隠し砦の三悪人

★★★★★

1958年12月28日/モノクロ・シネスコサイズ/139分/東宝/

製作    藤本真澄・黒澤明 脚本    菊島隆三・小国英雄・橋本忍・黒澤明
撮影    山崎市雄 音楽    佐藤勝 美術 村木与四郎 

出演-三船敏郎・千秋実・藤原釜足・上原美佐・藤田進・志村喬・三好栄子・樋口年子・加藤武・高堂国典・三井弘次・小川虎之助・上田吉二郎・堺左千夫・谷晃

 

前作「どん底」から1年4ヶ月後に公開された黒澤明の新作。

戦国時代を舞台にした、敵中突破する姿を描いた痛快時代劇。

 

前作「どん底」とは打って変わっての、メチャクチャ面白い娯楽映画の一編となっている。この映画監督としての幅の広さが黒澤明が世界的巨匠となった所以だろう。

 

「スターウォーズ」の凸凹ロボットの元ネタになった、千秋実と藤原釜足のコンビがサイコーに面白い。同郷出身で、欲に目がくらみすぐに喧嘩するが、またすぐに仲直りする間柄。二人のファーストシーンから始まって、しっかりと二人のラストシーンで終わらせる構成も見事。

 

さらに三船が馬上で構える両手剣のかっこよさ!!それに合わせた音楽の高揚感!!シネスコ活かしたパンの積み重ね編集も素晴らしかった。追いつけ追い越せ、まさに手に汗を握った。

 

とても緻密な脚本で、無駄な登場人物が一人もいない。「枯れ木に仕込んだ埋蔵金」のアイデアを元に、それを馬に乗せて「薪」として運び出し、さらに馬を売って人力車に移し替え、人買いから助けた百姓娘を加えたおかげで追手の目を誤魔化し、さらに火まつりの最中に、進んで薪を燃やしてしまい、後から金のみを掘り出すその手口。最後には、千秋・藤原コンビそっくりの足軽二人組、堺左千夫と谷晃にも手伝わせての逃避行。

 

普通、菊島隆三・小国英雄・橋本忍など、多数の脚本家と共同で脚本を書くのは、それだけでもまとめるのが大変だと思うのだが、黒澤の人心掌握術はべら棒にレベルが高いのだろう。

 

個人的には、姫役の上原美佐が2年後には引退してしまったのが残念。凛々しいその姿には惚れ惚れとする。黒澤は「気品と野生の二つの要素がかもしだす異様な雰囲気」を評価しての採用だったが、ずっと活躍してほしかった。

 

また、黒澤のデビュー作「姿三四郎」に主演した、久しぶりの藤田進が良かった。三船との槍試合のシーン、素晴らしく緊張感もあったのだがチョット長かった印象はある。

 

ともかく痛快活劇映画としては「七人の侍」以上の面白い映画だった。

 

以下Wikiより転載

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『隠し砦の三悪人』は、1958年公開の日本の時代劇映画である。監督は黒澤明、主演は三船敏郎。モノクロ、東宝スコープ、139分。戦国時代を舞台に、敗国の侍大将が世継ぎの姫と軍用金を擁し、2人の百姓を従えて敵中突破する姿を描いた冒険活劇である。黒澤作品初のシネマスコープ作品で、ワイド画面を活かした迫力ある映像とアクションが中心の娯楽大作となった。製作日数の大幅な遅滞と、それによる製作費の増大を引き起こしたが、興行的に大ヒットし、第9回ベルリン国際映画祭で監督賞と国際映画批評家連盟賞を受賞した。

製作
1956年、黒澤明は若手監督のために3本の時代劇映画をプロデュースする話を進めていた。本作はその1本として脚本家の菊島隆三が提案した企画で、甲府市出身の菊島が子供時代に甲府城で焼米を掘って遊んだ思い出から、焼米を軍用金にして隠していたらどうなるかという発想をしてアイデアが生まれた。

当初は鈴木英夫監督で予定されたが、最終的に黒澤が監督することになった。脚本は案を出した菊島が第1稿を書くことになったが、30枚ぐらいしか書いていない段階で招集がかかり、黒澤、小國英雄、橋本忍が加わって4人で共同執筆した。敵中突破などの方法は、黒澤が次々と困難な状況を設定し、その解決方法をみんなで考えながら書き進めた。

1958年5月27日、兵庫県西宮市の蓬萊峡で撮影開始した。蓬莱峡は秋月の隠し砦の舞台となり、秋月城のセットは「農場オープン」と呼ばれた東宝撮影所の敷地内に建てられた。8月から御殿場市の富士山麓で撮影を行うが、天候不順で雨と霧の日が続き、撮影日数は大幅に遅れた。

当初は撮影実働日数が83日間、製作費が9000万円で、8月末に完成を予定していたが、最終的に撮影実働日数は147日間、製作費は1億9500万円にまで増大した。プロデューサーの藤本真澄は、完成遅延の責任を取って完成当日に社長に進退伺いを出したが、「過去は一切を問わず、今後、再びこの種の問題を起こさないような方法を考究する」として却下された。

