「秋日和」

★★★★★

1960年11月13日公開/カラースタンダード/128分/松竹大船/

製作    山内静夫 原作 里見弴 脚本    野田高梧・小津安二郎 

監督    小津安二郎 撮影    厚田雄春 音楽    斎藤高順 美術 浜田辰雄

出演-原節子・司葉子・佐分利信・岡田茉莉子・中村伸郎・北竜二・三宅邦子・沢村貞子・佐田啓二・笠智衆・渡辺文雄・桑野みゆき・三上真一郎・須賀不二男・桜むつ子・高橋とよ・十朱久雄・南美江

 

前作「浮草」からちょうど1年後に公開された小津監督作。

キネマ旬報ベストテン第5位に入り、

配給収入はこの年1960年の松竹映画トップの興行成績となった。

 

3年前に公開された「東京暮色」以来の原節子主演で、内容は11年前の1949年「晩春」の父娘を、母娘に置き換えたような物語となっている。

 

中流よりかなり上の階層、会社の重役や大学教授の肩書を持つ人物たちが、

旧友の未亡人・原節子とその娘・司葉子を「結婚」させようと奮闘する姿を描く。

 

「彼岸花」(1958年)でいい味を出していた親父ども、佐分利信・中村伸郎・北竜二たちの会話が、更に磨きをかけて絶妙な面白さとなっている。

 

亡くなった旧友の法事が終わり、亡婦の原節子と、娘の司葉子を見送った後、

三人はしみじみと原節子の美しさや色気を語る。

中村「やっぱりあれかね、キレイな女房持つと男も早死するもんかね」

そこに高橋とよ演ずる女将が入って来る。

佐分利「女将さん、ご亭主、達者だろうね」

高橋「ええ、お陰様で」

佐分利「そうだろうね」

中村「そりゃあそうだよ。ご亭主、長生きしますよ」

北「世の中何が幸せになるか、わかりませんよ。ねぇ、おかみさん」

三人揃って笑う。

 

この後、学生時代に原の実家の薬局へ、風邪も引いてないのに

「アンマク」「アンピチリン」「アンチヘブリンガン」などの薬を買いに行った話になる。そして高橋は炭酸を取りに退場。

 

佐分利「あんなの持ってりゃ、亭主長生きするよ」

中村「しかしあんなの持ってても、案外早死するんじゃないか?体格が良すぎるよ」

佐分利「・・・プロレスか」

北「・・ヘッドシーザースか」

中村「・・たまらないね、・・・つぶされちゃいますね」

 

高橋とよは「彼岸花」でも料亭の女将として登場している。

この時は「男が強いと女の子が生まれ、女が強いと男が生まれる」というネタ。

佐分利が高橋に向って言う。「女将さんところは子供は全部男だろ」

高橋「あら、どうしてご存知なんですか?」中村「そりゃそうだろう」

高橋とよは小津映画の、サイコーのイジられキャラだった。

 

このシーンで出た薬の名前、

「アンピチリン」や「アンチヘブリンガン」などの名は、

この後のシーン、中村の帰宅の際にも出てくる。

 

中村は妻の三宅邦子に問い詰められる。

 

三宅「知ってるわよ、本郷三丁目。

あんた昔、よくお薬買いにいらしたんでしょ、アンバコ」

中村「アンバコは俺じゃあないよ、ありゃ間宮(佐分利)だよ」

三宅「じゃああなたは何よ」

中村「俺はぁ・・・アンチヘブリンガンだとかさ」

三宅「嘘おっしゃい、あなたアンバコよ、ちゃんと覚えているわよ」

 

佐分利も妻の沢村貞子にいびられる。

 

沢村「・・・あなた、お薬、何をお買いになったの?」

佐分利「何?」沢村「お薬よ」佐分利「誰?」

沢村「あなたよ。アンバコ?アンピチリン?どっちでしたっけ?」

佐分利「そんな馬鹿なこと、誰に聞いたんだ」

沢村「・・・あなたが風邪をお引きにならない訳がわかったわ。

未だにアンピチリンが効いているのよ」

珍妙な薬の名前をネタにして、最後にはちゃんと落としている所はさすがだ。

 

