2024/05/28
12:58発の新幹線ひかりで東京へ。
東京駅で地下鉄丸ノ内線に乗り換え。
丸の内線に乗るのは数十年振りか。
昔、東武東上線沿線に住んでいた頃にはよく池袋から乗っていたが・・・。
15:00に南阿佐ヶ谷駅に到着。地上に上がって徒歩3分のホテルにチェックイン。
今まで上京時に泊まっていた、新宿や四谷のホテルは素泊まりで2万以上のご時世、立川まで行けば安いらしく中央線沿線のホテルを探していたら、このホテルを見つけた。最寄り駅がJRではなく地下鉄だからか、朝食付きで\9,800の安さ。
10階の窓からの杉並区の街並み。
17時にJR阿佐ヶ谷駅近くの飲み屋で古い付き合いのK氏と会う。
ホテルを出て、両側が並木道の中杉通りを歩く。
杉並区と練馬の中村駅まで通じているこの通り。
20代の頃、途中に友達が住んでいたり、鷺ノ宮にも大学の後輩が住んでいたりして、沿線バスに乗って何度も通った。
やがて店前に到着。
阿佐ヶ谷在住のK氏のおすすめ居酒屋。
去年の11/1に移植をして既に半年が過ぎた。
次に再発したら、さらにきつい治療が待っているから、元気なうちに古い友人たちと会っておこうと考えた。お別れを言うわけではないが、一期一会の気持ちで酒を飲み交わし、昔話に花を咲かせたいと思ったのだ。
俳優のK氏とは劇団・新宿梁山泊の初回公演を、ビデオ撮影して以来の付き合い。
1987年が劇団の旗揚げだからもう37年になる。
その後も1993年に自主映画を撮って主演してもらったり、
K氏のHPを立ち上げて、一緒にエーゲ海の島にロケへ行ったり、
谷中猫のドキュメンタリーのプロデュースを頼んだり、
私の人生には、節目節目にK氏が居たのだった。
締めはショッバーでジンリッキーとソルティードッグを。
そして翌日、ホテルの朝食会場はほぼ満席。
外国人観光客はおらず、ビジネス・マンやらウーマンやら高齢者夫婦、
そして私と同じ、一人者高齢者でいっぱいだった。
10時過ぎ、阿佐ヶ谷から一駅新宿寄りの、高円寺駅北口に降り立った。
大学時代からの友人K君が、ここ高円寺に住んでいて、そのアパートに入り浸っていた時期があった。朝までマリオで遊んでいたから1986年頃のはず。
この右手には安い焼き肉屋があった。安いだけあってゴムのようだったが、
当時は味などこだわりもなく、とにかく安いのが最優先事項だった。
この通りの奥、左手が当時のアパートだと思ったのだが、
あとでK君に写真を送ったら、右手だったらしい・・・。
この後、ムチャ安かった中華料理屋「大陸」を探したが見つからず、
南口からのアーケード街へ。
この階段を上がった2階に、辛くて美味しいカレー屋があった。
青唐辛子が置いてあって、マスターは必ず
「これ、ものすごく辛いですからね」と念を押して提供していた。
そして高円寺から吉祥寺へと移動する。
吉祥寺の公園口はオサレに改装されていた。
丸井の横を通って、やがて階段を下って井の頭公園へ。
右手の伊勢屋は見事な鉄筋のビルになっていた。風情がなくなったな・・・。
井の頭恩賜公園は、1917年(大正6年)に開園された。
昔この池で16mm映画を撮影した事があった。
主人公が女を追いかけて、ボートから池に飛び込み、バタフライで泳ぐシーンを撮った。今考えればよく撮影許可が降りたなと思う。
オニギリとお茶で昼食を。
ここらあたりで女子と二人佇んでいた事を思い出した。
私は1983年から4年間ほど、この吉祥寺の四畳半のアパートに住んでいた。
北口から中道通りを三鷹方向へグングン進み、
20分か25分くらい真っ直ぐな道を歩き続けて、
成蹊通りも横切って、
最初の角を右に曲がってすぐの場所にアパートはあったが・・・。
さすがに40年前の木造アパートは現存してなかった。
跡地には「S荘」と呼ばれたアパート名と、同じ苗字の家が建っていた。
当時の大家さんの子供か孫が、今は住んでいるのだろう。
帰りにもう一つ、想い出深い場所にも立ち寄ってみた。
さすがにこちらは鉄筋、まだあった。
そして再び井の頭公園に戻ってきた。
作家・吉村昭の家を探してみようと思ったのだが、
探し当ててもどうにかなるものでもなく、歩き疲れていたのでやめた。
この日はすでに1万2千歩も歩いていた。
木洩れ陽の中でベンチに座って文庫本を読む。
川辺りはやはり落ち着く。5月のそよ風が心地よい。
そして16:30に大学1年からの友人H君と
公園入口の、伊勢屋の対面にある店で待ち合わせ。
当時から手羽先で有名だったお店の、ここは支店らしい。
入口に「本日予約で満席」の張り紙がしてあった。予約して正解だった。
H君とは大学入学当初の、18歳からの付き合いなので、もう48年になる。
このお店、かなり値段がリーズナブル。
このお刺身5点盛りが\1,500くらいだったか。
名物の手羽先も5個で\500くらい。
やっぱサイコーに美味しかった。
そして翌朝、
再び南阿佐ヶ谷のホテルで朝食を。
新幹線車内で、昼食には定番・崎陽軒のシウマイ弁当食べながら、
こだま号でゆっくりと帰ったのだった。
この2日間、古い友人たちと会えて懐かしくも有意義な時間を過ごせた。
持つべものはやはり友達だ。そして井の頭公園の緑と水面にも、とても癒やされた。
今回が最後の吉祥寺行きになると思ったのだが、また紅葉の頃、吉祥寺に来よう。再々発しないことを祈りながら、と心に誓ったのだった。