これがきっかけで、1959年に東宝と黒澤が折半出資して黒澤プロダクションを設立し、以後は黒澤も自作に対して経済的責任を負うことになった。

ヒロインの雪姫役は、若くてお姫様らしい気品と野性味があるというイメージに合う人物を探すため、全国から4000人もの応募者を集めてオーディションをするが候補者は見つからず、全国の東宝系社員にも探させ、ようやく社員がスカウトした上原美佐が抜擢された。応募者の中には若林映子や樋口年子もおり、樋口は本作で百姓娘役に抜擢された。黒澤は上原にエリザベス・テイラーのようなメイクを施そうとしたが、最終的に能面「喝食」の表情に似せるようにした。上原は演技経験のない素人であり、あまり喋らせないようにするために口が利けない設定になっている。

また、田所兵衛役は当初松本幸四郎が演じる筈だったが、撮影日数の延長により出演できなくなり、藤田進が代役を務めた。

三船敏郎演じる真壁六郎太が馬で敵の騎馬武者を追いかけて斬り捨てるシーンは、三船がスタントマンを使わずに演じた。三船は両手で刀を握って八双の構えをとり、膝だけで馬を制御している。黒澤は疾走する馬を移動撮影ではなく、3台の望遠レンズを付けたカメラでパンニングで撮ることで、ダイナミックなスピード感を出した。

また、六郎太たちが鉄砲隊に狙撃されるシーンでは、本物の銃弾を撃たせ、わずかに狙いがそれるように撮ろうとしたが、さすがに三船も弾丸をかわすことは出来ず、編集で実弾が着弾するショットを繋いでいる。着弾シーンも普通は火薬を使うが、火薬だと煙が出てしまうため、実弾を打ち込むことにした。

評価
配給収入は3億4264万円で、1958年度の邦画配給収入ランキングで5位となるが、東宝配給映画の年間興行成績(58年7月~59年6月)では1位を記録した。第32回キネマ旬報ベスト・テンでは2位に選ばれ、橋本忍が脚本賞を受賞した。さらに第9回ブルーリボン賞の作品賞に加え、第9回ベルリン国際映画祭の監督賞と国際映画批評家連盟賞を受賞した。
キネマ旬報が発表したオールタイム・ベストでは、1999年の「オールタイム・ベスト100 日本映画編」で49位、2009年の「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」で106位にランクした。
映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには33件のレビューがあり、批評家支持率は97%で、平均点は8.48/10、観客支持率は93%となっている。

影響
1977年公開のジョージ・ルーカス監督作『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』のアイデアは、本作を基にしていることを監督自らが語っている。ルーカスはC-3POとR2-D2が、百姓コンビの太平と又七をモデルにしたことも認めている。ほかにも、黒澤映画の特徴的技法であるワイプによる場面転換を採用し、レイア姫の男勝りな性格や行動には雪姫の影響がある。

黒澤の渡米時に通訳を務めたオーディ・E・ボックによると、黒澤がルーカスやアーヴィン・カーシュナーらと会合した時に、『七人の侍』の海外放映の著作権をめぐる裁判について話をし、その後にルーカスが『スター・ウォーズ』が本作からヒントを得ていることを語ると、周りから「裁判沙汰になるのがいやだったら、間違ったって私は盗作しましたなんて、正直に告白するもんじゃないよ」と冗談交じりに言われたという。
なお、スター・ウォーズエピソード4公開当時、星新一が早くも冒頭シーンと「隠し砦の三悪人」との類似について独自に気付いており、エッセイに書き残している。

ジョン・ミリアス監督も1975年公開の『風とライオン』で、三船のアクションシーンを模倣している。2008年には樋口真嗣監督でリメイク作『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』が公開された。また、黒澤映画のファンである漫画家の和田慎二は、1973年に本作を元にした漫画『炎の剣』を『別冊マーガレット』3月号に掲載した。

その他
劇中、火祭りの歌の歌詞は室町時代の成立である『閑吟集』の「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」に由来する。この歌集に先行する類似の文句としては、室町幕府初代将軍足利尊氏の清水寺への請願文の書き出しとして有名な「この世は夢のごとくに候」がある。
後半、木を持って太平と又七が逃げるシーンで「県境を超えれば早川領」というセリフがあるが、当時県ではないためDVD字幕では「国境」と直されている。
テレビ放送
1981年4月4日、フジテレビ系列の『ゴールデン洋画劇場』の特別企画『映画ビッグスペシャル』(19:33 - 22:54)第2部でテレビ放送された。なお映画終了後は、黒澤監督を始め、本作の出演者である千秋実・藤原釜足・上原美佐が出演、当時を振り返った。この時上原は女優業を引退していたため「引退後、主婦、二児の母」と紹介されている。