こんにちは、絶學無憂です。

ちょっと前後の脈絡がなくなってしまいそうですが(既に無いか、そんなものは)、ホットなうちに文章にしておいたほうがよいと思うので、最新の(ついさっきの)私の感情解放の様子をご紹介しましょう。

 

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日々の仕事の中で、自分の感情がまんなかから外れていく瞬間を敏感に捉えることが大切だと思っています。感情が動く、ということは、そこにあなた自身の抱える何らかの信念・思考が関わっていて、なにか現象として起こった事件や、発言が、その信念と反応しているからです。

たとえば、「バカ」と言われて怒る人は「自分は馬鹿なんじゃないか」という恐れを持っているから言葉に反応するわけです。100%バカだと自認している人が、バカだと言われても、それは「お前は男だ」とか「お前は人間だ」とか言われているのと同じで、「ハイ、そうですがそれで?」というような反応になるはずです。あるいは100%バカではないと信じている人が「バカ」と言われても、「え?違いますけど」でおしまい。

怒るのは、「自分は馬鹿に違いない」「でもそんなはずはないし、認めたくない」というそういう思考を持っているからです。

ちなみに、私はバカにされたら怒りますよ、ムキー
 

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で、今回のお題は、昨晩のこと、ハウスシェアの同居人から仕事の様子を聞かれたのでした。

 

「今、こういう技術的な難問を抱えていてものすごいエネルギーで取り組んでいるがまだ解けない、もうやることはすべてやったので諦めよう、と思っていたら、ちょうど帰りがけの同僚がフラリと立ち寄って「何やってんだ」と聞いてきたので、ベラベラとまくしたてたら熱心に聞いてくれて、最後には彼からのアドバイスで新たな希望を得て帰ってきた」

 

ということを話したのでした。

これはプログラミングの仕事で、私は本格的にコードを書くようになって、もう何年も経ちますが、まったく研究分野が違うものの、その同居人も半年前からプログラミングを始めて、むしろそれをキャリアにしようとしているような人です。で、彼女から「こうしたらどう?ああしたらどう?」と言ってきた。

これに対して、私は防御的に反応しました。

 

「〇〇だからそういうことはしない」と。実は彼女の提案したこの話は先程の同僚との話の間でも出てきたし、やらないというのもまあ本当のことなんですが、同じアドバイスを受けるのでも、同僚からの場合は素直に喜んで受け止めたのに対して、この同居人からのアドバイスについては、ともかく防御的な感情の反応が出たのですね。それで、その話はだいたいその辺で終わりだったのですが、この感情は何だろうか、と思ったわけです。

実はもしかして私には女性差別的な思考があって、女性から忠告を受けたのが気に障ったのか?とか、いろいろな線を考えましたが、筋肉反射テストを用いると、どれが合っているのか確かめることができますし、また、この場面を思い出すことで、その時の私の体のエネルギー状態・経絡の状態を、14経絡に対応する筋肉の状態で調べることが出来ますから、そうやって感情を特定して行って出てきたのが、次のような信念です。
 

私の仕事上の技術的な難問が、まったくの他人からの忠告で解決してしまったら、私はプロとして存在価値がない。

なぜなら、まったくの他人が解決できることを私は解決できないからだ。

だから、私は全くの他人(専門外の人)から忠告を受けるべきではない。

そうすれば私の存在価値が守られるだろう。
 


こんな信念を持っている人が、分野外の、しかも自分よりもはるかに経験の短い人からのアドバイスを受けたら、すんなりと受け取れないですよね?まあ、納得です。

こんなのを持っていたんだーという感じ。



ここからはバイロン・ケイティという女性の発明した、「ザ・ワーク」と呼ばれる、誰でもできる超シンプルな感情解放の手順に従いました。めちゃくちゃ簡単で効果てきめんなのでぜひお試しください。

 

この「ザ・ワーク」では4つの質問に続いて、「置き換え・ひっくり返し」という知的作業を行うことで、ストレスフルな考えを解放して手放します。

1つ目の質問。「上記の思考内容は、本当だと思いますか?」

 

これには「はい・いいえ」で答えなければいけません。今回、私は「いいえ」でした。自分で書いていてもそれはどこか違うだろう、勘違いだろうと思いましたので。

2つ目の質問。「上記の思考内容は、絶対に本当だと言い切れますか?」

 

これも「はい・いいえ」で答えなければいけません。

 

ですが1つ目の質問で陥落しているので私の場合はもちろん「いいえ」。ここで「はい」であった場合は、自分の中の答えが「いいえ」に変わるまで延々と「上記の思考内容は、絶対に本当だと言い切れますか?」という質問を繰り返します。「いいえ」にならないと先へ進めません。