そしてもう一つ忘れがたいのが司葉子の友人役の岡田茉莉子。

三人の親父どもの元に、単身殴り込みをかける。

臆することなく親父どもを叱責するその姿は、

絶好調の台詞回しとともにサイコーに面白いシーンだ。

このとき岡田は27歳。

成瀬の「浮雲」(1955年)「流れる」(1956年)などに出演。

この後も小津の遺作「秋刀魚の味」(1962年)でも軽妙な演技を披露している。

 

岡田の父は戦前の無声映画で活躍した二枚目俳優・岡田時彦。

小津の信頼を受け、『その夜の妻』、『お嬢さん』、『淑女と髯』、『東京の合唱』、『美人哀愁』などに出演し、どこにでもいるような小市民を飄々と演じきり、松竹蒲田の哀愁とユーもアをたたえた小市民喜劇において才能を発揮したとされる。

『東京の合唱』(1931年)。左が岡田。右端は子役時代の高峰秀子。
 

岡田茉莉子は新潟での女学生時代、入っていた演劇部の友人と映画館でサイレント映画『瀧の白糸』(1933年版)を観て、帰宅後にその映画の話をすると母が泣き出したという。その時初めて、同作の主演俳優である岡田時彦が自分の父であることを知らされる。翌日、今度は自分の父を見るために一人で映画館へと足を運んだ。

 

高校卒業後、叔父を頼って上京、叔父のすすめで東宝ニューフェイスの第3期として、小泉博らと共に東宝演技研究所に入所。入所して20日後、成瀬巳喜男の監督作『舞姫』の準主役に抜擢されて、銀幕デビューしている。


この会社殴り込みの後のシーン、寿司屋のシーンもまた素晴らしい。

岡田に連れてこられた親父三人、

「こんな場末の寿司屋が案外旨いんだよ」なんて軽口叩く。

岡田はすでに出来上がっており、北竜二相手に何度も念を押す。

「おじさまホントだよ。いつまでもずっと愛するんだよ」

「ああ、いつまでもずっと、愛しますよ」

しゃっくりする岡田がまた艶っぽくてコケティッシュで可愛い。

「おじさまホントだよ」

「ああ、わかってるよ。いつまでもずっとだよ」

「違うわよ、ここのお勘定、ちゃんと払うのよ」

オチもまた可笑しかった。

 

この寿司屋の客で菅原通済の出ているシーン。

大将「旦那、はま、お好きですね」

菅原「旨いねー、はまぐり。はまぐりは虫の毒。チューチュータコかいなー」

店員「タコおつけしますか?」

菅原「タコはもうできてんだ、はまぐりだよ、軟らかいとこ、はまぐりはショテイか。・・・あと、赤貝頼む」

 

「麦秋」(1951年)での、佐野周二と淡島千景の寿司ジョーク以来の、下ネタとなっている。はまぐり、足8本のタコ、そして赤貝。全て女性器の隠語でもある。

 

菅原通済とは同じ鎌倉在住で、小津のタニマチ的な存在であり、「東京暮色」「彼岸花」「浮草」などにも出演している。実業家でありフィクサーとしても有名で、1961年に小津が映画人初の芸術院会員となるため尽力したと言われる。なお、小津に贈った陶磁器は1963年の小津没時に菅原が持ち帰ったという。

 

中盤で司葉子が、会社の同僚と一緒にハイキングに行くシーンがある。

いつもなら小津組常連の高橋貞二が、同僚の一人にキャスティングされると思うのだが、この映画では渡辺文雄が出演している。

ちょっと調べてみると、何と高橋は映画公開の前年1959年に交通事故で死去していた。

 

