ファミリー・プロット (Family Plot)

★★

1976年4月9日米国公開/カラービスタ/121分/ユニバーサル・ピクチャーズ製作配給/

製作    アルフレッド・ヒッチコック 原作    ヴィクター・カニング『階段』

脚本    アーネスト・レーマン 監督    アルフレッド・ヒッチコック

撮影    レナード・J・サウス 音楽    ジョン・ウィリアムズ

出演-バーバラ・ハリス、ブルース・ダーン、ウィリアム・ディヴェイン、カレン・ブラック、

 

前作「フレンジー」から4年弱で公開された、ヒッチコック監督77歳での遺作。

残念ながら中途半端で今ひとつ乗り切れない映画となっている。

 

インチキ霊媒師女とそのヒモ。人殺しの過去を持つ宝石商とその女。

2組のカップルが紹介され、交錯して物語は進む。

ラストは悪者はつかまりヒッチコック特有のエンドとなっているが爽快感はない。

 

ブルース・ダーンはヒモ役を演じて適役なのだが、その女の霊媒師役、バーバラ・ハリスは茶目っ気もなくまったく魅力を感じない。顧客である富豪の、霊媒を呼び起こすため、声色を変える演技が続くシーンは、退屈そのものだった。

前作「フレンジー」の出演女優も魅力乏しい女優だったが、ヒッチコックは稀代の美人女優を使ってきたのに、その頃に流行った「アメリカン・ニューシネマ」の影響なのか、どこにでもいる今三女優を主役にしているのは見ていてとてもつまらない。

 

またそれぞれのシークエンスがとても長い。先が見えているのに丁寧にカットの羅列が続き飽きてしまう。ブルース・ダーンが宝石商宅に忍び込む所は全ての段取りを写している。

全盛期のヒッチコックなら編集で中抜して半分以下の尺で恋人を見つけるだろう。

 

また映画をどういう視点で見ていいのか戸惑う。推理サスペンスなのか喜劇なのか・・・。

 

生涯に53本の映画を作ったヒッチコック。

最後の作品は「遺作」として記憶に留める事のみの作品となってしまった。

 

以下Wikiより転載

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『ファミリー・プロット』(Family Plot)は、1976年のアメリカ合衆国のサスペンス・コメディ映画。アルフレッド・ヒッチコック監督の最後の作品で、出演はカレン・ブラックとブルース・ダーンなど。

日本初上映時の邦題は『ヒッチコックのファミリー・プロット』。本作はヴィクター・カニングの1972年の小説『階段』(邦訳:1974年・立風書房)を原作としている。

タイトルの「プロット」は「墓地の一区画」を意味する。

脚本
本作の脚本はアーネスト・レーマンが執筆したものである。レーマンは当初、本作の脚本を劇的でダークなものにしようとしていたが、監督のアルフレッド・ヒッチコックからはライトなコメディとして執筆するよう要求され続けた。結果として完成したレーマンの脚本は1977年のエドガー賞を受賞している。

配役
ヒッチコックは当初、アダムソン役としてバート・レイノルズやロイ・シャイダー、ジョージ役としてアル・パチーノやエドワード・フォックス、フラン役としてフェイ・ダナウェイやキャサリン・ロス、ブランチ役としてビヴァリー・シルズやゴールディ・ホーンの起用をそれぞれ検討させられていた。シビル・シェパードもフラン役での出演を希望していたことを自伝で明かしている。

ジョージ役を演じたブルース・ダーンにとって、ヒッチコック作品に出演するのは本作で3作目となった。1964年1月に放映された『ヒッチコック劇場』の一篇で主人公の隣人役を演じたのに加え、同年7月に公開された『マーニー』では不運な船乗りを演じている。

音楽
本作はジョン・ウィリアムズが音楽を担当した唯一のヒッチコック作品である。この頃、ウィリアムズはスティーヴン・スピルバーグ監督の『ジョーズ』の作曲家としてアカデミー作曲賞を受賞したばかりだった。ヒッチコックはウィリアムズに対し、暗い場面には軽快な音楽をあてるべきだと主張するとともに、「ウィリアムズさん、殺人は楽しいものであり得るのですよ」とのアドバイスを告げたという。