3つ目の質問。「上記の思考内容を思い浮かべるとき、何を感じますか?」

 

惨め。自信がない。無能。息が浅い。不安。恐れ。重たい。などなど。感情や、身体感覚について感じることを言葉にします。

 

さらにタッチ・フォー・ヘルス式の筋肉反射テストができる場合は、経絡の状態を測定しましょう(なんのこっちゃ分からんという人は読み飛ばしてください)。

私の場合は、任脈・督脈、心経、脾経・胃経、肺経・大腸経、腎経・膀胱経が左右共に乱れていました。任脈は「自分で選択する」、督脈は「進化向上・上への意識」、心経は五行の火ですが「ハート」、脾経・胃経は五行の土で「理解・共感」、肺経・大腸経は五行の金で「自己防御・罪悪感」、腎経・膀胱経は五行の水で「恐怖」を、それぞれ象徴します。
 

「私の仕事上の技術的な難問が、まったくの他人からの忠告で解決してしまったら、私はプロとして存在価値がない。」と考えることで、自らの選択ができなくなり、上へ向かうこともできなくなり、心が折れ、なんでこうなるのか理解できず、無能だとレッテルを貼られることへの恐れから自己防御で息を詰める。

というように解釈できます。

4つ目の質問。「上記の思考がもしなければ、あなたはどんな人になりますか?」

 

この考えがなければ、誰からもアドバイスを得ることが出来て可能性が広がる。人間関係も豊かになる。自信に満ちている。ま、そう思いますよね。

4つの質問が終わったので、ここからは turn it over (置き換え、ひっくり返し)という段階に入ります。

もともとの思考内容の文章の主語や述語を入れ替えたり意味を反対にしたりして、言葉遊びのようなことをするわけです。

 

 

たとえば、これは結論の部分を変えてしまったバージョン。納得納得。

私の仕事上の技術的な難問が、まったくの他人からの忠告で解決してしまったら、私はラッキーなプロである。

なぜなら、まったくの他人からでも助けを得て難問を解決できるからだ。

だから、私は全くの他人(専門外の人)から忠告を受けるべきだ。

そうすれば私の存在価値はより高まるだろう。

 

 


これは私と、アドバイスをくれる他人の立場を逆にしてみたバージョン。納得納得。

まったくの他人の仕事上の技術的な難問が、まったくの他人である私からの忠告で解決してしまったら、私は優秀なコンサルタントである。

なぜなら、私は専門外の人であっても助けることができるからだ。

だから、私は全くの他人(専門外の人)相手であっても、本人が望めば知恵を貸すべきだ。

そうすれば私の存在価値はより高まるだろう。
 
これは文章の述語を逆の意味にしたバージョン。これも納得納得。
私の仕事上の技術的な難問が、まったくの他人からの忠告で解決してしまったとしても、私はプロとして存在価値がある。

なぜなら、実際に私が行っていることはこの難問だけではないからだ。そのすべてを同じようにこなせる人はそう簡単には見つからない。

だから、私は全くの他人(専門外の人)から忠告を受けるべきだ。

そうすればむしろ私の存在価値が高まるだろう。


実際に体験して頂くのが一番ですが、こうやって言葉を並び替えて新たに作文をするたびに、感じ方・考え方が「激変」したりします。なんで?と思うくらいよく効きます。さっきまで思っていたこととまるで逆の言葉を唱えてながら、そっちのほうに納得してしまう自分がいます。今回ははっきりしませんでしたが、胸のあたりがポワーと暖かくなることが多いです。

ともかくこれにて、もとの思考内容を唱えてももう14経絡が乱れなくなり、平気になりました。これでまあ、このつまんない考え方とはオサラバというわけです。



そして、ちょっとオマケですが、この事件にはちょっとしたプロローグがありました。その前の日に、私の学生が、新しく来たばかりのポスドク(博士号取得者)に自分の実験内容の説明をしていたとき、そのポスドクから思いがけず鋭い質問を浴びて、若い学生は思いっきり防衛的に反論してそれに反応していました。

横から見ていて、これはいかんな、と思ったので、「ちょっと聞こえたんだけど、君の指摘している内容をもう少し詳しく聞かせてくれないかい?(英語)」と、二人の会話に割り込んで、学生がともかく反論したがるのをやんわりと制止して、ポスドクの話を静かに聞く、という例を示したのでした。

うーん、学生くん、まだまだ若いから、建設的なアドバイスを受け取れないんだなあ、どれどれ私が見本を見せてあげようね、フフフ、とそのときは思っていたのですが(苦笑)、翌日に自分がほぼ同じことをやらかすとは!

 

これはこの学生のテーマだと思っていたのですが、私自身の学びのテーマでもあったようです、ということで今日はおしまい。