Wikiによると、

高橋 貞二(1926年10月20日 - 1959年11月3日)は、日本の俳優。本名は高橋貞次。愛称は貞ちゃん。
日本映画学校卒業後、1945年に松竹に入社。翌1946年、映画『物交交響楽』でデビュー。佐田啓二、鶴田浩二と共に「松竹大船の三羽烏」と言われ、松竹映画の主力男優の1人として多くの作品に出演した。
1959年2月に結婚。同年11月3日、神奈川県横浜市西区 の横浜駅前において、自ら飲酒運転するメルセデス・ベンツ300Sクーペのハンドル操作を誤り、横浜市電に激突して死亡。当日は友人の友人だった作家の黒岩松次郎(後の団鬼六)も、一緒に飲みに行こうと誘われていた。しかし団には、昼に指していた将棋の決着を付けるという先約があったため、高橋らを先に行かせ、結果として難を逃れた。
残された妻は1962年に池袋のアパートでガス自殺。墓は東京都港区の青山霊園にあり、夫婦で埋葬されている。

 

何とまあ残酷な運命なのだろう。小津も佐田啓二も悲観にくれただろう。

 

壁に向かってラーメンをすする、佐田啓二と司葉子。

佐田は、司に母親との喧嘩を諭し、無事に仲直りしていく。

 

 

この映画には悪人は一人も出ず、家族間の衝突も一切なく、マイナスのベクトルは何も描かれない。「早春」や「東京暮色」の暗さはなくなり、「彼岸花」の父娘の口論もなく、「お早よう」にさえあった、定年を迎える寂しさも将来の不安も描かれない。

 

原節子の母親は、「晩春」の原が演じた紀子の、嫁いで行って子を儲けた、その後の姿にも思える。「晩春」は父と娘の関係、ある意味、ファザコンというか異性間の近親的なエロティシズムがあったが、この映画の母と娘には性的なものはなく、ただ残された原節子の孤独がラストに浮上して「終わり」となる。

娘の幸せを願うのは母として当然なので、その寂寥感は仕方ないものだと思える。

 

ラストカットが、無機質なコンクリートの廊下だったのがとても残念だが、

私にとっては紳士的で上品で、見ればいつでも心穏やかになる映画の一本だ。

 

この映画を初めて見たのは20代の頃だった。いつか年を取ったらこの映画のように、

料亭で友人たちと酒を飲み、女将をからかう時間を持ちたいと考えていたが、いまだ料亭ではなく、チェーン店の「天狗」で友人たちと酒を飲んでいるのが現実だ。

情けない・・・。

 

以下Wikiより転載

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『秋日和』は、小津安二郎監督による1960年製作の日本映画。

概要
鎌倉に暮らし里見弴と親しくしていた小津が、里見の原作をもとにシナリオ化した作品で、この趣向は『彼岸花』(1958年)に続いて2本目。長年、多くの小津作品で娘役をつとめてきた原節子が初めて母親役を演じ、端役で登場した岩下志麻は本作で小津に見出されて『秋刀魚の味』のヒロインに抜擢される。

ローポジションでカメラを固定して切り返す独特の画面や風景カットの挿入など全編小津スタイルで撮られているが、好んで撮った「父と娘」というテーマではなく、「母と娘」の話になっているところが他作品との違いになっている。いわば『晩春』の父娘を、母娘に置き換えた設定である。

母娘が伊香保に旅行する場面の旅館は、大船松竹第三スタジオにつくられた巨大なセットである。伊香保の旅館の場面で修学旅行の生徒たちが歌うのは「山小屋の灯」。

作品データ
製作 : 松竹大船撮影所
フォーマット : カラー スタンダードサイズ(1.37:1) モノラル

受賞 :キネマ旬報ベストテン第5位。
配給収入 :1億4500万円 - 1960年の松竹映画トップの興行成績。


関連項目
東京中央郵便局 - 作品中、東京駅から新婚旅行に出発する湘南電車を屋上から見送るシーンで、多くの赤い郵便車とともに映るショットがある。2009年の局庁舎解体騒動のさなか、毎日新聞がこの映画を紹介しながら解体問題についてとりあげ、当時の鳩山邦夫総務大臣がその記事を紹介して会見した。