本作のオリジナルサウンドトラックは公開時には発売されなかった。ウィリアムズやヒッチコック作品のコンピレーションアルバムにテーマ曲が収録されることはあったものの、完全版のオリジナルサウンドトラックが発売されたのは公開から34年後の2010年のことだった。

衣裳
本作の衣裳デザインはイーディス・ヘッドが担当している。1954年公開の『裏窓』以降、多くのヒッチコック作品で衣装デザインを担当してきたヘッドにとって、本作はスタッフとして携わる11作目のヒッチコック作品となった。

作品の評価
Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「サスペンスの巨匠の白鳥の歌(最後の作品)は、彼が低俗なスリルを狙って目標を達成したことがわかる作品で、気持ちの良い切れ味とともに意外な展開をする犯罪物語を提供している。」であり、36件の評論のうち高評価は92%にあたる33件で、平均点は10点満点中7点となっている。 Metacriticによれば、8件の評論のうち、高評価は7件、賛否混在は1件、低評価はなく、平均点は100点満点中79点となっている。

ヒッチコックの登場シーン
本編40分辺り、役所の戸籍係の事務所のドアのくもりガラスに映るシルエットで登場。女性らしき人物と口論をしている。

 

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晩年のヒッチコックは体力が衰え、関節炎で杖を必要とするほど歩行が困難になり、コルチゾン注射を受けた。それでもヒッチコックは毎日オフィスに車で行き、次回作に取りかかろうとした。その作品はイギリス人の二重スパイのジョージ・ブレイクの実話に基づくロナルド・カークブライドの小説『みじかい夜』の映画化で、1977年にジェイムズ・コスティガンに脚本を依頼したが、2人の協力関係はすぐに終わった。次にレーマンに脚本を依頼し、その出来上がりに一度は満足したが、1978年秋には3人目の脚本家デヴィッド・フリーマンを雇って書き直しをさせた。しかし、ヒッチコックは身体の衰弱で精神的に混乱し、アルコールを乱用するようになった。友人のヒューム・クローニンによると、当時のヒッチコックは「これまで以上に悲しんでいて、ひとりぼっちになっていた」という。

1979年3月7日、ヒッチコックはアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)から生涯功労賞を受賞した。受賞祝賀会の模様はテレビ中継されたが、ヒッチコックのスピーチは事前に収録したもので、そのために1週間前からアルコールを断って体調を整えていた。

同年5月、ヒッチコックは『みじかい夜』を作ることを断念し、ユニバーサル・ピクチャーズのスタジオ内にある自分のオフィスを閉鎖した。

12月にはイギリス女王エリザベス2世により1980年の新年叙勲者が発表され、ヒッチコックは大英帝国勲章のナイト・コマンダー(KBE)の勲位を授与された。ヒッチコックは健康状態の悪化のためロンドンでの式典に出席することができなかったため、1980年1月3日にユニバーサル・ピクチャーズのスタジオで駐米英国総領事から認証書を受け取った。そのあとに記者から「なぜ女王陛下に認めてもらうのにこんなに時間がかかったのか」と質問されると、ヒッチコックは「うっかり見落とされていたんでしょう」と答えた。

ヒッチコックは人生の最後の数か月を、ベルエアの自宅のベッドに寝たきりで過ごした。

ヒッチコックが最後に公に姿を見せたのは1980年3月16日のAFI生涯功労者の授賞式で、その年の受賞者を紹介するための映像に出演した。

 

同年4月29日午前9時17分、ヒッチコックは腎不全のため80歳で亡くなった。翌日にビバリーヒルズのグッドシェパード・カトリック教会で葬儀が行われ、ルー・ワッサーマンがスピーチを行い、フランソワ・トリュフォー、ジャネット・リー、カール・マルデン、ルイ・ジュールダン、メル・ブルックス、ティッピ・ヘドレンなど600人が参列した。ヒッチコックの遺体は火葬に付され、5月10日に灰が太平洋にまかれた。2000万ドルと見積もられたヒッチコックの財産は、妻のアルマと娘のパトリシア、そして3人の孫娘に遺贈された。