頼できる医者やセラピストを知っている、というのは大事かもしれませんが、「二度と来るんじゃねえぞ」と言って患者・クライアントを見送る(刑務所のようですが)くらいがちょうどよい態度かもしれません。

 

とりわけ、ほとんどの医者とセラピストは、問題を取るというところにゴールを設定しているので、しょっちゅうそこにお世話になるということは、問題だらけであるということになってしまいます。

 

問題を取るところにゴールを設定して何が悪いんじゃ!とお思いの方もおられるでしょう。

 

図解するとこういうことになります。

 

 

棒磁石があります。

 

あなたはN極がとんでもない大問題だと言って、医者・セラピストのところへ行って、「お願いです!N極を切除してください。取り去ってください。」と依頼します。相手の腕が良ければ、首尾よく切断に成功するでしょう。

 

その結果、....またN極がそこにあるのを見つけます。

 

そしてまた医者・セラピストのところへ行って、「お願いです!....」

 

以下同文で、際限なく続きます。本物の磁石の場合は原子までたどり着いたらそこで終わりですが。

 

小学校の理科で習ったとおりですが、磁石を真っ二つにしてもN極とS極はなくなりませんね。

 

つまり、問題を取ろう、という設定で動いている間は、どこまで凄腕の医者やセラピスト、治療家を見つけても、このカラクリから出られません。

 

おいおい、小学校の理科の磁石の話と、人生の話を一緒にしないでくれよ、と思った方。こういうのをメタファー(暗喩)といいます。この世を面白くするために、たくさんのメタファーが存在しています。喩え話なのですが、そこには真実が含まれています。

 

つまり、これもお馴染み、二元性の極性の分離の話なのです。その最たるもの、と言っても良いです。

 

こういう直線的な二元論の世界から、

 

丸い感じの世界へ移行して、

始めと終わりをくっつけて統合してしまうと、

 

 

 

あ、そうかN極も自然の一部だった!

だからそこにあったのか!

N極がないとS極も無かったな。

反対側の極を体験しないと理解というのは深まらないからな。

という感じになってきて、

 

なんだ、NとSを合わせて両方眺めたらそのバランスたるや完璧ではないか!

 

という感覚になってきて、これが陰陽の二元論で太極図の象徴しているところの、極性の再統合ではないかと私は思うとるんですが、そうなると、リピーターでせっせと医者とセラピストに献金するのがアホらしくなります。

 

なんか、違うことがしたくなってきます。スポーツとか、芸術とか、クリエイティブな仕事とか。

 

私もちょっと前までは、自分の経験と知識を生かして、周りにいる困った人を救おう、とかなんとかかなり熱く思っていたのですが、これもかなりどうでもよくなっています。相談してきた人にはもちろん助けるつもりがありますが、看板を上げていないのでそんな人は滅多にいませんし、趣味でドラマを体験している人には、いきなりテレビのスイッチを切ったら失礼でしょう。ちなみに、本田晃一さんによれば、「周りにいる困った人を救おう」というゴール設定で生きていると、周りが困った人だらけになるそうです。それはノーサンキューだわ。

 

田仲真治さんのオンライン・コーチングでは、こういうことを学んだ結果、悩み事で頭がぐるぐるしていたはずの受講生が、五ヶ月後にコースを完走して「もう幸せだからいいや」という気分になっちゃって、リピーター客には全然ふさわしくない感じになって、真治さんがむしろちょっと困った、という珍妙な事態に陥りましたが、蓋を開けてみると「どホンモノ」だったなあと思います。

 

私も、こういうのが天命の方向性だと教えられて、知識や学びをこうやって共有させていただいていますが、いっぱい書いているからさぞかし熱心なのだろうと思えば、ところがどっこい、やる気ないです。1年位前と比べても、こういう話はもうどうでもいいような気がしています。一応読んでくださっている方がいるようですし、こういう体験をした人間のツトメとして、どうにかこうにか作文しています。

 

 

設定がセラピストだと、仕事が成功すれば用済みになるはずなのですが、それがコーチや教育者であるならば、ずっとお付き合いしていくことになりますね。整体の野口晴哉氏が治療を捨てた、というのは有名な話ですが、彼は整体の教育者になろうとしたのですね。なるほどなあと思います。