こんにちは、絶學無憂です。

 

本当はもっと仕事をしようと思ったんですが、なぜか分かりませんが、異常に眠たくて、体がだるくて、頭が働かず、全くのデクノボーみたいなもんですから、ちょっと諦めまして、今日はブログでも書いてやれと思って早く帰ってきました。

 

さて、三年前の私、何しているでしょうか?2015年の9月ですから、季節的には大学教員としてちょうど忙しくしている頃かなあ。

 

はっはっは、まさか三年後に家庭崩壊を起こしているとは露知らず、なんかわかんないけど一生懸命やっている姿が目に浮かびます。

 

だいたいその当時はというとですね、同僚たちが嫁さんがこんなに怖いという話で盛り上がっていると、私一人だけ「何を言っているのか意味が分からない」と言い切って、妻とはほとんどケンカしないし、とても仲が良いです、とドヤ顔で申しておったのです。はっはっは、まさか三年後にこうなるとは知らずに!

 

その彼(私)に何を言ったら良いでしょうかな?

 

それまではホメオパスに通っていたのですが、そこで手詰まり感が出てきたので、ホメオパシーのレメディーを自分で処方して飲み、後はせっせと自己靈氣治療をしてましたかな。少食がよい、という本が沢山出ていたので、食事を減らすことに挑戦した結果、急激に減らしすぎて激ヤセして筋肉を失い、その後も体重が戻らなかったですね。そして、内海聡さんの本や、その他の代替医療の本を読んだり、陰謀論の本を読んだりしていました。

 

なにか自分でも理由がわからいないままに、ものすごく代替医療に興味が惹かれていたんですね。

 

うーん、でもまあもしそのままの路線で三年後に家庭崩壊を起こすと分かっていて、当時にタイムトラベルしたとしても、私は自分を止めないかもしれませんね.....照れ

 

 

 

これって守護霊やなんかの視点に近いのかもしれませんけど、せっかくの大きな学びと体験の機会を事前に奪ってしまっては、わざわざこの世に生を受けて来た意味があんまりなくなるんじゃないかと思うからです。

 

世間的には、妻が子供を連れて飛び出したというのは「問題」ですけど、あんまり本気で「問題」だと思ってもいないんです。実は妻はあそこで最良の選択をしてくれたんではないか、という気すらします。お陰様で自分の生き方の軌道修正をする機会が得られたし、自由を謳歌することができるようになったし、子どもたちは相変わらず元気だし。

 

陰と陽とを両面じっくり見てしまうと、全体的にバランスを取りながら、ちょっとだけポジティブのほうに偏りつつだいたい真ん中に来るわけです。そうするとなんだか穏やかになって満ち足りてしまいます。

 

ただまあこれで、タイムトラベルしても、三年前の自分に何も干渉せずに、家庭崩壊を引き起こすに至るのをニヤニヤしながら見ている、というだけでは、ブログに書くことが終わってしまうので、仮に干渉するとしましょう。あるいは、三年前の私と同じような、ちょっと変わった状況でやや悩んでいるような人がおられるかもしれませんから。

 

そこで多分とても大事なのは、あなたの活動のエンジンの燃料はなんですか?ということです。三年前の自分を捕まえて何か伝えるならば、これを聞いてみようと思います。

 

ガソリンが普通でしたが、軽油などで動くディーゼルエンジンに加えて、バイオエタノール、電気自動車、ハイブリッド、と最近は車の燃料の種類も増えてきました。が、ここではそういう区別よりも、あなたのエンジンの燃料は黒ですか白ですか?という区別だけが大事です。黒い燃料で動くブラックエンジンで走っていると、どこまで行っても闇夜の裏街道。燦々と日の照る表街道を大手を振ってオープンカーで走るためには、白い燃料で走るホワイトエンジンでなければいけません。

 

(なんとなく見つけた黒いエンジンの写真を拝借していますが、ブラックエンジンがどうの、というはたとえ話ですからね。本物のエンジンは黒で素晴らしいのが幾らでもありますからね。よく知らんけど)

 

 

ところが、私もまさにそうでしたが、エンジンの中身の燃料を調べることはせずに、ずっとブラックエンジンで走り続けながら次から次へと眼の前に出てくる問題の解決に奔走する、ということを続けがちです。これでは裏街道から出ることがないので、目的地が日の当たるところにあってもそこへはたどり着けないのです。本当にそうだとしたら結構恐ろしいことだと思いませんか?

