東京暮色

★★

1957年(昭32)4月30日公開/モノクロスタンダード/140分/松竹大船/

製作    山内静夫 脚本    野田高梧・小津安二郎 監督    小津安二郎

撮影    厚田雄春 音楽    斎藤高順 美術 浜田辰雄

出演-笠智衆・原節子・有馬稲子・山田五十鈴・中村伸郎・杉村春子・信欣三・高橋貞二・須賀不二男・藤原釜足・宮口精二・山村聰・三好栄子・田中春男・田浦正巳

 

前作「早春」から、1年3ヶ月後に公開された小津作品。小津監督作での最後のモノクロスタンダード映画となっている。


引き続き「早春」と似た、暗い内容。前回の主題は「不倫」だったが、今回は娘の「妊娠」から「事故死」と、さらに暗くなっている。

 

最初は「晩春」のその後のお話のように始まる。原節子は信欣三との仲がうまくいかずに、笠智衆の実家に戻ってくる。妹の有馬稲子は、惚れた大学生ケンちゃんを探しまくっているが、避けられているよう。

 

有馬稲子は始終、眉間にしわを寄せ不機嫌で笑顔一つない。「早春」の淡島千景と同様だ。見ていて、有馬が出てくると、とても暗い気分になってしまう。

 

このお話と、雀荘の女将、山田五十鈴との絡みでお話は進行していく。

山田は今は中村伸郎と暮らすが、元々は笠智衆の元女房で、原と有馬二人の子供を捨てて男に走った過去を持つ。

山田は成瀬の「流れる」、黒澤の「蜘蛛巣城」、そしてこの映画と、それぞれ印象深い演技を残している。この作品でも、一番印象に残るのは山田五十鈴だ。

 

やがて有馬はケンちゃんにフラレて踏切事故で命を落とす。悲惨な展開だが、有馬を救護したラーメン屋の親父・藤原釜足の演技が笑えて、少し救いがある。

 

しかし花を供えにやってきた山田に対して、原は「あなたのせいで妹は死んだ」と言い放ち家に入るのを拒絶する。これは得心いかない。

 

観客は、有馬が言い争いからケンちゃんの頬を何度も殴り、外に飛び出した直後に、警報が鳴る線路を駆け抜け電車と接触したのをわかっている。堕胎までした愛する男に裏切られ、心神喪失の状態になったのが、有馬が事故死した理由のはず。

 

小津は、このあとに続く上野駅の出発シーンをより効果的にするために、最後まで原と山田との和解を拒絶させたのだろうか?人物の感情の推移を大切にする小津映画としては、整合性が取れていないと思える。

 

脚本執筆中に、小津は野田高梧とかなり対立したらしいが、なぜ小津がこのような「陰」なテーマを続けて取り上げたのか・・・。家族家庭の崩壊をテーマに「麦秋」「東京物語」を作り続けた後、家庭内の不和や混乱を新たなテーマにしようとしたのだろうか?

 

完成後、小津は今作の仕上がりに自信満々だったらしが、興行はヒットせず、キネ旬でも19位となり「俺は19位の監督だからな」と自嘲したらしい。

 

キネマ旬報1位となった「生まれては見たけれど」(1932)、「出来ごころ」(1933)、「浮草物語」(1934)、「戸田家の兄妹」(1941)、「晩春」(1949)、「麦秋」(1951)と、1位を6回も受賞した経験を持つ巨匠監督としては、さぞ不本意だったに違いない。そしてそれは、小津自身の老いの始まりと、若者たちである登場人物との距離が、少しずつ歯車が噛み合わなくなってきた証左でもあったろう。

 

以下Wikiより転載

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 『東京暮色』は、小津安二郎監督による1957年の日本映画。


概要
小津にとっては最後の白黒作品であり、昭和の大女優、山田五十鈴が出演した唯一の小津作品でもある。『東京暮色』はジェームズ・ディーンの代表作であるハリウッド映画『エデンの東』(1955年)の小津的な翻案とされる。どちらも妻が出奔しているが、『エデンの東』では兄弟だった子供たちが姉妹に置き換えられている。次女明子役に当初岸恵子を想定していたが、『雪国』の撮影が延びてスケジュールが合わなくなったため、有馬稲子がキャスティングされた。

本作は戦後の小津作品の中でも際立って暗い作品である。内容の暗さもさることながら、実際に暗い夜の場面も多く、明子役の有馬稲子は全編を通じて笑顔がない。このような内容に、共同脚本の野田高梧は本作に対して終始批判的であり、脚本執筆でもしばしば小津と対立、完成作品に対しても否定的だったとされる。小津当人は自信を持って送り出した作品だったが、同年のキネマ旬報日本映画ランキングで19位であったことからわかるように一般的には「失敗作」とみなされ小津は自嘲気味に「何たって19位の監督だからね」と語っていたという(ちなみに前作『早春』は6位、次回作『彼岸花』は3位である)。

與那覇潤は杉山周吉が「京城」へ赴任した時に妻が出奔した点に着目する。彼は『戸田家の兄妹』での天津、『宗方姉妹』の大連とあわせて「天津-大連-京城」という一連の地名の連鎖に志賀直哉の『暗夜行路』の影響を見る。

「菅井の旦那」役の菅原通済は『彼岸花』『秋日和』など戦後の小津作品にワンポイントでよく出ているが、本職は俳優ではなく実業家であり、昭和電工事件(1948年)への関与も疑われた人物。劇中、川口(高橋貞二)が明子の苦境を面白おかしく語るシーンで、高橋貞二は当時人気があった野球解説者小西得郎の口調を真似ている。「なんとー、申しましょうかー」は小西のよく使ったフレーズ。