 

私は結構断定的に書いてしまいましたが、なんでそんなことになってるんでしょうか?

 

これはどうやら「エネルギーは意図に従う」というひとつの法則が根底にあるのだと思います。これはキネシオロジーの世界ではよく言われる言葉だそうですが、走り始めたときのその意図がどっちを向いているかで車がどっちへ走っていくかが決まってしまうんじゃないでしょうか。

 

特に皆さんがせっせ、せっせと努力しているときに、その活動のエンジンがどっちなのかちゅうことを気をつける。

 

 

私の場合で言えば、代替医療やヒーリングについてせっせと調べて試し始めたきっかけは何だったかと言うと.....

 

ずっと放ったらかしにしてきた持病がありましたが、あるとき海辺で花火を見ていて、これまで一度も経験したことのないような、なんとも不快極まりない脂汗をかいて、そのときに「このまま放ったらかしにしていたら自分は数年後に死ぬ!」と思ったのでした。この場面、このときに感じた、死の恐怖こそが、車を走らせてきたわけです。
 
ですから、私のエンジンは恐怖を燃料にしていたと言えます。これは黒でしょうか、白でしょうか?
 
....ま、ぶっちゃけ真っ黒ですよね。
 
そしてこの話の厄介なところはですね、これが本来、人を救うはずの代替医療やヒーリングにまつわるものだ、ということです。代替医療やヒーリングは「よいものだ」という頭がありますから、どうしても当事者は、自分がブラックエンジンで走っているとはなかなか気づかないものなんですよ。
 
私はといえば、代替医療はヒーリングというものはスピリチュアルなものの考え方と関係が深く、従ってスピリチュアルなものの考え方と同様に、気がつくかどうか、目覚めるかどうかという問題であって、基本的に進む方向は一つしか無く、そっちが良い方向に決まっている、っていう風に考えてました。ま、要するに、「吾輩は正しいのだ!!!!!」って鼻息荒く、直線的に、思ってたんだと思います。
 
そして、カフェイン依存症こそは、驚いたことにホメオパシーで一発で治っちゃったのですが、もうひとつの持病である歯周病をまだ何とかしようとして、片っ端から色んな方法を試しては駄目だ、これも駄目だ、あれも駄目だ、ってやっていくうちに、こういう状態(下矢印)に入ってしまって、回し車をブンブン、ブンブンとブラックエンジンで回し続けていたんですね。だけでずうっと同じ場所でぐるぐるやっているだけで全然人生のステージが進まないのだ。
 
 
死の恐怖に取り憑かれて、そこから逃げようとして、怪しげなおまじないみたいなものや、わけの分からんインチキ臭い薬のようなものを片っ端から四六時中試しながら、「俺は他の人が知らんような、不思議な治療法やヒーリングについて知っとるんやぞ」とブツブツ言うような、そんな素敵なマッドサイエンティスト(本業が科学者なもので....)のパートナーとぜひ一緒に暮らしたいドキドキという女性の方、おられますか?
 
まあ、嫌だわね。そういう事になっとったわけです。
 
するとだいたい三年くらいで賢い嫁さんであれば覚悟を決めて出ていくわけですな。
 
まあだから気をつけたほうがいいですよ。スピリチュアルだけだと、まだ割とこうフワフワと可愛らしい感じで行けるんでしょうが、体の症状を扱おうとしてこれが代替医療に及んでくると、やはり生々しい問題やら症状やらいろいろ出てきますから、まかり間違うとブラックエンジンで走ってたりすることがしばしばあるんじゃなかろうかと思ってます。たぶん私だけじゃないだろうと思うんですが。